運搬と講義
### よろず屋の搬出作業
「さて――」
ステラは巨大な装置を見上げた。
「運ぼうか♪」
その一言を聞いて。
周囲の軍人たちは、自然と装置の周りへ散った。
当然だ。
これまで何十年も保管されてきた研究装置である。
重量も相当なものだ。
搬出経路には古い設備が残っている。
だから軍は、ステラが何らかの方法で装置を移動させるにしても、相応の準備が必要だと考えていた。
搬送用の台車。
固定具。
牽引装置。
必要ならクレーン。
そうしたものを準備するつもりだった。
だが。
「これ、持っていけばいいんだよね?」
ステラが装置に手を添えた。
「はい。ただし、かなり重量がありますので――」
「うん」
ステラは頷いた。
「分かった」
そして。
持ち上げた。
「……」
「……」
「……」
誰も声を出さなかった。
巨大な装置が。
何の抵抗もなく。
床から浮いた。
ステラは装置の移動用金具を片手で支えている。
「……え?」
若い兵士の口から、間の抜けた声が漏れた。
ステラは不思議そうに振り返る。
「なに?」
「いや……」
兵士は装置を見る。
そしてステラを見る。
「それ……」
「うん?」
「持ち上がるんですか?」
「そうだよ?」
ステラは当然のように答えた。
「運ぶんだから、持つでしょ?」
「……」
別室で映像を見ていた研究員たちも沈黙していた。
エレナが額を押さえる。
「……そういう意味ではありません」
ヨークシャーが苦笑する。
「だが、彼女にとってはそういう意味なのだろう」
「重量計測は?」
「約二・八トンです」
「二・八……」
研究員が絶句する。
ステラは装置を片手で支えたまま、少し考えていた。
「これ、二階?」
「いえ、地上まで上げます」
「じゃあ、階段?」
「……エレベーターを使用する予定です」
「そう」
ステラは装置を持ったまま、エレベーターへ向かった。
軍人たちが慌てて道を空ける。
「待ってください!」
「ん?」
「エレベーターの耐荷重が――」
ステラは止まった。
「どれくらい?」
「三トンです」
「じゃあ大丈夫だね♪」
「いや、装置以外にも人が――」
「じゃあレディ一人で乗るよ」
「……」
またしても。
話が終わってしまった。
*
エレベーターの扉が閉じる。
ステラは装置を抱えたまま、一人で立っていた。
狭い。
大きな装置を抱えているため、かなり窮屈だ。
しかし、ステラ本人は平然としている。
「……」
装置を見る。
「ねぇ」
返事はない。
「昔は、これで何をしようとしてたの?」
もちろん装置は答えない。
ステラは少しだけ笑った。
「まあ、いいか」
エレベーターが上昇する。
その間。
別の監視室では、エレナたちが映像を見ていた。
「……持ち上げるとは思いませんでした」
「私もだ」
ヨークシャーが答える。
「ですが、これは想定内でしょう?」
「彼女の身体能力についてはな」
ヨークシャーは画面を見る。
「問題は、あの装置をどう扱うかだ」
「はい」
研究員がデータを確認する。
「現在、装置には異常ありません」
「彼女が持っている状態で?」
「はい」
「振動は?」
「ほぼありません」
「……」
それも奇妙だった。
二・八トンの装置を少女が片手で持ち上げている。
異常性に目をつぶれば、運ぶ以上は普通なら、装置の内部に多少の衝撃が加わってもおかしくない。
しかし。
加速度センサーには、異常らしい異常がない。
まるで――
装置そのものを、完全に静止させたまま運んでいるようだった。
「彼女……」
研究員が呟く。
「力が強いだけじゃありませんね」
「どういう意味だ?」
「持ち方が、異常に正確です」
画面を見る。
ステラの指。
装置を支える位置。
傾き。
全てが一定だ。
「重量物を持っているというより……」
研究員は言葉を探した。
「最初から、その重量が存在しないかのように扱っています」
エレナが答えた。
「それが彼女にとって普通なのかもしれません」
*
エレベーターが地上へ到着した。
扉が開く。
「よいしょ」
ステラが出てくる。
軍人たちが待っていた。
搬送用車両も用意されている。
大型の輸送車。
固定用の器具。
クレーン。
完璧な準備だった。
ステラはそれらを見た。
「……」
そして。
「これ、いらないね」
「え?」
「車だけ借りる」
「……」
「装置、荷台に置くよ」
「お願いします」
ステラは装置を持ち上げたまま、輸送車へ向かった。
そして。
そっと置いた。
**ゴトン。**
音は小さかった。
軍人たちは安堵した。
「……」
その直後。
車両の重量計が警告音を鳴らした。
「え?」
「どうした?」
「重量が……」
担当者が計器を見る。
「設定値を超えています」
「何だと?」
「装置だけで車両の積載限界に近いです」
ステラが首を傾げる。
「じゃあ、ゆっくり走ればいいんじゃない?」
「いや、そういう問題では――」
「違う?」
「……」
軍人は答えられなかった。
ステラは少し考える。
「じゃあ、レディが後ろから押す?」
「それはもっと駄目です!」
「ふふん♪」
楽しそうに笑った。
「冗談だよ」
その様子を見ていたヨークシャーは、思わず笑った。
「……なるほど」
「将軍?」
「彼女にとっては、本当にただの仕事なのだな」
兵器でも。
研究対象でも。
危険な未知の存在でもない。
金を払って頼まれた仕事。
それだけ。
*
輸送車が動き出した。
目的地までは、およそ三十キロ。
ステラは助手席に座っていた。
運転手は軍人。
後ろには、例の研究装置。
「……」
不思議な事に車載重量ギリギリのはずだったのに、ステラが乗ると少し余裕が生まれた。
運転手は緊張していた。
隣に座っているのは。
見た目だけなら、ただの少女だ。
だが。
自分の後ろには二・八トンの装置。
そして、その装置をさっき片手で持ち上げた少女がいる。
何とも言えない状況だった。
「ねぇ」
「はい!」
運転手が反射的に返事をする。
「緊張してる?」
「……少し」
「どうして?」
「いや……」
運転手は言葉を濁す。
「軍の機密を運んでいるので」
「なるほど」
ステラは窓の外を見る。
「大丈夫だよ」
「何がです?」
「この車、事故らないから」
「……」
運転手は思わずステラを見る。
「私がいるからね♪」
「……はい」
その返事が正しいのかどうか。
運転手には分からなかった。
*
その頃。
基地では。
「移送は順調です」
研究員が報告していた。
「装置の状態は?」
「問題ありません」
「ステラの反応は?」
「特にありません」
「そうか」
エレナは少し考えた。
「では、次の段階です」
「何を?」
「装置について、もう一度質問します」
研究員が頷く。
今回の依頼の目的は、単なる搬送ではない。
彼女が何を知っているのか。
何を知っていて。
何を話すのか。
それを確認する。
「ただし」
エレナが言った。
「聞き方には気をつけてください」
「なぜです?」
「彼女は、質問の意図を理解します」
研究員が黙る。
「『この装置を知っていますか』ではなく」
エレナは言った。
「『この装置について、知っていることを教えてください』」
「……違いがありますか?」
「大きく違います」
エレナは画面を見る。
「前者なら、知っているかどうかだけで終わる」
「後者なら?」
「彼女が、どこまで話すつもりなのかを見ることができます」
それは試験だった。
だが。
表向きは、ただの仕事の会話だ。
そして。
それこそが、今回の新しいやり方だった。
*
「ステラさん」
通信が入った。
「ん?」
『装置について、一つ聞いてもいいでしょうか』
「いいよ♪」
『この装置について、知っていることを教えていただけますか?』
ステラは窓の外を見た。
そして。
「そうだねぇ……」
少し考える。
ほんの一瞬。
それから。
「この装置ね」
笑った。
「昔、私が見たことのあるものと、かなり似てるよ」
研究室。
全員が固まった。
『……見たことがある?』
「うん」
『どこで?』
「それは――」
ステラは少しだけ間を置いた。
「別料金かな♪」
沈黙。
そして。
基地の研究員たちの何人かが、同時に頭を抱えた。
エレナは苦笑した。
ヨークシャーは笑った。
「……いいだろう」
そして。
「払おう」
ステラの声が弾んだ。
「本当?」
「仕事として依頼する」
「ふふん♪」
ステラは楽しそうに笑った。
「じゃあ、教えてあげる」
その瞬間。
研究室の全員が姿勢を正した。
軍が初めて。
ステラから、自発的に情報を買う瞬間だった。
そして彼らはまだ知らなかった。
この少女にとって。
**秘密とは、隠すものではない。**
値札のついた商品でしかないことを。
### よろずやの知識
装置が運び込まれた研究施設では、まだ作業員たちが慌ただしく動き回っていた。
巨大な搬入口。
そこを通って、二・八トンの古い研究装置が建物の中へと消えていく。
ステラは、その後ろを歩いていた。
「……これで搬送依頼は完了だね」
軽い声だった。
あまりにも軽い。
さっきまで二・八トンの装置を片手で持ち上げていた少女とは思えない。
「ステラさん」
声をかけたのは、今回の依頼を担当している軍人だった。
「ん?」
「先ほどの話ですが」
「装置のこと?」
「はい、もう少し詳しく」
ステラが振り返る。
赤い瞳が、まっすぐ男を見る。
「知ってることを話してほしい」
「お仕事として?」
「……そうだ」
「じゃあ別料金だね」
即答だった。
軍人は一瞬だけ黙った。
「……いくらだ?」
「んー」
ステラは顎に指を当てた。
考えているように見える。
だが、実際にどれほど考えているのかは誰にも分からない。
「さっきの搬送代と話とは別で――」
少し間を置く。
「これくらい」
提示された金額を見て、軍人の眉がわずかに動いた。
「……高いな」
「知識って高いんだよ?」
「しかし――」
「じゃあいいよ」
ステラはあっさり言った。
「話さない」
「……」
「だって、私には困らないもん」
にっこり。
その笑顔に、軍人は何も言えなくなった。
研究施設の奥。
ガラス越しに、研究者たちがこちらを見ている。
彼らにとっては、この装置が何なのかは重要な問題だった。
古い。
記録がない。
用途も完全には分からない。
それでも、軍が長い間処分せずに保存してきた理由がある。
そして今。
その理由を知っているかもしれない存在が、目の前にいる。
しかも――
「……払おう」
軍人が言った。
「ふふん♪」
ステラは嬉しそうに笑った。
「毎度あり♪」
まるで古本屋で珍しい本でも売ったかのような態度だった。
通信回線が開く。
『ステラ』
「ん?」
『こちらヨークシャーだ』
「あ、将軍さん」
ステラは手を振った。
「元気?」
『……君は、どこまでその調子なんだ』
「お仕事だからね」
『そうか』
短い沈黙。
その向こうで、ヨークシャーは研究室の映像を見ていた。
研究員たちも同じだった。
全員が、ステラの次の言葉を待っている。
「じゃあ、説明するね」
ステラは装置を振り返った。
古びた円筒形の機械。
外装には傷があり、いくつかの部品は交換されている。
現在の技術から見れば、決して最新とは言えない。
むしろ古い。
しかし――
「これはね」
ステラが言った。
「エネルギーを貯めるための装置じゃないよ」
研究室が静まり返った。
『……何?』
「正確には、エネルギーを貯めることそのものが目的じゃない」
ステラは装置の表面を指先で軽く叩いた。
「貯めたエネルギーを、どの瞬間に、どれだけ、どんな状態で取り出すか」
指先が止まる。
「そっちが本命」
研究者の一人が息を呑んだ。
「エネルギー制御……」
「そう」
ステラは笑った。
「かなり古い方式だけどね」
『君は、これを知っているのか?』
「うん」
『どこで?』
「それも別料金♪」
『……』
通信の向こうで、誰かが頭を抱えた。
ステラは楽しそうだった。
「でも、今の説明はサービスしてあげる」
『サービス?』
「だって搬送のお仕事、ちゃんと払ってくれたし」
ヨークシャーは黙った。
この少女は、本当にそういう感覚なのだ。
軍が何十年も機密として扱ってきたものを。
国家規模で管理してきた情報を。
ステラにとっては――
**よろず屋の商品。**
ただそれだけなのだ。
「あとね」
ステラが続ける。
「この装置、今のまま使っても意味ないよ」
『……どういうことだ?』
「周辺機器が足りない」
研究員たちがざわめく。
「本体だけ残ってても、昔の性能は出せない」
『必要なものは分かるか?』
「分かるよ」
即答。
『……』
「でも、それも別料金」
「……君は」
ヨークシャーの声に、わずかな疲労が混じった。
『徹底しているな』
「商売だからね♪」
ステラは楽しそうに笑った。
そして、ふと思いついたように言った。
「でも、将軍さん」
『なんだ?』
「軍が持ってるものって、面白いもの多いよね」
研究室の空気が変わった。
ステラは笑っている。
ただの雑談。
そんなふうにしか聞こえない。
「古い研究施設とか」
赤い瞳が細くなる。
「廃棄予定の試作品とか」
にこり。
「倉庫の奥で眠ってる部品とか」
沈黙。
「そういうの、私好きだよ?」
ヨークシャーは答えなかった。
答えられなかった。
その瞬間。
研究チームの誰かが、小さく呟いた。
「……餌を与えているのは、こちらなのか?」
誰も答えない。
なぜなら、その問いに対する答えを――
誰も知らなかったからだ。
ステラはそんな軍側の沈黙など気にせず、楽しそうに言った。
「また何か運ぶ仕事があったら呼んでね」
『ああ』
「知りたいことがあったら?」
『……依頼する』
「うん♪」
ステラは満足そうに頷いた。
「それが一番いいよ」
『なぜだ?』
ステラは少しだけ首を傾げた。
そして――
「そのほうが、お互い楽だから」
そう言って笑った。
ヨークシャーには、その言葉の意味が分からなかった。
ただ一つだけ。
以前とは何かが変わっている。
それだけは分かった。
軍はもう、彼女を一方的に観察するだけの存在ではない。
そしてステラもまた――
軍を敵としてだけ見ているわけではない。
依頼が来れば仕事をする。
金を払えば知識を売る。
必要なら運ぶ。
壊す。
探す。
直す。
――それだけ。
それが、ステラにとっての「よろず屋」だった。
ただし。
軍にとっては違う。
彼女に仕事を依頼するということは。
**彼女に、自分たちの知らない何かを見せることでもあった。**
そして軍は、まだ気づいていなかった。
この日から少しずつ。
自分たちがステラを利用しているのではなく――
**ステラの「よろず屋」を、軍自身が利用したくなっていくことを。**




