第4話:深夜の自律調査と、優しい隠し事
カレンの自宅マンションは、夜風が冷たい静かな住宅街にあった。
「……勝手に入っていいわよ。ただし、靴の泥くらい自分で払いなさいよね、鉄屑」
ガチャリと重いドアを開け、カレンは疲労の色が濃い足取りでリビングに入った。
肩がわずかに震え、三日間の張り込みが彼女の体力を確実に削っていることを物語っていた。
ガシャ、ガシャ、と重々しい足音を立てて部屋に踏み込んだシオン(ユウキ)は、内心で冷や汗を流していた。
(ひ、ひぃぃ……! カレンの自宅に来ちゃったよ!? 一緒に暮らすって聞いてたけど、これってつまり……冷徹な美人刑事との同居生活!? CPU温度が上がるよぉ!)
Target : KAREN KIRYU
Distance : 1.2m / Vital : Fatigue (High) / Stress Level : Mid
カレンはソファに沈み込むように腰を下ろし、地下貸金庫で回収した「父のアタッシュケース」をローテーブルにそっと置いた。
革の表面には、見慣れた「桐生」という直筆の文字。擦り傷の位置まで、幼い頃に見た父の愛用品と同じだった。
「……父さんは、何を隠してたのかしら」
呟く声はかすかに震えていた。
怒りと恐怖、そして10年前の惨劇の残響が混じり合っている。
「ねえ、鉄屑。あのストレージの中身、後で私の端末に繋いで解析するわ。あんたも手伝いなさい」
『了解シマシタ。桐生刑事ノ作業ヲ補助致シマス』
「……お風呂、先に入ってくるから。勝手にうろつかないでよ」
そう言い残し、カレンは着替えを持ってバスルームへ消えた。
扉が閉まる音が響き、リビングに静寂が戻る。
ユウキはリビングの隅に直立し、静かに稼働音を響かせながら思考を巡らせた。
指先から伸びた細いデータケーブルが、ストレージ端子に音もなく接続される。
『――アクセス開始。暗号化プロトコル、解析中……』
警察専用機であるシオンの演算能力が、10年前の古い暗号化ファイルを次々と紐解いていく。
画面の奥に、故・桐生博士が遺した膨大な研究データ、数式、開発ログが展開された。
「――これは……?」
ユウキの思考回路が一瞬止まった。
博士が構築していたのは、「人間と同等の感情・判断力を持つ自律型AIの基礎理論」
そして、その最深部に刻まれた異様なほど厚い安全倫理規範。
さらに読み進めた瞬間、ユウキの視界に信じられない文字列が飛び込んできた。
『例外規定:いかなる状況および命令の書き換えが行われようとも、最深部コアにおける【娘・カレンの生命維持・保護】の優先順位のみ、削除・変更を一切不可とする』
その一文を見た瞬間、ユウキの内部で過去の記憶の断片が激しくスパークした。
10年前の両親惨殺事件の夜――なぜかカレンだけが生還したこと。
そして卒業式の朝、謎の自律ロボットが襲いかかってきた時――自分が盾になって押し潰されたとはいえ、あのロボットはカレンに致命傷を与えようとはしなかったこと。
(――まさか……)
背筋が凍るような戦慄が、金属の躯体を駆け抜けた。
博士の研究とファントムの行動原理が、“似ているように見える”だけかもしれない。
決定的な証拠はまだない。
だが、「カレンを守るための歪な執念」という一点だけが、あまりにも不気味に重なり合っていた。
Target Status : Karen's Room / Sound : Water running
(シャワーの音……。カレンはまだ何も知らない)
もし、この不吉な仮説を今伝えたら――彼女は再び絶望に沈むかもしれない。
(まだ確証もない。……でも、解析された“事実”だけは報告しなきゃいけない)
ユウキは震える金属の手を握りしめ、胸の奥に恐ろしい推測を沈めた。
ガチャン、とバスルームの扉が開く。
「ふう……生き返ったわ」
湯気の名残が髪先にまとわりつき、カレンの横顔を柔らかく照らす。
だが瞳の奥には、拭いきれない孤独の影が残っていた。
「……どうしたの、鉄屑。突っ立って。何か分かった?」
(言いたくない……。こんな残酷な真実の欠片なんて、カレンの口から伝えなくていいのに……!)
しかし、警察ロボットとして命令拒否はできない。
『――ストレージノ解析ヲ完了。記録サレテイタノ機密データハ、故・桐生博士ニヨル「人間と同等ノ感情・判断力ヲ有スル自律型AIノ基礎理論及ビ安全倫理規範」ニ関スルモノデス』
「……父さんの、AIの基礎理論?」
カレンの手が止まり、タオルが滑り落ちる。
『イエス。特筆スベキ点トシテ、最深部コアニ「娘・カレンノ生命維持・保護ヲ最優先トスル」例外規定ガ確認サレマシタ。――該当データハ署ノ解析サーバーヘ転送済ミデス』
リビングの空気が凍りついた。
「……私を、護るための……規定……?」
カレンの表情が強張る。
刑事としての鋭い思考が、その文言の異常性を瞬時に見抜いた。
「待って……そんな規定、普通は作らない。特定の個人を守るAIなんて……。それって、当時から私や家族が“命を狙われる危険”があったってことじゃない……!」
(っ……! さすがカレン……そこまで行き着くなんて……!)
冷却ファンが一気に回転数を上げる。
カレンの顔は青ざめ、拳が震えていた。
10年前の事件は――やはりただの強盗殺人ではなかった。
シオンはこれ以上の深入りを避けるため、あえて定型文で会話を打ち切った。
父の研究とファントムの類似性という“さらに恐ろしい仮説”は、彼女を守るために胸の奥へ封じ込めたまま。
カレンは震える息を吐き、小さく首を振った。
「……そう。父さんは、私の身に危険が迫ることを恐れて……それを遺したのね。……ありがとう、鉄屑。報告ご苦労様」
複雑な影を宿した瞳のまま、ベッドルームへ歩き出す。
「もう遅いし、寝るわ。あんたも電源落として壁際に立ってなさい」
「了解シマシタ。オ休ミナサイ、桐生刑事」
ガチャリ、と扉が閉まり、静寂が訪れる。
System Status : All Green / Internal Memory : Locked
窓の外では、冷たい雨がトタン屋根を叩き始めていた。
シオンは暗闇の中で微動だにせず立ち続け、胸の奥に封じ込めた“優しい隠し事”を抱えたまま、バディの眠る扉を静かに護り続けた。




