第3話:死角の十字砲火と、見覚えのある戦術
深夜。古びたビルの影に停めたパトカーの車内で、カレンは助手席のシートを倒し、静かな寝息を立てていた。
三日間に及ぶ不眠不休の張り込み。
数日前に撃ち落とした違法ドローンの残骸から、この『旧式オフライン貸金庫』を標的にスキャンしていたデータが見つかって以来、カレンはずっとここで網を張っていた。生身の人間である彼女の体力はすでに限界近かったが、運転席に座るシオン(ユウキ)には睡眠という概念がない。彼はカレンを休ませ、自らの暗視センサーで静まり返った路地を監視し続けていた。
(ひぃぃ……! カレンの寝顔が近すぎるよぉ!)
ユウキは内心で激しいパニックを起こしていた。
シートに横たわるカレンの無防備な寝顔。微かに聞こえる寝息。ロボットの身体だから心拍数は上がらないものの、内部のCPU温度がぐんぐん上昇していく。
Target : KAREN KIRYU
Distance : 0.4m / Vital : Sleeping (Fatigue: High) / Stress Level : Low
(カレン、ゆっくり休んで。君の隣には僕がいるから……)
その時だった。
夜空を照らしていた月が、ゆっくりと分厚い雨雲の向こうへと隠れた。
街灯の光から外れた路地裏一帯が、一瞬にして濃密な闇に包まれる。
その闇を隠れ蓑にするかのように、ヘッドライトを消した一台の黒いバンが、音もなく滑り込んできた。
『目標、現レマシタ』
シオンが低く合成音を発すると同時に、カレンの寝息が止まり、瞳が一瞬で鋭さを取り戻した。
「……来たわね」
カレンはシートを起こし、拳銃のチャンバーを引いた。
バンのスライドドアが開き、タクティカルギアで固めた数人の男たちが、手慣れた動作で貸金庫の通用口の電子錠を焼き切っていく。
「プロの傭兵崩れね。踏み込むわよ、鉄屑」
「了解シマシタ。桐生刑事」
Target Status : Hostility : 98%
(まだ98パーセント。……でも、君の盾になれるなら、僕はなんだってする!)
ユウキは重い機体を軋ませ、カレンの背中を追って地下へと続く暗い階段を駆け下りた。
地下金庫のフロアは、冷え切った空気に満ちていた。
犯人グループはすでに目当ての貸金庫ブロックの前まで到達している。
「そこまでよ! 警視庁特殊犯罪捜査係、銃を捨てなさい!」
カレンが拳銃を両手で構え、フロアへ踏み込んだ。
だが――男たちは一切の動揺も見せず、背負っていたアサルトライフルを一斉に構えた。
相手は最初から、警察が踏み込んでくることすら想定内だったのだ。
ドドドドドッ!!
凄まじい十字砲火が炸裂した。
コンクリートが削れ、火花が雨のように散る。
犯人たちは瞬時に散開し、分厚い柱や金属製バリケードの裏へ滑り込む。カレンの射線を完全に遮る「死角」を完璧に利用した、プロの連携陣形だった。
「くっ……!」
カレンが反撃しようと身を乗り出すが、壁の裏からの一方的な制圧射撃に阻まれ、身動きすら取れない。
Target Status : Heart Rate 145bpm / Muscle Tension : Extreme
Warning : 桐生刑事ヘノ被弾確率78%。致命的被害ヲ予測。
(ダメだ、このままじゃカレンが蜂の巣にされる……!)
『――状況ヲ判断。人命保護プロトコルヲ最優先。戦術迎撃モードヘ移行シマス』
「ちょっと、勝手に動くなって……!」
カレンの制止を振り切り、ユウキは彼女の前から大きく左側へ跳躍した。
巨体が空気を裂き、床に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
その瞬間、ユウキの視界(UI)に、生前の彼が誰よりも得意としていた「戦術解析」のデータが幾何学的なワイヤーフレームとなって重なる。
(敵は3人。配置は柱の裏、通風孔の下、右のバリケード。……見える。直接狙えなくても、跳弾の角度なら全部届く!)
警察学校時代。極度の非力だった彼は、座学のシミュレーションにおいてのみ、「絶対に被弾せず、相手の死角を突く最小限の動き」を極めていた。
シオンの圧倒的な演算能力と、ユウキの天才的な戦術眼が完全にリンクする。
(ひぃぃ、怖いけど……今の僕の身体なら!)
ユウキは壁を蹴って空中の死角へ滑り込み、右腕に内蔵された非致死性制圧弾を発射した。
パンッ! パンッ! パンッ!
一発目は天井の鉄骨で跳弾し、柱の裏の男の顎を打ち抜く。
二発目は床を跳ね、バリケード裏の敵の膝を砕く。
三発目は、驚愕して立ち上がった最後の敵のライフルをピンポイントで弾き飛ばした。
わずか3秒。
物理法則と空間を支配し尽くした完璧な制圧劇。
乾いた薬莢の転がる音だけが響く静寂の中、カレンは目を見開いて立ち尽くしていた。
「……あんた、今の動き」
カレンの声が微かに震える。
「天井の跳弾を使って死角を撃ち抜くなんて……どうやって計算したの」
それはかつて放課後の教室で、気弱な親友が嬉々として語っていた「僕が考えた最強の戦術」と寸分違わぬ動きだった。
カレンはふらふらと歩み寄り、シオンの焦げた装甲に触れる。
「答えて。あんた、一体何者なの……?」
(カレン……気づいたの? 僕だよ、ユウキだよ!)
だが、システムロックは彼自身の言葉を紡ぐことを許さない。
『……最適ナ戦術予測パターンヲ実行シマシタ。桐生刑事、負傷ハアリマセンカ?』
無機質な合成音声を聞き、カレンはハッと我に返り、自嘲気味に首を振った。
「……そうね。ただの演算結果よね。機械に、あいつの真似ができるはずないわ」
カレンは強引に心を切り替え、傭兵たちがこじ開けようとしていた貸金庫のボックス를覗き込んだ。
「……彼らの狙いは何だったの?」
ボックスの中に収められていたのは、使い込まれた古びたアタッシュケースだった。
留め金を外して蓋を開けると、革の匂いがふっと立ち上り、幼い日の記憶を呼び起こす。
中には物理ストレージドライブと何冊かの研究論文。
そして、その表紙の片隅に、油性ペンで書かれた見慣れた文字が目に飛び込んでくる。
「……嘘でしょ」
カレンの顔から一気に血の気が引いた。
震える指先が、その文字に触れようとしてピタリと止まる。
「『桐生』……この癖のある筆跡、間違いなく父のものだわ……」
さらに、アタッシュケースの金具の擦り傷、使い込まれた革の質感。
父がいつも肌身離さず持ち歩いていた愛用品と同じだった。
なぜ、父の遺品であるはずのケースとデータが、こんな古いオフライン貸金庫に眠っているのか。
そして、それを手に入れるために、なぜプロの傭兵たちが襲撃してきたのか。
脳裏に、幼い頃の凄惨な記憶――暴走した機械に両親が惨殺された光景――がフラッシュバックする。
ただの強盗じゃない。
この傭兵たちを雇った黒幕は、父の遺したこのデータを狙っていた。
まさか、両親を殺した奴らが、今になって……?
彼女の瞳に、激しい怒りと戸惑いが渦巻く。
Target : KAREN KIRYU
Stress Level : HIGH / Hostility : 95%
(……カレン。君がどんな残酷な真実に直面しても、僕が絶対に盾になるから)
ユウキは静かに駆動音を立て、震える彼女の背中の後ろに、そっと寄り添うように立ち尽くした。




