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白いノートと、君の線  作者: 佐藤 めあ


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第二十四章 週明けの余白

 土曜日と日曜日は、思っていたより静かに過ぎた。


 木曜日に早く帰ったこともあって、母さんには少し心配された。


 週末は家でゆっくりしていなさい、と何度か言われた。


 外に出たのは、家の前に少し出たくらいだった。


 あとは、部屋で本を読んだり、ノートを開いたり、眠くなったら横になったりして過ごした。


 滝さんからも、如月さんからも、連絡が来るわけではない。


 そもそも、気軽に連絡を取り合うようなものを持っているわけでもない。


 誰かに電話をするほどの用事でもなかった。


 だから僕は、ノートの端にぴょん吉を少しだけ描いて、ほとんどの時間を家で過ごした。


 土曜日のぴょん吉は、布団の横で座っていた。


 日曜日のぴょん吉は、布団を片づけようとして、途中で休んでいた。


 休むことまで絵にすると、少し言い訳みたいに見えた。


 でも、月曜日の朝になって体が軽いと、その言い訳にも少し意味があったのだと思えた。


 教室に入ると、週明けの空気があった。


 金曜日の続きなのに、少しだけ間が空いている。


 机も、椅子も、黒板も同じなのに、土日を挟むだけで、教室はほんの少し違う顔をする。


 いつもの席に座った。

 左隣は、まだ静かだった。


 鞄を机の横にかけて、ノートを出す。


 金曜日のページを開く。


 布団から出たけれど、まだ少し眠そうなぴょん吉。


 小さな道を指している筆。


 少しまっすぐになった音符。


『未確認前、経過観察。』


『止まったから、少し描けた。』


『止める人、確認。』


 その下に、土日の文字が少しだけ続いている。


『土曜日、休む確認。』


『日曜日、休み継続。』


 地味だった。


 でも、今はそれでいい気がした。


「おはよう」


 左から声がした。


 滝さんだった。


「おはよう」


 滝さんは席に着くと、すぐにこちらを見た。


「月曜日確認」


「確認されました」


「土日確認」


「ほぼ休みました」


「ほぼ?」


「少しだけ描いた」


「保留」


「少ししか描いてない」


「確認しました」


 滝さんはノートを開いた。


 今日のぴょん吉は、鞄を背負って立っていた。


 でも、片手にはまだ小さな枕を持っている。


 横に小さく書かれていた。


『月曜日、復帰途中。』


「枕、持ってる」


「完全復帰ではないので」


「登校はしてるのに」


「まだ少し家にいる」


「まだ厳しい」


「必要なので」


 滝さんは真面目な顔で言った。


「滝さんは?」


 僕が聞くと、滝さんは少しだけ瞬きをした。


「私?」


「うん。候補は?」


「まだ候補」


「まだ決まってない?」


「たぶん、今日」


「今日決まるかもしれないんだ」


「うん」


 滝さんはノートの端に小さく音符を描いた。


 土曜日と日曜日の間、僕が家で休んでいた間も、滝さんの中では候補の音が残っていたのかもしれない。


 でも、今はまだ聞かないことにした。


 月曜日の朝は、確認することが多い。


 一時間目が始まると、体は思っていたより普通に動いた。


 黒板を見る。


 ノートを取る。


 先生の声を聞く。


 当たり前のことが当たり前にできると、少しだけ安心する。


 ただ、木曜日や金曜日のことがあったせいか、自分の体を確認する癖が少し残っていた。


 息は浅くないか。


 手は遅くないか。


 文字は小さくなっていないか。


 少し面倒だと思った。


 でも、完全に悪いことではない気もした。


 確認しすぎるのは疲れる。


 でも、まったく確認しないよりは、たぶんいい。


 昼休み、如月さんが来た。


「夏美」


「沙耶」


「弁当」


「うん」


 滝さんが弁当箱を出す。


 僕も弁当を出す。


 如月さんが椅子を持ってくる。


 月曜日の昼休みは、金曜日より少し落ち着いていた。


 休み明けだからか、教室の声もまだ少し眠そうだった。


「土日は休んだか」


 如月さんが弁当を開けながら聞いた。


「休みました」


「本当にか」


「ほぼ」


 如月さんの箸が止まった。


 滝さんもこちらを見る。


「少しだけ、ノートにぴょん吉を描きました」


「少しだけ、か」


「本当に少しだけです」


「怒るほどではないが、褒めるほどでもないな」


「評価が細かい」


「お前には細かいくらいでちょうどいい」


 如月さんはため息をついた。


「でも、体は戻ったようだな」


「金曜日よりは」


「ならよし」


 如月さんは短く言った。


 それだけだった。


 でも、昨日までの流れがあったから、その短さが少しありがたかった。


 滝さんがノートの端に何かを書いている。


「何を書いてるの?」


「土日、ほぼ休み確認」


「ほぼが残った」


「重要なので」


「そこまで重要?」


「重要」


 滝さんは小さくうなずいた。


 如月さんがそれを横目で見て言う。


「ほぼではなく、次は完全に休め」


「次がある前提ですか」


「あるだろう」


「怖い」


「お前の場合、言っておいた方がいい」


「信用」


「しているから言う」


 如月さんは唐揚げを食べながら言った。


 金曜日の言葉を、少しだけ思い出した。


 信用しているから止める。


 信用しているから言う。


 如月さんは、言葉を大きくしない。


 でも、短い言葉が後から残ることがある。


 滝さんはそのやり取りを聞いていたけれど、今日は何も書かなかった。


 少しだけ、書かない確認をしているようにも見えた。


 放課後、美術室へ行くと、藤野先生が活動ノートの見本を机に広げていた。


 先週より、少し形になっている。


 表紙。


 美術室の使い方。


 道具の場所。


 活動日の確認。


 最後のメモ欄。


 まだ仮ではあるけれど、冊子らしくなっていた。


「佐倉、体調は?」


 藤野先生が聞いた。


「金曜日よりは大丈夫です」


「土日は休めた?」


「ほぼ」


「ほぼ?」


「少しだけ描きました」


「正直でよろしい」


 先生は少し笑った。


「じゃあ、今日は少し進めましょうか。ただし、飛ばしすぎないこと」


「はい」


 僕は表紙案の前に座った。


 案内している筆。


 小さな道。


 顔を半分だけ出しているぴょん吉。


 山城くんの弟が足した線も、残してある。


 消さずに、少しだけ整えた線。


 見れば見るほど、僕一人で描いたものではなくなっている。


「この線、残ってるんですね」


 山城くんの弟が横から言った。


「残した」


「いいんですか」


「僕はいいと思った」


「ありがとうございます」


 山城くんの弟は、少し照れたように笑った。


 その笑い方を見て、残してよかったと思った。


 自分の線だけではなくなった表紙。


 それは少し落ち着かない。


 でも、嫌ではなかった。


「ここ、少し空いているでしょう」


 藤野先生が表紙の右下を指した。


「はい」


「全部埋めなくてもいいと思うの。余白がある方が、一年生も自分で何か書き込める感じがするから」


「余白」


「そう。案内するけれど、全部決めない」


 先生の言葉を聞いて、僕は表紙を見た。


 案内している筆は、道を指している。


 でも、道の先は全部描いていない。


 ぴょん吉も、全部出てきているわけではない。


 顔を半分だけ出して、様子を見ている。


 余白が残っている。


 それでいいのかもしれない。


「週明けの余白ですね」


 僕が言うと、藤野先生は少しだけ笑った。


「いい言葉ね」


「たぶん、今だけです」


「今だけでもいいのよ」


 僕は鉛筆を持った。


 でも、今日は先週より落ち着いていた。


 全部を直そうとは思わなかった。


 山城くんの弟の線を残す。


 筆の先を少しだけ整える。


 ぴょん吉の目を少しだけ柔らかくする。


 余白は残す。


 それだけで、表紙は少しまとまった。


「これなら、一度コピーしてみてもいいかもしれないわね」


 藤野先生が言った。


「コピーですか」


「うん。見本としてね。配る前に、実際に冊子にした時の見え方を確認しましょう」


 コピー。


 その言葉を聞いた瞬間、少しだけ緊張した。


 紙の上にあった線が、別の紙に移る。


 一枚だったものが、何枚かになる。


 まだ配るわけではない。


 でも、配る手前まで来ている。


「緊張してますね」


 山城くんの弟が言った。


「分かる?」


「はい。ちょっと表情が固いです」


「表情に出てた?」


「少しだけ」


「分かりやすいな、僕」


 僕は少し笑った。


 藤野先生が活動ノートの見本を持ち上げる。


「じゃあ、今日は試し刷りまで。無理はしない」


「はい」


「そこはもう分かってきたみたいね」


 先生にそう言われて、少しだけ胸の奥がむずがゆくなった。


 褒められたのか、確認されたのか、少し分からなかった。


 でも、悪い感じではなかった。


 


 美術室を出ると、廊下で滝さんが待っていた。


 今日は少しだけ表情が明るく見えた。


 楽器ケースを持っている手も、先週より軽そうだった。


「お疲れ」


「お疲れ」


「活動ノートは?」


「コピー前まで進んだ」


「コピー前」


「まだ配らないけど、配る手前」


「手前確認」


「確認されました」


 滝さんは少しうなずいた。


「滝さんは?」


「候補、決まった」


「決まったんだ」


「うん」


「次の音、確認?」


「少し確認」


 滝さんは楽器ケースを持ち直した。


 いつもより、ほんの少しだけ嬉しそうだった。


 音のことは、僕にはよく分からない。


 でも、その顔を見ていると、決まってよかったと思った。


「どんな曲?」


「少し明るい」


「明るいんだ」


「でも、途中が難しい」


「明るくて、難しいんだ」


「明るい方が、難しい時もある」


 滝さんは真面目な顔で言った。


 何となく、分かるような気がした。


 明るいものは、簡単というわけではない。


 元気に見えるものほど、崩れないようにするのが難しい時もある。


 そう考えてから、自分のことを少し思い出して、少しだけ苦笑した。


 そこへ如月さんが来た。


「何の話だ」


「明るい方が難しい話」


 滝さんが答えた。


「また難しい話をしているな」


「曲の話」


「なら、夏美が頑張れ」


「頑張る」


 滝さんは小さくうなずいた。


 如月さんは僕の方を見る。


「佐倉は?」


「活動ノートがコピー前まで進みました」


「そうか」


「配る手前です」


「手前が多いな」


「最近そうですね」


 如月さんは少しだけ肩をすくめた。


「手前で止まれるなら、それでいい」


 そう言って、歩き出した。


 深く言いすぎない。


 でも、ちゃんと拾っている。


 如月さんは、そういう人だった。


 三人で校門へ向かった。


 月曜日の夕方は、金曜日より落ち着いていた。


 土日を挟んだせいか、少しだけ間が空いている。


 でも、その間は空白ではなかった。


 休んだ時間。


 描かなかった時間。


 候補が決まるまでの時間。


 線がコピーされる手前まで来る時間。


 何もしていないように見える時間にも、何かが少しずつ進んでいた。


 校門のところで、滝さんが言った。


「月曜日確認、完了」


「完了?」


「土日確認も完了」


「ほぼ休み確認?」


「ほぼは保留」


「まだ保留」


「次回に期待」


「次回がない方がいい」


「それはそう」


 滝さんは真面目にうなずいた。


 如月さんが横から言う。


「次回を作るな」


「命令ですか」


「命令だ」


「また命令」


「必要だからな」


 僕は少し笑った。


 笑えるくらいには、体は戻っていた。


 


 家に帰ると、母さんが台所から顔を出した。


「おかえり」


「ただいま」


「今日はどうだった?」


「戻り途中」


「途中なのね」


「完全復帰ではないらしい」


「誰に言われたの?」


「滝さん」


「なるほど」


 母さんは少し笑った。


「活動ノートは?」


「コピー前まで行った」


「じゃあ、もうすぐ配るの?」


「たぶん」


「よかったわね」


「うん」


 よかった。


 たぶん、本当にそう思っている。


 でも、少しだけ緊張もしている。


 それを言葉にする前に、いつも通り母さんが鍋をかき混ぜながら言った。


「緊張してる顔ね」


「顔に出すぎじゃない?」


「昔からね」


 母さんはそう言って笑った。


 僕は返す言葉に困って、鞄を置いた。


 夜、ノートを開いた。


 今日のぴょん吉は、布団を片づけ終えていた。


 でも、まだ少し眠そうな顔をしている。


 その横で、筆は小さな道の前に立っている。


 音符は、昨日よりまっすぐになっていた。


 僕はその下に書いた。


『週明けの余白。』


 少し考えて、もう一行足す。


『次の線、配る手前。』


 さらに、滝さんの言葉を思い出して書いた。


『次の音、始まる手前。』


 手前ばかりだった。


 でも、手前にいるから見えるものもある。


 白いノートの端で、ぴょん吉は少し眠そうなまま、片づけた布団の横に立っていた。


 その隣で、筆は道の先を全部は描かずに、少しだけ指している。


 音も線も、まだ始まる手前だった。


 でも、週明けの余白には、ちゃんと次の場所が残っていた。


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