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白いノートと、君の線  作者: 佐藤 めあ


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第十八章 学校に残る線

 土曜日の朝は、平日より少し遅く目が覚めた。


 目覚ましは鳴っていない。


 急いで起きる必要もない。


 制服に着替える必要も、鞄の中身を確認する必要もない。


 その一つ一つを確かめるたびに、平日の朝とは違うのだと体の方が少しずつ分かっていく。


 階下からは、いつも通り母さんの立てる小さな音が聞こえてくる。


 同じ家の朝なのに、学校へ向かう準備がないだけで、時間の流れ方が少し違っていた。


 金曜日に決めた週末確認予定を思い出した。


 一、寝る。


 二、無理しない。


 三、掲示勤務を月曜に確認。


 四、月曜、生存確認。


 たった四つだと思っていたのに、思ったより頭の中に残っていた。


 宿題というほどではない。


 でも、宿題みたいに頭の中に残っていた。


 僕はゆっくり起き上がった。


 無理しない。


 その言葉を最初に確認するみたいに、急がずに布団から出る。


 階段を下りると、母さんが台所にいた。


「おはよう」


「おはよう」


「あら、今日は学校ないのに早いのね」


「早い?」


「平日よりは遅いけど、休みの日にしては早い」


「週末確認予定があるので」


「出た。昨日言ってたやつね」


 母さんは少し笑った。


「まずは何を確認するの?」


「寝る」


「それはもう達成したんじゃない?」


「たぶん」


「たぶんじゃなくて、ちゃんと寝た?」


「寝たと思う」


「じゃあ一つ目、確認ね」


 母さんに言われて、少しだけ可笑しくなった。


 学校がないのに、確認だけは残っている。


 滝さんはいない。


 如月さんもいない。


 でも、昨日の言葉だけが家の中に少し入ってきているみたいだった。


 朝ご飯を食べたあと、僕は部屋に戻った。


 机の上にノートを出す。


 昨日のページには、週末確認予定が書いてある。


『金曜日の未確認。』


 その下に、小さなぴょん吉と筆。


 ぴょん吉は掲示板を見上げている。


 筆は困っているけれど、ちゃんと進行中だった。


 僕はシャーペンを持った。


 でも、すぐには描かなかった。


 今日は学校に行かない。


 だから、掲示を見ることはできない。


 美術部の前の廊下に貼られている紙。


 そこにいる筆。


 そこにいるぴょん吉。


 今ごろ、学校の廊下は静かだろうか。


 土曜日でも、部活に来る生徒はいるかもしれない。


 吹奏楽部は練習があるのだろうか。


 滝さんは、音楽室にいるのかもしれない。


 剣道部も練習しているのだろうか。


 如月さんも、道場で竹刀を振っているのかもしれない。


 そう思ってから、僕は少しだけ手を止めた。


 確かめる方法はない。


 でも、確かめられないからといって、何もないわけではなかった。


 月曜に確認する予定がある。


 僕はノートの端に、小さな掲示板を描いた。


 誰もいない廊下。


 静かな掲示板。


 そこに貼られた美術部の案内。


 困っているけれど進行中の筆。


 その外から、少しだけ覗いているぴょん吉。


 昨日までの学校の音はない。


 でも、線だけは残っている。


 描いてみると、それは少し不思議な絵になった。


 誰もいないのに、完全に空っぽではない。


 掲示がそこにあるだけで、学校の中に小さな気配が残っているように見える。


 僕は少しだけ線を足した。


 廊下の床。


 掲示板の端。


 窓から入る光。


 ぴょん吉の耳。


 筆の先。


 描きすぎないように気をつける。


 無理しない。


 如月さんの声を思い出した。


「無理しない、は本当に守れ」


 昨日、そう言われた。


 声が少し厳しかった。


 でも、その厳しさは嫌ではなかった。


 僕はシャーペンを置いた。


 まだ描けそうだった。


 でも、今やめてもいい気がした。


 無理しない。


 それも今日の確認予定の一つだった。


 昼前、母さんが部屋をのぞいた。


「少し休憩したら?」


「うん」


「描いてたの?」


「学校の掲示」


「学校に行ってないのに?」


「想像で」


 母さんは机の上のノートを少し見た。


「お、ぴょん吉、学校の掲示にも出たの?」


「うん。少しだけ」


「ノートの中だけじゃなくなったのね」


「掲示に出たから」


「じゃあ、出張中みたいなものね」


「勤務中らしい」


「勤務中」


 母さんは少し笑った。


「誰が言ったの?」


「滝さん」


「なるほど」


「藤野先生も似たようなこと言ってた」


「じゃあ、正式に勤務中なのね」


「正式なのかな」


「少なくとも、ちゃんと仕事してる顔に見えるわよ」


 僕はノートのぴょん吉を見た。


 仕事してる顔。


 そう言われると、少しだけそう見えた。


 ぴょん吉はただそこにいるだけなのに、なぜか何かを見守っているように見える。


 筆は困っているけれど、前を向いている。


 その二つが一緒にいるだけで、掲示板の中に小さな物語ができているようだった。


「お昼、軽く食べる?」


「うん」


「無理しない予定なんでしょう?」


「予定です」


「じゃあ、ちゃんと食べるのも予定に入れた方がいいわね」


「五つ目?」


「五つ目」


 母さんは笑って部屋を出ていった。


 五つ目。


 食べる。


 それも確かに必要かもしれない。


 昼ご飯を食べたあと、僕は少し横になった。


 本を読むつもりだったけれど、いつの間にか少し眠っていた。


 目が覚めると、部屋の光が少し変わっていた。


 土曜日の午後。


 学校なら、部活の時間かもしれない。


 音楽室には、クラリネットの音があるかもしれない。


 体育館の方では、剣道部の踏み込む音が響いているかもしれない。


 美術室では、一年生が紙に向かって、静かに線を引いているかもしれない。


 でも、僕は家にいる。


 それは少し変で、でも悪くなかった。


 今日は、ちゃんと休む日だった。


 ノートを見る。


 午前中に描いた、誰もいない学校の廊下。


 そこに残る掲示。


 僕はその下に小さく書いた。


『土曜日、確認不可。』


 少し考えて、その横にもう一つ足した。


『でも、生存中。』


 書いてから、少しだけ笑った。


 滝さんなら、たぶん「確認しました」と言う。


 如月さんなら、「なら月曜まで継続しろ」と言う。


 どちらも、そこにいない。


 でも、何となく声が浮かぶ。


 確認されない時間なのに、完全に一人ではない感じがした。


 夕方になって、少しだけ外へ出た。


 家の近くをゆっくり歩く。


 無理しない程度に。


 道端の草が伸びていた。


 空は少し白っぽい。


 いつもなら学校へ向かう時間のことを考える。


 でも、今日は行かない。


 月曜になったら、また行く。


 学校へ行く。


 教室へ行く。


 左隣に滝さんが座る。


 如月さんが昼休みに来る。


 掲示を確認する。


 生存確認される。


 その予定がある。


 それだけで、土曜日の夕方は少し落ち着いていた。


 夜、ノートを開いた。


 今日のページには、誰もいない廊下があった。


 掲示板には、困っているけれど進行中の筆。


 その外から、ぴょん吉が少しだけ覗いている。


 僕はその横に、もう一度書いた。


『土曜日、生存。』


 月曜に確認される予定の文字だった。


 その下に、小さくもう一つ。


『無理しない、確認。』


 全部を守れたかは分からない。


 でも、今日は大きく崩れなかった。


 それだけで、少しは十分な気がした。


 日曜日の朝は、土曜日より少し静かだった。


 昨日より遅く起きた。


 寝る。


 まず一つ目は確認できた。


 朝ご飯を食べて、少しだけ本を読んで、午後にノートを開いた。


 学校は今日もない。


 でも、昨日ほど変な感じはしなかった。


 一日経つと、確認されない時間にも少しだけ慣れるらしい。


 僕は昨日描いた掲示板の絵を見た。


 ぴょん吉と筆は、まだそこにいる。


 学校に残る線。


 自分がいない場所に、自分の描いたものが残っている。


 そのことを考えると、少しだけ胸の奥が落ち着かなかった。


 でも、最初ほど怖くはなかった。


 線は、全部を自分で見張っていなくてもいいのかもしれない。


 描いたあと、少し離れて見る。


 藤野先生が言っていた。


 近くで描いている時は、迷いばかり見える。


 でも、少し離れると、形になっている部分も見える。


 土日という時間は、少し離れて見るための時間なのかもしれない。


 そんなことを考えた。


 昼過ぎ、母さんが洗濯物をたたみながら言った。


「今日は何か描かないの?」


「少し描く」


「学校の?」


「たぶん」


「たぶんなんだ」


「まだ未確認なので」


「それ、便利な言葉ね」


「便利です」


 僕も母も少し笑った。


 それから、ノートに小さく月曜日の教室を描いた。


 まだ誰もいない朝の教室。


 窓側から二列目。


 後ろから三番目。


 左隣の席。


 そこに小さく、ぴょん吉を座らせた。


 掲示板ではなく、教室の席にいるぴょん吉。


 月曜の確認を待っているような顔にしたかった。


 でも、描いてみると、少しだけ落ち着かない顔になった。


 たぶん、それで合っている。


 月曜日が少し楽しみで、少し落ち着かない。


 そういう顔だった。


 夕方、日曜日の空は少し早く暗くなったように感じた。


 明日は学校がある。


 そう思うだけで、土曜日とは違う緊張が出てくる。


 週末確認予定を見返す。


 一、寝る。


 二、無理しない。


 三、掲示勤務を月曜に確認。


 四、月曜、生存確認。


 一と二は、たぶんできた。


 三と四は、明日になる。


 まだ未確認。


 でも、確認予定。


 その違いは、思っていたより大きかった。


 夜、僕はノートの最後に小さく書いた。


『日曜日、未確認継続。』


 少し考えて、隣にもう一つ書いた。


『月曜、確認予定。』


 土曜日のページには、『土曜日、生存。』


 日曜日のページには、『月曜、確認予定。』


 並べて見ると、週末が少しだけ形になった気がした。


 学校には行かなかった。


 滝さんにも会わなかった。


 如月さんにも会わなかった。


 でも、何もなかったわけではない。


 寝た。


 無理しないようにした。


 ノートを開いた。


 学校に残る線のことを考えた。


 月曜に確認される予定を、少しだけ待った。


 白いノートの端で、ぴょん吉が月曜日の教室を見ていた。


 その横で、筆は困っているけれど、ちゃんと前を向いていた。


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