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34.

 




 月明りすら届かないほどに木々が鬱蒼と生い茂る『東の迷いの森』。

 そこは、禍々しい瘴気と濃い霧に包まれていた。


 ギチギチと不気味な顎の音を鳴らす巨大な蜘蛛の魔物。

 鋭い牙から毒の粘液を滴らせる漆黒の狼たち。

 常人であれば足を踏み入れた瞬間に命を落とすであろう凶悪な魔物の群れが、森の侵入者を排除しようと次々に襲いかかってくる。



「……ああっ、もう! 邪魔ですっ、どいてください!」



 しかし、そんな魔物たちの包囲網を、ひとすじの強烈な神聖魔法の光が容赦なく薙ぎ払っていく。

 その間も足を動かし続けながら、セレナは猛然と森の中へ突き進んでいた。

 彼女の周囲には高密度の魔力の嵐が吹き荒れている。

 立ち塞がる魔物たちはその圧倒的な力の前に触れることすら叶わず、次々と浄化の光に飲み込まれて消滅していく。



「ハァッ……ハァッ……!」



 息を切らし、木の枝で頬に擦り傷を作りながらも、セレナの足は止まらない。

 一人で魔物の巣窟へ飛び込むなど、正気の沙汰ではない。

 だが、彼女にはどうしても足を止めることができない切実な理由があった。

 彼女の脳裏をよぎるのは、前世で彼女がやり込んでいたあるゲームの記憶だ。


 タイトルは、『灰色のエピローグ ―死にたがりの英雄に贈る挽歌―』。

 通称『灰エピ』と呼ばれ、美麗なイラストと緻密な世界設定で人気を博した作品である。

 そして、そのゲームのメインヒーローこそが、他ならぬアルドリックなのだ。


 原作ゲーム『灰エピ』に登場する数年後の彼は、今とは全く別人と言ってもいい性格をしている。


 王国騎士団などとうの昔に離脱し、荒んだ目をした一匹狼の凄腕冒険者。

 彼はどんなに強大で絶望的なモンスターが相手だろうと、決して誰ともパーティーを組もうとはせずたった一人で挑んでいく狂戦士となっていた。

 己の命を顧みない無謀な戦い方は、まるで戦いの中で自らの死を望んでいるかのようだった。


 なぜ騎士であるはずの彼が、死にたがりの狂戦士に成り果ててしまったのか。

 物語が進むにつれて明かされるのは、彼がそうなってしまった原因。

 ゲーム本編開始から数年前に起きた悲劇の全貌だ。



『俺は……幼馴染二人を殺した。英雄なんかじゃない。ただの、人殺しなんだ』



 焚き火の前で、血を吐くような悲痛な声で語られたその過去。

 それは、あまりにも残酷で、救いのない物語だった。


 数年前の秋、彼の主君であった第二王子が何者かに誘拐され、長きにわたって行方不明となった。

 彼ともう一人の幼馴染は、不眠不休で第二王子を探し続けたという。

 そして、ようやく王子が監禁されている地下施設を発見した時。

 王子はすでに、恐ろしい人体実験の果てに『人間爆弾』へと改造されていた。


 スイッチ一つで、王都全域を吹き飛ばすほどの爆発を起こす。

 そんなおぞましい兵器に変えられてしまっていたのだ。

 助けに来た親友たちの顔を見て、拘束具に繋がれた王子は、最後の理性を振り絞ってこう懇願した。



『頼む、アルドリック。……僕を、殺してくれ』



 その言葉に酷く葛藤し、血の涙を流しながらも。

 アルドリックは愛する親友の胸に自らの剣を突き立てた。


 ――だが、悲劇はそれで終わらなかった。


 十年来の付き合いがあった王子を、もう一人の幼馴染が手にかけた。

 そのあまりに凄惨な光景を前にして、彼女の精神は完全に崩壊してしまった。

 心を病み、深い絶望の底に落ちた彼女の心の隙を突き。

 恐ろしい悪魔がその身を乗っ取ったのだ。


 彼女の姿をした悪魔は、圧倒的な魔力で王都を火の海に変えた。

 燃え盛る王都を背に、かつて愛した少女の顔で狂ったように笑う悪魔。

 それを止めるためアルドリックは再び自らの剣を抜き、彼女の首を刎ねたのである。



『アルドリックの心はその日、永遠に氷結した。それが物語の始まり(プロローグ)である』



 公式ファンブックのキャラクター紹介ページに記された、その無慈悲な一文。

 ゲームが発売された当時、プレイヤーたちからは「泣いた」「鬼畜すぎる」「公式には人の心がないのか」と悲鳴のような感想がネット上に続々とあがった。


 あまりの救いのなさに、二次創作界隈では「もし誰も死ななかったら」という三人の幸せなIFストーリーや、平和な日常を描いたギャグ漫画などが爆発的な勢いで作られた。

 公式側もそのプレイヤーたちの熱量と悲しみの動きを察したのか、後日、本編の前日譚として、三人が平和な学園生活を送るボイスドラマCDや、外伝小説などが発売された。


 そうして彼ら三人は、セレナの中で何よりも幸せになってほしい『推し』となった。


 ゲームの中の悲劇を、この現実で繰り返させてなるものか。

 アルドリックの心を氷結させ、シャルミーヌを絶望に突き落とし。

 カシウスを死なせるなんて、絶対に許さない。



「今なら、まだ間に合うはず……っ!」



 セレナは両手で自らの頬をバシンッと強く叩き、気合を入れ直した。

 カシウスは原作の誘拐イベントよりも前に、自らの意思で姿を消した。

 原作でも小説でも、彼が指輪を求めたなどという記述はどこにもなかった。


 それに姿を消す直前の、あの儚げな態度。 

 おそらく彼は、伝説の指輪の力を使って自らを犠牲にしようとしているのだ。

 あの誰よりも頭が良くて、意地悪で、そして誰よりも不器用な優しさを持った王子。

 彼はたった一人で友の未来を守ろうとしている。



「そんなの駄目です! アタシが……アタシが、絶対に変えてみせます。あんな悲しい物語、絶対に起こさせない!」



 今のアルドリックはシャルミーヌに真っ直ぐな想いをぶつけ、照れながらも不器用に笑う青年だ。

 シャルミーヌだって、ツッコミを入れながらも彼を深く慈しんでいる。

 それに、カシウスだって、性根は優しくてあの二人の幸せを誰よりも願っているはずなのだ。


 この世界が、単なるデータの集まりではないことをセレナは知っている。

 彼らの体温も言葉も、共に過ごした時間も、すべてが本物なのだ。


 そしてついに、森の最深部へと辿り着いた。

 そこには、崖の側面にぽっかりと口を開けた、古い遺跡のような隠し扉が存在していた。

 周囲には強力な認識阻害の魔法陣が張られていたが、セレナの眼を誤魔化すことはできない。



「ここだ……!」



 迷うことなく飛び込む。

 そこには冷たい石造りの階段が、地下深くへと果てしなく続いていた。

 カビと湿った土の匂い、そして微かに漂う血と濃密な魔力の気配。


 セレナは一段飛ばしで階段を駆け下りていく。

 ひんやりとした空気が肌を刺すが、彼女の心臓は熱く激しく鼓動していた。


 長い階段を抜け、たどり着いた地下室。

 壁一面に不気味な拷問器具が並べられた不気味な場所。

 中央には頑丈な鉄格子で囲まれた牢屋が鎮座する、まさしく地獄のような空間だった。

 原作でカシウスが何者かに閉じ込められ、絶望の果てに人間爆弾へと変えられた場所。


 セレナは息を呑み、鉄格子へと駆け寄った。

 薄暗い牢屋の中。

 冷たい石の床の上に見慣れた金糸の髪を血と汗に塗らせ、力なく倒れ伏している一つの影があった。



「……カシウス様っ!!」



 セレナは鉄格子を強く握り締め、悲痛な叫び声を上げた。

 彼の白いシャツは赤黒く染まり、その息遣いは酷く浅く、途切れ途切れだった。


 最悪の事態はまだ起きていない。

 だが、彼の命の灯火が今まさに消えかかっていることだけは、誰の目にも明らかだった。





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