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33.

 




「シャルミーヌ様、アルドリック様!! 大変です!!!!」



 息を切らせながら食堂へ戻ってきたセレナの叫び声に、二人が弾かれたように立ち上がった。

 メイドが落とした銀の匙が床で高い音を立てたが、誰もそれを顧みる余裕はなかった。

 セレナの頬は血の気を失い、幽霊でも見たかのように青ざめている。



「セレナさん!? どうしたの、そんなに慌てて――」

「これを見てください……。カシウス様がっ……カシウス様が、いなくなりました!」



 セレナは手にした黒い革張りの本と、一枚の便箋をテーブルの上に叩きつけるように広げた。

 シャルミーヌがすかさず便箋を手に取り、そこに記された流麗な文字に素早く目を通す。

 その顔から、サァッと血の気が引いていくのがわかった。


「……『野暮用ができたから、出かけてくる』? 『探さないでくれ』……?」



 シャルミーヌの声が微かに震える。

 隣から手紙を覗き込んだアルドリックも、険しい顔つきで眉をひそめた。



「カシウスが、俺たちに何の相談もなく姿を消した……?」

「それに、この本……まさか……っ」



 シャルミーヌの視線が、テーブルに置かれた本へと移る。

 先日の勉強会で話題に上った、命や魂を代償にして願いを叶えるという恐ろしい伝説の指輪について書かれた本だ。

 事態の異常性を悟ったシャルミーヌは、瞬時に公爵令嬢としての表情を作った。 

 そして、壁際に控えていた使用人たちへと問いかける。



「誰か、殿下がお部屋から出られるのを見た者はいない!? 正面玄関や、裏口でも構わないわ!」



 しかし、使用人たちは皆一様に青ざめた顔で顔を見合わせ、首を横に振るばかりだった。



「も、申し訳ございません、お嬢様。殿下のお姿は、お昼過ぎからどなたも拝見しておらず……」

「玄関の警備兵にも確認しましたが、誰も通っていないと……」



 その報告を聞き、アルドリックが重々しい声で口を開いた。



「おそらくだが、自室から直接転移したんだろう」

「転移魔法……!?」

「ああ。王族の中でも、カシウスの魔力と魔法技術は歴代最高と謳われている。この別邸の警備網に引っかからずに外へ出たとなれば、それしか考えられない」



 アルドリックの冷静な分析に、セレナの焦燥感はさらに膨れ上がった。

 転移魔法が使えるのなら、彼はすでにこの別邸から遠く離れた場所にいる可能性が高い。

 このままでは彼が指輪を見つけ出し、取り返しのつかない最悪の結末を迎えてしまうのではないか。



「なにか……なにか手がかりはないんですか!? カシウス様はきっと、この本に書かれている全能の環を探しに行ったんだと思います!」



 セレナは祈るように両手を組み、アルドリックにすがりついた。



「アルドリック様! この指輪が封印されている場所、わかりませんかっ! グラディオラス侯爵家なら何かご存知なんじゃ……!」



 その問いかけにアルドリックは驚いたように目を見開き、少しの間考え込んだ。

 テーブルの上の本をじっと見つめ、記憶の糸をたぐるように重々しく口を開く。



「確証はない。だが……おそらく、あそこだ。ここから北東にある、険しい岩山の奥深くにある祠。そこにはヘリオトロープ家の遺品が多く封印されていると聞いている。もしカシウスが指輪を求めているならきっとそこへ向かうはずだ」

「なら、ぐずぐずしてる暇はないわね」



 明確な目的地が示され、シャルミーヌの瞳に強い光が宿った。

 彼女はすぐさま使用人たちに向き直り、矢継ぎ早に指示を飛ばす。



「すぐに領軍の兵士たちを召集して! 王都のグラディオラス侯爵邸にも早馬を出し、状況を報告すること。私とアルも、今すぐその祠へ向かいます! それと、祠にいなかった時のために、別邸周辺の街道や港にも捜索隊を出してちょうだい!」



 次々と的確な指示を出すシャルミーヌの姿は、上に立つ者としての頼もしさに満ちていた。

 使用人たちが慌ただしく動き出し、屋敷全体がにわかに騒然とした空気に包まれる。

 だが、セレナの胸に渦巻く黒い不安は、それでも晴れることはなかった。


(もし、その祠にカシウス様がいなかったら? 原作の『イベント』が前倒しで起きたんだとしたら……?)


 原作ゲームにおいて、カシウスはある場所で命を落とした。

 それは、別邸のあるこの南部地方のさらに奥地。

 凶悪な魔物が巣食う東の迷いの森の地下深くにある、名もなき隠し牢だった。


 万が一彼が祠ではなく、その東の森の地下に連れ去られてしまったのだとしたら。

 祠の捜索に全力を注いでいる間に、彼は一人で絶望の淵に突き落とされてしまう。



「シャルミーヌ様、アルドリック様……!」



 セレナはギュッと拳を握り締め、覚悟を決めたように顔を上げた。



「万が一の時のために、アタシっ、東の森を探してみます!」

「……え?」



 その言葉にシャルミーヌが動きを止め、信じられないものを見るような目を向けた。



「な、何を言っているの、セレナさん!? 東の森って、あの『迷いの森』のこと!? そんな危険な場所に、あなた一人で行かせるわけないでしょう!」

「シャルの言う通りだ! 君一人で森に入るなど正気の沙汰ではない。そんな真似、絶対に許可できない!」


 アルドリックも血相を変えて猛反対する。

 当然の反応だった。

 一介の男爵令嬢が護衛もつけずに魔物の巣窟へ向かうなど、自殺行為に等しいのだから。

 しかし、セレナの瞳に宿る決意の炎は揺るがなかった。



「お願いします! 東の森の奥深くに、古い地下施設があるって聞いたことがあるんです。もしカシウス様がそこにいたら……! 祠の捜索だけじゃ、間に合わないかもしれない!」

「カシウスがそこにいるという根拠は!」



 アルドリックの鋭い追及に、セレナは言葉を詰まらせた。



「……っ、ありません! 根拠なんて、言えません!」



 既にセレナが知っている展開からは多くのことを変えてしまった。

 自分の介入によって物語が歪み、全く別な未来になっている可能性すらある。



「でも! 少しでもその可能性があるなら、アタシは行きたいんです!」

「だとしても、私たちが森への捜索隊も手配するわ! あなたが危険を冒す必要は――」

「忘れましたか!?」



 セレナはシャルミーヌの言葉を遮り、力強く叫んだ。



「アタシは……!アタシは、一人で疫病を蔓延させていた魔獣を倒したんです!」



 それは、彼女が入学二か月目に成し遂げた功績の一つだった。

 彼女の真っ直ぐな訴えに、シャルミーヌとアルドリックは言葉を詰まらせた。

 彼女はただのか弱い令嬢ではなく、常識を覆すほどの強大な力を秘めている。

 伊達に市井で聖女と言われていないのだという強い意志を瞳に宿して、彼女は言葉を続けた。


「それに……アタシ、絶対に死にません。絶対に無事に帰ってきて、また三人でカシウス様と一緒に笑い合うんです! あの尊い日常を、こんなところで終わらせるわけにはいかないんですっ!」



 大粒の涙を瞳に溜めながら、必死に食い下がるセレナ。

 その必死の覚悟とカシウスを想う強い心に触れ、シャルミーヌは小さく唇を噛んだ。

 数秒の重い沈黙の後。

 シャルミーヌは深く息を吐き出し、負けたとばかりに肩を落とした。



「……わかったわ。森の捜索は、あなたに任せる」

「シャル! だが……!」

「アル、これ以上は無駄よ。彼女、私たちが何を言っても一人で飛び出していくに決まってるわ」



 シャルミーヌはアルドリックを制止すると、セレナの両肩を両手でしっかりと掴んだ。

 そして、その瞳を真っ直ぐに覗き込む。



「いい、セレナさん。行くのは許可するけれど、絶対に……絶対に無茶だけはしないで。少しでも危険を感じたらすぐに引き返すこと。約束できる?」

「シャルミーヌ様……っ」



 その声には、厳しい響きの中にも、セレナを深く案じる優しさが溢れていた。

 セレナはぐしぐしと目元を袖で乱暴に拭うと、涙混じりの満面の笑みを浮かべた。



「はいっ! 必ず、絶対に戻ってきます!」

「ええ、信じているわ。……私たちは祠へ向かう。いいわね、アル」



 アルドリックは反対はせず、無言で力強く頷いてみせた。

 二人の心強い後押しを受け、セレナはぐっと手を握りしめた。


 セレナはくるりと二人に背を向け、一度自身に貸されている客室へ立ち寄った。

 そして、動きやすい恰好に手早く着替え、短剣を持つとすぐに屋敷の玄関へと駆け出す。


 目指すは、不吉な魔物が潜む東の森の奥深く。

 夕闇が迫る空の下、セレナは大切な推しを救い出すために。

 己のすべての力を懸けて森へと走り出したのだった。






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