31.
どこまでも続く青く晴れ渡る空から、容赦なく太陽の光が降り注いでいる。
視界の先には透き通るようなエメラルドグリーンの大海原が広がり、砂浜は白く輝いている。
ここはローズブランシュ家が所有する領地内にあるプライベートビーチだ。
一般の立ち入りが禁じられたその白い砂浜に、場違いなほど元気な叫びが響き渡った。
「わーー!! 夏だ! 海だ! 自由だぁぁぁ!!」
声を上げたのは、弾けるような笑顔を浮かべたセレナだった。
今日の彼女は軽やかなキャミソールにフリルがあしらわれたミニスカートという、開放的な装いに身を包んでいる。
抑えきれない興奮を全身で表現するように、彼女はさらさらの砂を蹴り波打ち際へと駆け出した。
その隣でシャルミーヌはつばの広い麦わら帽子が風で飛ばされないよう手で押さえながら、呆れたように苦笑を浮かべてため息をついた。
「セレナさん、はしゃぎすぎよ。……まあ、気持ちは分からなくもないけれど」
そんなシャルミーヌの衣装もまた、いつもの厳格な令嬢の姿とは一線を画していた。
白い肌をより一層際立たせたシックな紺色のハイネック水着に、半透明のパレオを腰に巻いている。
胸元のレースアップが程よいアクセントとなったお洒落なデザインだ。
気品あふれる佇まいは、まるで神話の世界から海へと舞い降りた女神のようであった。
砂浜で急ブレーキをかけたセレナが、勢いよく振り返って目を輝かせる。
「シャルミーヌ様、何度も言いましたが、めちゃくちゃお美しいです!眩しすぎます!最高です!!」
「あ、ありがとう……」
道中何度も言われたものの未だに慣れないその絶賛に、シャルミーヌは頬を微かに染めて視線を逸らす。
「その照れる姿も素敵です!!」
「う、うるさいわよ。……貴女も、その、よく似合っているわ。可愛いわよ」
「きゃーー!!!! 推しからのファンサーー!!」
セレナが砂浜でぴょんぴょんと跳ね、喜びを爆発させる。
そんな賑やかな女性陣に続くように、男性陣もまた、その個性を色濃く反映させた姿で現れた。
アルドリックは、期待を裏切らない「ザ・騎士」と呼ぶべき肉体美を惜しみなく晒している。
日光に反射して鈍く光る鍛え上げられた上半身は、日頃の修練の賜物だろう。
その逞しい肩には冷却魔法の付与された大きなクーラーバッグを軽々と下げている。
一方でカシウスは対照的だった。
彼は水着の上に薄手のシャツを羽織っており、到着するなり木陰に設置されたデッキチェアへと直行した。
「カシウス、泳がないのか?」
アルドリックが不思議そうに問いかける。
カシウスは短く頷くと、優雅な所作で椅子に身を預けながら微笑んだ。
「僕はここで君たちを鑑賞する側に回るとするよ。……あ、さっそくセレナが転んだ」
「あいたぁ!」
「何やってるのセレナさん!?」
波打ち際で派手に転倒し尻もちをついたセレナを見て、シャルミーヌが慌てて駆け寄っていった。
照りつける太陽によって熱せられた砂は、素肌に触れると火傷しそうなほどに熱い。
「もう、相変わらずドジなんだから。怪我はない?」
「へへっ、大丈夫です! ちょっと砂浜のトラップに引っかかっただけで!」
「強がらなくていいわよ。ほら、手を出して。砂を払うから」
シャルミーヌは文句を言いながらも、ハンカチを取り出してセレナの膝についた砂を丁寧に払う。
その横顔には、普段のツンとした態度からは想像もつかないほど優しい色が浮かんでいた。
そこへ、クーラーバッグをカシウスの近くに置いたアルドリックが砂を蹴立てて歩み寄ってくる。
「砂浜は足場が悪い。体幹がブレている証拠だぞ、セレナ。日頃の鍛錬が足りないのではないか?」
「ちょっとアルドリック様! か弱き乙女に騎士団の脳筋基準を押し付けないでくださいよー!」
「脳筋とは心外な。いかなる環境でも十全の力を発揮できてこそ、護衛の任を果たせるというものだ」
アルドリックは真面目な顔で頷き、日焼けした逞しい肩をぐるぐると回して首の骨を鳴らした。
冗談が全く通じない生真面目な騎士の返しに、セレナは思わず天を仰ぐ。
そんな三人の漫才のようなやり取りを、カシウスは木陰のデッキチェアから優雅に微笑んで眺めていた。
「カシウス様ー! 本当に泳がないんですか? 水、すっごく気持ちいいですよ!」
セレナが両手を口元に当てて大声で叫ぶと、カシウスはひらひらと手を振り返した。
「僕はここで十分楽しませてもらっているからね。気にせず遊んでおいで」
相変わらずの完璧な王子スマイルだ。
だが、燦々と輝く太陽の下で一人だけ日陰に留まるその姿に、セレナはほんの少しだけ違和感を覚えた。
「それじゃあ、冷たい飲み物でも飲んでいてください! 熱中症になっちゃいますから!」
パラソルの下に入ると、チリチリと肌を焦がすような日差しが遮られ、ふっと涼しい風が吹き抜ける。
セレナはクーラーバッグからよく冷えた水筒とグラスを取り出し、カシウスに渡した。
「はい、どうぞ! 特製のキンキンに冷えたアイスティーです!」
「ありがとう、セレナ。気が利くね」
カシウスがグラスを受け取ろうと手を伸ばす。
その瞬間、彼とセレナの指先がふいに触れ合った。
「……えっ?」
思わず、セレナの口から小さな驚きの声が漏れる。
冷たい。異常なほどに冷たいのだ。
それは氷のように冷えたグラスの結露のせいではない。
むせ返るような真夏の熱気の中にあって、彼の体温だけがすっぽりと抜け落ちているかのようだ。
驚いて顔を見上げると、一瞬だけ、カシウスの余裕に満ちた笑みが苦痛に歪んだように見えた。
「カシウス、様……? その腕、氷みたいに冷たい……」
「……ちょっと極度の冷え性なだけさ。驚かせてごめんね」
カシウスはすぐに袖を下ろし、いつもの穏やかな笑顔に戻ってグラスに口をつけた。
「さあ、早く戻っておいで。シャルたちが君を待っているよ」
「あ……はい……」
セレナは引きつった笑顔を返すのが精一杯だった。
本当なら今すぐシャルミーヌやアルドリックに知らせるべきだ。
だが、あの全てを諦めたような、それでいて愛おしそうに海辺を見つめるカシウスの瞳を見てしまえば、口を閉ざすしかなかった。
◇◇◇
ビーチバレーをしたり、浅瀬で貝殻を探したりして一通り遊び終わった後。
水平線に溶けていく夕日が、白い砂浜を燃えるような朱色に染め上げていた。
先ほどまでの騒ぎが嘘のように、今はただ、寄せては返す波音だけが規則正しいリズムを刻んでいる。
視線の先では、シャルミーヌとアルドリックが少し離れた波打ち際を歩いている。
夕闇が迫る中肩を並べて睦まじく言葉を交わす二人のシルエットは、まるで一枚の完成された絵画のようだった。
その光景をカシウスは一人、デッキチェアに深く腰掛けて眺めていた。
傍らのテーブルには飲みかけのアイスティーが置かれている。
氷はとうに溶け切り、グラスの表面を伝う水滴がテーブルを濡らしていた。
「カシウス様……?」
不意に届いたのは、控えめながらも心配を隠しきれないような声だった。
カシウスが視線を向けると、そこにはセレナが立っていた。
彼女は片付けの手を止め眉を八の字に下げて、不安そうにカシウスの顔を覗き込んでいる。
「……セレナ? どうしたんだい、そんな顔をして」
カシウスは瞬時に笑って対応した。
口角を絶妙な角度で上げ、余裕と慈愛を感じさせる柔らかな微笑。
それは王族としていかなる時も周囲に不安を与えぬよう、幼い頃から厳しく躾けられ身に着けた仮面だ。
「どうしたのかはアタシのセリフですよ。さっきからなんだか顔色が……」
セレナが詰め寄り彼の額に手を伸ばそうとして、ふと今朝のことを思い出したように動きを止めた。
指先が宙を泳ぎ、気まずそうに降ろされる。
カシウスはその微かな躊躇を、笑顔の裏で逃さず捉えていた。
「うーん。自分では自覚がないけれど、少し潮風に当たりすぎたかな。大丈夫だよ、セレナ」
優しく、どこまでも穏やかな声。
だがセレナの推しを想う直感は、その言葉が真っ赤な嘘であることを告げている。
「でも……。もし少しでも具合が悪いなら、シャルミーヌ様に言って早めにお部屋で休んだほうがいいですよ。無理は禁物です!」
「気持ちは嬉しいけど本当に大丈夫だって。それより……セレナ。あっちの二人を見てごらん。幸せそうだと思わないかい?」
カシウスが指差す先では、顔を赤らめたシャルミーヌをアルドリックが真っ直ぐな瞳で見つめていた。
その光景を映すカシウスの目は、ふっと細められる。
西日に照らされた彼の横顔は今にも光の中に溶けて消えてしまいそうなほどに儚く、それゆえに落ちる影はどこまでも濃かった。
「このまま時間が止まればいいのにって、本気で思ってしまうよ」
突き放すような冷徹さと、縋り付くような切実さが同居したその言葉。
セレナは喉まで出かかった言葉を飲み込み、それ以上踏み込むことができなかった。
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