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28.

 




 あの前代未聞のお見合い騒動から数日後のこと。

 王立学園の生徒会室には、すっかり見慣れた顔ぶれとなった四人の姿があった。


 開け放たれた窓からは夏の始まりを感じさせるような温かさをはらんだ風が吹き込み、薄手のカーテンをふわりと揺らす。



「いやあ、思い返してみても本当に見事な大団円だったね。まさかあのグラディオラス侯爵が、あんなに綺麗に泣き崩れるとは思わなかったよ」



 優雅な手つきでティーカップを傾けながら、カシウスがくすりと笑う。

 その視線の先には、両手で顔を覆い、深々と溜息をついているシャルミーヌがいた。



「カシウスは、あの状況を楽しんでいたわよね……。最初から全部お見通しだったってわけ? 私はもう、本当に寿命が縮むかと思っていたわよ」

「シャルミーヌ様の言う通りですよ! カシウス様ったら、私がお見合いの席に突撃するまで、ずっとテラスで面白そうに高みの見物を決め込んでいたんですから!」



 セレナが頬を膨らませて抗議するが、カシウスは悪びれる様子もなく肩をすくめるだけだ。



「でも、結果オーライじゃないか。これでアルドリックとシャルミーヌの邪魔をする縁談も、見事に白紙に戻ったわけだしね」

「そ、それはそうですけれど……っ」



  シャルミーヌが顔を赤くして言葉を濁したときだった。

 隣に座っていたアルドリックが、まるで待っていましたとばかりに身を乗り出し、シャルミーヌの両手を熱烈に握りしめたのである。



「ああ、その通りだ! 君のその恥じらうような赤い頬を見るたびに俺の心臓は早鐘を打ち、今すぐにでも君を抱きしめたく――」

「だーかーら! 生徒会室でそういうの言わないでってば!」



 シャルミーヌは真っ赤な顔でアルドリックの手を振り払い、彼の脛をテーブルの下で容赦なく蹴り飛ばした。

 相変わらずの重すぎる愛とブレない姿勢に、シャルミーヌは再び深々と頭を抱えるしかない。



「ふふっ、お二人は今日も平常運転ですね」



 そのドタバタとしたやり取りをセレナが両手を頬に当てながら、尊いものを拝むようなキラキラとした目で見つめている。

 平和な日常が戻ってきたことを噛み締めるように、彼女はテーブルの上に置いてあったクッキーを手に取りかじると、ふと思いついたように顔を上げた。



「そういえば皆さん! もうすぐ夏休みですね! 今年の夏の予定はもう決まっているんですか?」



 セレナの明るい声に、室内の空気が少しだけ切り替わる。

 カシウスはカップをソーサーに戻し、少しだけ面倒くさそうに息を吐いた。



「僕の予定は、まだはっきりとは決まっていないんだ。ただ、例年通りなら湖の近くにある王家所有の避暑地へ行くことになりそうかな。静かで良い場所だけれど、毎年同じ景色だから少し退屈でもあるね」

「あそこ、涼しくて過ごしやすいからいいじゃない」



 王族と公爵家という庶民とはかけ離れた次元の夏の過ごし方に、セレナはただただ感心の溜息を漏らす。



「はぇー、王家の避暑地が退屈だなんて、なんて贅沢な……! でも、確かに毎年同じっていうのは少し物足りないかもしれませんね。シャルミーヌ様はどうなんですか?」

「私は、領地にある別邸で過ごす予定よ」



 シャルミーヌが姿勢を正して答えると、セレナの目がパァァッと輝いた。



「領地の別邸! もしかして、ローズブランシュ公爵家の海辺の別荘ですか!?」

「ええ、そう。南部の海に面したところに小さな別邸があって、夏の間はそこで避暑を兼ねて過ごすのが毎年の恒例になっているの。目の前がプライベートビーチになっていて、とても静かで良いところなのよね」



 シャルミーヌが窓の外の青空を見上げながら、心地よい潮風を思い出すように目を細める。

 真っ白な砂浜と、どこまでも広がる透き通った青い海。波の音だけが聞こえる穏やかな時間は、王都での忙しない日々を忘れさせてくれる彼女のささやかな楽しみだった。



「うわああ、海! いいなあ、羨ましいです! 私、ずっと海に行ってみたかったんです! 真っ白な砂浜で貝殻を拾ったり、波打ち際でパチャパチャしたり……最高じゃないですか!」



 セレナは身を乗り出し、両手を握りしめて熱弁を振るう。

 彼女の家である男爵領は山間部に位置しており、海を見る機会は滅多にないのだという。

 目を輝かせて海への憧れを語るセレナの姿を見てシャルミーヌは少しだけ考え込むと、やがて優しく微笑んだ。



「……ねえ、セレナさん。海、そんなに行ってみたい?」

「えっ? は、はい! そりゃあもう、すごくすごく行ってみたいです!」

「それなら……よければ、私たちの別邸に来る? 招待するわよ」

「ええっ!?」



 シャルミーヌの思いがけない提案に、セレナは素っ頓狂な声を上げた。



「ほ、本当ですか!? 私みたいな男爵家の娘が、公爵家の別荘にお邪魔してもいいんですか!?」

「もちろんよ。お見合い騒動の時は、あなたに一番助けられたもの。あの時のお礼もまだちゃんとできていなかったし、これくらいはさせてちょうだい」

「シャルミーヌ様……っ! 貴女が女神さまですか!」



 セレナは感動のあまり、今にも泣き出しそうな顔でシャルミーヌの手を握った。

 しかしすぐにハッとしたように顔を上げると、隣で優しく微笑んでいるカシウスへと振り返った。



「あ、あのっ! カシウス様も、もしよろしければご一緒しませんか!? 湖の避暑地も素敵ですけれど、海も絶対に楽しいと思うんです!」



 セレナの思い切った無邪気な誘いに、シャルミーヌも目を瞬かせたが、すぐに柔らかく微笑んで頷いた。



「ええ、もちろんカシウス殿下も大歓迎ですわ。殿下にも、騒動の折には大変お世話になりましたから。よろしければ、ぜひいらしてください」



 突然誘いを受けたカシウスは、少しだけ驚いたように目を丸くする。

 期待に満ちたセレナの瞳とシャルミーヌの誠実な言葉を真正面から受け、カシウスは嬉しそうに目を細めた。



「ふふっ、ありがとう。湖畔での静かな夏も悪くないけれど、賑やかな海辺の休暇というのも魅力的だね。それじゃあ、喜んでご招待に預かろうかな」

「やったぁ!」



 カシウスの快諾の言葉に、セレナは両手を挙げて歓喜の声を上げた。

 そんな三人のやり取りを見ていたアルドリックが、真剣な表情で勢いよく立ち上がる。



「シャル。君が海へ行くというのなら、当然この俺も護衛として同行させてもらうぞ。夏の強烈な日差しや、海に潜む危険な魔物から君の美しい肌を守れるのは、世界中でこの俺ただ一人だからな!」

「誰も魔物が出るような物騒な海には行かないわよ! まったく……アルの分も部屋は用意できるから、勝手にしなさい」

「ほぁぁ! ということは、水着姿のお二人が見られるんですね!」



 呆れながらも許可を出すシャルミーヌにアルドリックは歓喜の声を上げ、セレナはさらに鼻息を荒くしている。

 彼女は完全に浮かれモードで、脳内ではすでに波の音が聞こえていそうだ。


 そんな彼女を見ていたカシウスはふと嗜虐心に駆られ、楽しそうな声色で話しかけた。

 その笑みの奥には、どこか獲物を狙うような底意地が悪い光が宿っている。



「うん。とてもいい計画だね、セレナ。……ところで、君は再来週に迫った期末試験の準備はできているのかな?」



 ピタッ。


 その言葉が落ちた瞬間、セレナの動きが完全に静止した。

 手に持っていたクッキーが、ポロリと皿の上に転がり落ちる。



「……きまつ、しけん?」



 彼女はギギギと錆びた機械のような動きで首を巡らせ、カシウスの方を見る。そこに、シャルミーヌが追い打ちをかけるように涼やかな声を添えた。



「ああ。学年が上がって初めての大きな試験だ。ここで赤点を取れば、当然だが夏休みの間は王都に残り、地獄の補習が待っている。……まさか、君の頭の中はすでに海と水着のことでいっぱいで、勉強に手をつけていないなんてことはないよね?」



 カシウスの容赦ない追及に、セレナの顔からさあぁっと血の気が引いていく。

 彼女はギギギと錆びた機械のような動きで首を巡らせ、カシウスから目を逸らした。


「そ、そんなわけないじゃないですかぁー! 私、やればできる子ですし! まだ二週間もありますし!」

「……セレナさん」


引きつった笑いを浮かべるセレナに、シャルミーヌがジト目を向ける。



「あなた、先日の小テストでもかなり悲惨な点数を取っていたと聞いたわよ? このままじゃ海に行くどころか、王都の教室に軟禁されることになるわよ」

「うっ……!」



 奇跡を起こす聖女として崇められている彼女だが、座学の成績は決して芳しいものではないのだ。



「ど、どどどど、どうしましょう……! 私、赤点常習犯だったし、試験前は一夜漬けで脳のキャパを使い果たすタイプだったのに!」

「ふっ、セレナがそんなに慌てるなんて珍しいね」



 カシウスが顎を手を当てて、意地悪く目を細める。



「君の得意な未来予知とやらは効かないのかい? 出題箇所を予知すれば満点だろう?」

「未来予知だって万能じゃないんです! それに、私が知っている『未来』はカシウス様たちの協力のおかげで既に大分変わっちゃってますから! 試験問題なんて私の脳内には存在しませんっ!」



 セレナは、まるでこの世の終わりでも見たかのように、ガタガタと小刻みに震え始めた。

 脳内で繰り広げられていたであろう、青い海ときらめく水着の妄想は一瞬で霧散し、代わりに分厚い参考書と真っ赤な採点ペンが襲いかかってくる幻覚が見えているようだ。



「……はあ、仕方ないわね」



 シャルミーヌは小さく溜息をつくと、立ち上がってセレナの背中をポンと叩いた。



「私が見てあげるわ。幸い、時間はまだ少しあるもの。試験までの間、放課後はこの生徒会室で私が勉強を教えてあげる。これもお礼の一環ってことにしておくから、しっかりついてきなさい」

「シャルミーヌ様ぁ……! 女神様です、一生ついていきますぅ……!」

「大げさね。それに、私だけじゃ教えきれない科目もあるかもしれないし」



 シャルミーヌがちらりと視線を送ると、カシウスが面白そうに肩をすくめた。



「まあ、そういうことなら僕も少しは手伝ってあげようか。セレナが赤点を取って海に行けなくなるのは、僕としてもつまらないからね。公務の合間の良い暇つぶしになりそうだ」

「俺も協力しよう! シャルの美しい声で授業が行われるというのなら、俺の記憶力は通常の百倍に跳ね上がり、共にいるだけで世界中の知識を吸収できる気がする!」

「アルは自分の勉強をしてなさい!」


 シャルミーヌの鋭いツッコミが入りつつも、こうして四人による臨時の勉強会が結成されることになった。

 涙目になりながら感謝するセレナを見て、シャルミーヌは最後に、にっこりと極上の笑みを浮かべて宣告した。



「ただし、条件があるわ」

「じょ、条件……ですか?」

「ええ。もし一つでも赤点を取って補習に引っかかったら……海へ行く予定は、即刻『なし』にするから。そのつもりで必死にやりなさい」



 その冷酷無比な宣告に、セレナはヒィッと短い悲鳴を上げ、顔を真っ青にさせた。

 海への憧れと、推しカプの水着姿を拝むという野望。さらには大好きなカシウスとの旅行。それが今、風前の灯火となっているのだ。



「が、ががが、頑張ります! 私、死ぬ気で勉強しますぅぅぅっ!」



 悲壮な決意を叫ぶセレナの姿にカシウスが声を立てて笑い、アルドリックが何やら愛のポエムを口ずさみ、シャルミーヌがやれやれと優しく微笑む。

 こうして夏休みの前に、セレナの血と汗と涙に彩られた試験勉強の日々が幕を開けたのである。





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