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24.





 迎賓館の二階にしつらえられた、見晴らしの良いテラス席。

 そこへ戻ってきたカシウスは、怪訝な顔で待っていた大人たちに向かってにこやかに言い放った。



「侯爵、イザベラ夫人。親御さん同士の難しいお話も結構ですが、若者たちの熱気にあてられてみるのも一興ではありませんか?」

「熱気、とは? カシウス殿下」



 扇で口元を隠したイザベラ夫人が小首を傾げると、カシウスは芝居がかった手つきで眼下の中庭を指し示した。



「ええ。両国の親善と相互理解を深めるため、帝国の誇る近衛騎士殿と我が国の騎士であるアルドリックによる模擬試合をご覧いただこうと思いましてね」



 突然の提案に、グラディオラス侯爵とイザベラ夫人は顔を見合わせた。しかし、王太子からの直々の提案を無下にするわけにもいかず二人は促されるままにテラスの欄干へと歩み寄った。


 大人たちが見下ろす中庭の広場では、すでに二人の男が木製の模擬剣を手に十歩ほどの距離を空けて対峙していた。

 片方は主であるエリカへの忠誠と愛を胸に、ただならぬ悲壮感を漂わせている騎士ルミエ。

 そしてもう片方は――。



「シャル! 今から俺が振るう剣閃の一つ一つは君への情熱的な愛の告白だと思って受け取ってくれ!」



 もう片方の男アルドリックは対戦相手であるルミエには目もくれず、広場の端に立つメイド服姿のシャルミーヌに向かってぶんぶんと手を振っていた。



「……っっ! もう、いいから前を向いて! 大きな声で私の名前を呼ばないでってばっ! 侯爵も観てるのよ!?」



 シャルミーヌは真っ赤になった顔を両手で覆い、今すぐこの美しい中庭の土に埋まりたい衝動と必死に戦っていた。

 その異様な光景をテラスから見下ろしていたイザベラ夫人が、ピクリと眉をひそめる。



「侯爵。あちらで御子息に向かって怒鳴っているメイドは、一体何者ですの? いくらなんでも無作法が過ぎるのではなくて?」

「あ、あれは……まさかローズブランシュ家の……? んんっ、いや、その。我が家の独自の……ええ、士気を高めるための特殊な応援手法でして……はは、ははは」



 侯爵は額に脂汗を浮かべながら、必死に苦しい言い訳をひねり出した。

 隣でカシウスが肩を揺らして笑いをこらえているが、助け舟を出す気は全くないらしい。



「いくぞ、グラディオラス卿! いざ、尋常に勝負!」



 ルミエが鋭い裂帛の気合いと共に、石畳を蹴って飛び出した。

 迷いのない、一直線の踏み込み。そして、体重の乗った重い袈裟斬りがアルドリックの肩口を狙って振り下ろされる。


 しかしアルドリックはシャルミーヌの方を向いたまま、振り返りもせずにひょいと模擬剣を掲げルミエの渾身の一撃をあっさりと受け止めてしまった。



「なっ……!?」

「ふっ、甘いな。君の剣撃など、シャルが俺に向けてくる冷たい視線に比べればそよ風のようなものだ!」



 驚愕に目を見開くルミエに対し、アルドリックは全く脈絡のない惚気を高らかに宣言した。

 彼はルミエの剣を弾き返すと、まるでダンスでも踊るかのような軽やかなステップで間合いを詰める。



「この足捌きはシャルを全力でエスコートするために鍛え上げられたものだ!」

「ふざけるなっ! 貴様、それでも王国の騎士か!」



 激昂したルミエが、怒涛の連続攻撃を仕掛ける。上段、中段、下段と急所を狙う鋭い連撃だが、アルドリックはそのすべてをいなしていく。



「ふざけてなどいない! 俺はいつだって真剣だ!」

「ならば、なぜこちらを見ない!」

「当たり前だろう! 俺の視界は、世界で一番愛らしくて可憐なシャルの姿を映すためだけに存在しているんだ! 君を見ている暇など一秒たりともない!」



 激しい剣戟の音が響く中アルドリックの繰り出す言葉はどこまでも常識外れで、どこまでもシャルミーヌへの重すぎる愛に満ちていた。



「この男……頭がどうかしている!」



 ルミエはギリッと奥歯を噛み締めた。

 身体能力、剣の腕、そして戦いにおける余裕。どれをとってもアルドリックの実力は本物だった。ふざけた口を叩きながらも、その防御には一切の隙がない。

 ルミエは次第に息が上がり始め、額から大粒の汗が滴り落ちた。


(ダメだ……勝てない。このままでは……)


 ルミエは弾き飛ばされ、石畳の上に片膝をついた。荒い息を吐きながら顔を上げると、視界の端でエリカが両手を胸の前で組み、祈るように青ざめた顔でこちらを見つめているのが見えた。


(エリカ様……っ)


 ルミエの胸の奥で、どす黒い感情が渦を巻いた。

 自分が負ければ、エリカはこの異常な男と結婚させられてしまう。いくら自分が身元不明の人間だったとしても、メイドにしか興味がなく、公式の場で狂った愛を叫ぶような男にだけは彼女を渡すわけにはいかない。


 エリカの絶望する顔を想像した瞬間、ルミエの中で何かがプツンと弾けた。



「絶対に、お前なんかには渡さない……!!」



 極限状態にまで追い詰められた無力感と、エリカを想う狂おしいほどの愛情。その強烈な感情の高ぶりが、十年間、彼の中に眠っていた封印をこじ開けた。


 ドクンッ。

 その瞬間、ルミエの心臓が破裂するほどの大きな音を立てた。



「……ルミエ?」



 異変に気づいたエリカが声を上げる。

 立ち上がったルミエのうつむいた顔から、ぽたりぽたりと異常な熱気を帯びた汗が落ちる。

 そして、彼がゆっくりと顔を上げた瞬間――広場の空気が、一瞬にして凍りついた。


 透き通るようだったルミエの瞳の色が、どす黒い赤紫色――まるで毒を持つヘリオトロープの花のような、妖しく燃え盛る色へと変貌していたのだ。



「あああっ……!」



 ルミエが獣のような咆哮を上げた瞬間、彼の全身から爆発的な魔力の奔流が噴き出した。

 それは目に見えるほどのすさまじい波動となって広場を駆け抜け、色とりどりの薔薇の蕾を引きちぎり石畳に深い亀裂を走らせる。



「きゃあっ!?」



 突風に煽られ、シャルミーヌが悲鳴を上げてエプロンを押さえる。



「シャル!? 大丈夫か!!」



 アルドリックは瞬時にシャルミーヌの前に割り込み、吹き荒れる魔力の風から彼女をかばうように立ちはだかった。先ほどまでの余裕は欠片も残っていない。


 一方、テラス席でその光景を見下ろしていたグラディオラス侯爵は、ガシャンと大きな音を立てて手元のティーカップを床に落とした。彼は椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がり欄干から身を乗り出して、血走った目でルミエを凝視する。



「な、なんだあの瞳の色は……! 感情の高ぶりによる、あの異常なまでの魔力の増幅……! ま、まさか……あり得ない! 彼らは……彼らは、十年前に根絶やしにされたはずだ!」



 侯爵の震える声が、静まり返ったテラスに響き渡る。

 驚愕に目を見開く侯爵の隣で、カシウスだけが計画通りと言わんばかりに妖しい笑みを浮かべていた。





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