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23.

 



「――やあ、話は聞かせてもらったよ」



 カシウスは生垣の隙間を抜け、悠然とした足取りで四人の前に姿を現した。



「カ、カシウス殿下!? いつからそこに……っ」



 シャルミーヌが目を丸くして尋ねると、カシウスは悪びれる様子もなく肩をすくめた。



「君たちが席を立った直後からさ。親たちの政治的な探り合いを聞いているより、こっちを観察している方がずっと有意義だったからね。いやあ、セレナが見ていなくて残念だ。彼女なら僕と同じように目を輝かせて、君たち二人の恋路を特等席で野次馬しただろうに」



 カシウスは、このドタバタ劇を心の底から楽しんでいるようだった。

 そんな彼の余裕たっぷりな態度に、エリカはハッとして顔を強張らせた。



「カシウス殿下……。我々の話を聞いていたのなら、事態は把握しているはず。どうか、この縁談を破棄する手助けをしてはいただけないだろうか。我は、どうしてもルミエと……」

「お気持ちは痛いほどわかりましたよ、エリカ殿下。ですが、あのテラスで腹の探り合いをしている親たちを、涙と情熱だけで説得できると思いますか?」



 カシウスの的確な指摘に、エリカはぐっと言葉を詰まらせた。

 彼らが直面しているのは、単なる親への反抗ではない。国家間の軍事機密と利権が絡んだ、極めて政治的な取引なのだ。他に好きな人がいるからという理由で納得するような甘い親たちではないことくらい、ここにいる誰もが理解していた。



「では、どうすれば……」

「簡単なことですよ。親たちがぐうの音も出ないような圧倒的な事実を、目の前で見せつけてやればいい」



 カシウスは自信ありげに微笑むとアルドリックとルミエを交互に見やり、とんでもない提案を口にした。



「――親たちも観客にして、両国の親善を名目とした模擬試合を行いましょう。帝国の誇る近衛騎士と、我が王国の誇る侯爵令息。この二人に本気で剣を交えてもらうんです」

「なっ……模擬試合、ですって!?」



 シャルミーヌが思わず素っ頓狂な声を上げた。

 堅実で真面目な公爵令嬢である彼女にとって、国際的なお見合いの席でいきなり剣を振り回すなど正気の沙汰とは思えなかったのだ。



「そんな無茶苦茶な! 万が一怪我でもしたら、それこそ国際問題に発展しかねません!」

「そこのメイドの言う通りだ。それに、それがどう縁談の破棄に繋がるのだ?」



 エリカもシャルミーヌに同調して問い詰めるが、カシウスは余裕の笑みを崩さない。



「エリカ殿下。もしあなたの騎士が、我が王国の筆頭騎士であるアルを圧倒するような力を見せたらどうなるでしょう? 帝国側は我が国の騎士の方が優秀だと溜飲を下げ、同時にアルの価値を見直す口実ができます」



 カシウスはそこで言葉を切り、今度はアルドリックへと視線を移した。その瞳の奥には、悪戯を企む少年のようにキラキラとした光が宿っている。



「それにアル。君にとっても悪い話じゃないはずだ」

「俺にとってだと?」

「ああ。君の愛するシャルは、今この場で君の勇姿を見つめている。もし君が模擬試合で圧倒的な勝利を収め、その剣をメイド姿の彼女に捧げたらどうなる? 帝国側は君が初対面の皇女ではなく、一介のメイドに熱を上げるとんでもない無礼者だと呆れ果てて、自ら縁談を辞退してくれるかもしれないよ?」



 その言葉を聞いた瞬間、アルドリックの背筋に雷が落ちた。

 彼の瞳孔がカッと見開き、全身から目に見えるほどの凄まじい闘気が立ち上り始める。先ほどまでのデレデレとした空気は一瞬にして消え去る。



「……なるほど。そういうことか、カシウス」



 アルドリックは低く、地鳴りのような声で呟いた。



「この俺の圧倒的な力と、シャルへの揺るぎない愛。その両方を同時に証明し、邪魔者たちを完全に黙らせる最高の舞台……。その提案、乗らない手はない!」

「ちょっとアル!? 本気で言ってるの!? 相手は皇女様の護衛騎士なのよ! 手加減なしで戦うつもり!?」



 シャルミーヌは真っ青になってアルドリックの腕にすがりついた。彼女は知っている。この男がローズブランシュ家の地下牢を壊せるくらい人並外れて強いということを。



「心配はいらないさ、俺の太陽。君の美しい瞳に、俺が敗北するような無様な姿は決して映さない。俺の剣撃の一つ一つが君への愛の告白だと思って見ていてくれ!」

「違う、そうじゃない! 殺しちゃうかもしれないから手加減しろって言ってるのよっ!」



 シャルミーヌの悲痛なツッコミも虚しく、アルドリックは完全に自分の世界に入り込み、腰の剣の柄に手をかけてやる気満々になってしまった。


 その異様なまでの迫力に対峙するルミエも思わず息を呑み、主であるエリカを庇うように一歩前へ出た。アルドリックから放たれるプレッシャーは、とても親善のための模擬試合などという生ぬるいものではない。一歩間違えれば本当に命を落としかねない尋常ならざる覇気だった。



「ルミエ……。引いても構わないぞ。これではまるで……」



 エリカが不安げに騎士の背中に声をかけるがルミエは静かに、しかし確固たる意思を持って首を振った。



「いえ、エリカ様。彼が本気で来るというのなら、私も己のすべてを懸けて応えるまで。この命に代えても、エリカ様の望む未来を切り開いてみせます」



 ルミエは真っ直ぐにアルドリックを見据え、その挑戦を受けて立つ構えを見せた。その実直で忠誠心に溢れた姿は、シャルミーヌの目には痛々しいほどに眩しく映る。


(ルミエ様……なんて真っ直ぐで良い人なの。それに比べてアルは、ただ私に格好つけたいだけなのに……っ!)


 シャルミーヌは頭を抱え、これ以上胃が痛くならないことを祈るしかなかった。


 すっかり戦いの火蓋が切られようとしている中、発案者であるカシウスだけは静かにルミエの一挙手一投足を見つめていた。

 十年前の記憶がないという事実。そして、アルドリックの異常なプレッシャーを前にしても微塵も揺るがない、その底知れぬ魔力の気配。


(間違いない。……彼の中に眠っているのは紛れもなく『あの血』だ)


 カシウスは薄く微笑むと、ふらりとルミエのそばへ歩み寄った。そして、すれ違いざまに、彼にしか聞こえないような低い声で囁いた。



「ルミエ殿。この縁談が無事に丸く収まったら……後で一つだけ君に頼みたいことがある」

「……私に、ですか?」



 突然の言葉に、ルミエが訝しげに眉をひそめる。



「ああ。君の過去と関係があってね。……さあ、大舞台の幕開けだ。二人とも、侯爵の度肝を抜くような見事な戦いを見せてくれ」



 カシウスは意味深な言葉を残し、足早にテラスへと向かって歩き出した。

 これから大人たちに親善試合という名の爆弾を投げ込みに行くというのに、その後ろ姿は酷く楽しげに弾んでいる。


 残された四人は、それぞれの思いを胸に抱いたまま、カシウスの背中を追って運命の舞台――テラス下の広場へと足を踏み出していくのだった。





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