22.
「アルドリック卿。単刀直入に申し上げる。我はこの縁談、死んでもお断りしたい」
悲壮な覚悟さえ滲むエリカの爆弾発言。
その斜め後ろに控える護衛騎士のルミエも鋭い眼光を放ち、いつでも腰の剣を抜けるよう身構えていた。
国家間の重大な繋がりをも揺るがしかねない、あまりにも危険な発言である。常識的に考えれば相手が怒り狂うか、あるいは青ざめて親たちの元へ駆け込む場面だろう。
しかし――。
「ああ、シャル。日の光を浴びた君はまるで透き通った白百合のごとく美しい。庭園のどんな花も君にはかなわないだろう。その可憐なエプロン姿ごと、今すぐ俺の腕の中に閉じ込めてしまいたい!」
「……ちょっと、アル……っじゃなくて旦那様! お願いだから前を向いて! 皇女殿下が話しかけてるでしょ!」
当のアルドリックは、エリカの決死の言葉など一文字も耳に入っていなかった。
彼は隣に立つメイド姿のシャルミーヌだけを熱を帯びた瞳で見つめ、甘ったるいポエムを垂れ流している。シャルミーヌは顔を真っ赤にしながら、エリカたちにバレないようアルドリックの脇腹をこっそりと小突いた。
その光景を目の当たりにしたエリカとルミエは、見事にぽかんと口を開けて固まっていた。
先ほどまでのピリピリとした緊張感は、アルドリックのあまりにも常識外れな態度によって見事に粉砕されてしまったのだ。
「……なるほど。やはりそういうことか」
やがて、エリカは何かを深く納得したように一つ頷いた。彼女の険しかった表情がふっと和らぎ、どこか慈しむような優しい光が瞳に宿る。
「アルドリック卿。卿のその態度ですべてを理解した。我に隠す必要はないぞ」
「え……?」
シャルミーヌが嫌な予感を覚えて顔を上げると、エリカは芝居がかった手つきで自身の胸元を押さえた。
「卿も苦労しているのだな。その美しいメイドと密かに愛し合っているのだろう? だからこそ、このような公式の場にまで彼女を連れ込んだ。違うか?」
「えっ、いや、それは……!」
「安心しろ。我は卿らを責め立てるつもりなど毛頭ない。身分違いの恋に落ちる苦しさ、世間の冷たい目……そのすべてが、我には痛いほどよくわかるのだから」
エリカはシャルミーヌに向かって、共感に満ちた熱い視線を送ってきた。
どうやらエリカの脳内では『公爵令息と彼に愛されてしまったメイドの悲恋物語』が完全に出来上がってしまったらしい。
シャルミーヌはさあっと血の気が引くのを感じた。
(皇女様にただの平民のメイドだと思われてる! まずい、このままじゃ話がややこしい方向に――!)
「お待ちください、エリカ殿下! それは誤解で――」
シャルミーヌが必死に弁解しようと口を開いた、まさにその瞬間だった。
「――何を言っているんだ、貴女は」
それまでデレデレに溶けていたアルドリックの声が急に冷ややかになった。彼はシャルミーヌの肩を抱き寄せると、不満げに眉をひそめてエリカを睨みつける。
「シャルはどこにでもいるただのメイドなどではない。誇り高きローズブランシュ公爵家の令嬢であり、俺の命よりも尊い太陽だ! そして、唯一無二の未来の妻だ!」
「うわああああ!! アルのばかぁぁぁっ!!」
シャルミーヌの悲鳴が、美しい中庭に響き渡った。
潜入開始からわずか二時間強。アルドリックの重すぎる愛と異常なまでの独占欲によって、シャルミーヌの正体はあっさりと暴露されてしまったのである。
「……は?」
「……公爵令嬢、だと?」
エリカとルミエは、今度こそ理解が追いつかずに完全にフリーズした。エリカの頭の中にあった悲劇の物語が、音を立てて崩れ去っていく。
「な、なぜ公爵家の令嬢が、メイドの格好などしているのだ……!? まさか、王国の貴族たちの間では、そのような奇抜な格好でお見合いに参加するのが流行っているのか!?」
エリカが混乱のあまり頓珍漢な推測を叫ぶ。
「違います! これは、その……っ! このバカが、お見合いの席で惚気話を大声で叫ぶとか言い出すから、監視のために仕方なく変装して潜入しただけで……っ!」
シャルミーヌは両手で顔を覆い、そのまましゃがみ込みたい衝動と必死に戦っていた。国際問題になるかもしれないと胃を痛めながら着替えたのに何の意味もなかったではないか。
「シャルの言う通りだ。俺が彼女への狂おしいほどの愛を語るにせよ、本人が目の前にいなければ正確な熱量が伝わらないだろう? だから俺がこの服を手配した」
アルドリックは全く悪びれる様子もなく、むしろ完璧な采配だっただろうと言わんばかりに得意げに胸を張っている。
「どこが得意げに言うことなのよ! 私たちが何のためにコソコソ隠れてたと思ってるの!」
シャルミーヌはメイド靴の踵で、今度こそ容赦なくアルドリックの足の甲を踏み抜いた。
「……っ! ああ、怒った顔も素晴らしい……」
「……もう嫌だ、この人……」
悶えながらもなお自身への賛辞を口にするアルドリックに、シャルミーヌは心底呆れ果てて片手で顔を押さえた。そのあまりに常識外れで滑稽なやり取りを前にして、エリカは小さく吹き出した。
「……ふっ、ふふふっ。カシウス殿下から、アルドリック卿は少々個性的だと聞いてはいたが……まさかこれほどとは思わなかった。卿の瞳には、本当にその令嬢しか映っていないのだな」
「当たり前だ。俺の視界はシャルのためにのみ存在している」
即答するアルドリックに、エリカは苦笑しながら傍らに立つルミエを見上げた。
「ルミエ。どうやら、我たちは無駄な警戒をしていたらしいぞ。彼らなら、我たちの事情を話しても親たちに密告するような真似はしないだろう」
「エリカ様……。しかし、彼らはいずれ王国の重鎮となる方々です。軽々しく事情を明かすのは……」
「構わん。我は今日、すべてを賭けてこの場に来たのだから」
エリカの真っ直ぐな瞳に見つめられ、ルミエは深々と首を垂れた。その声音に宿る絶対的な忠誠と、隠しきれない深い愛情。
それは明らかに主従関係といったつながりを超えている。魂を預け合うようなその在り方に静かな敬意を覚えながら、シャルミーヌは居住まいを正してエリカへと向き直った。
「エリカ殿下。先ほどこの縁談を死んでもお断りしたいと仰っていましたが……それは、その後ろに控えていらっしゃるルミエ様と深い関係にあるからですか?」
シャルミーヌが真剣なトーンで尋ねると、エリカは静かに頷いた。
「そうだ。我とルミエは互いに心を通わせ、生涯を共にすると誓い合った仲だ」
「皇女殿下と近衛騎士の恋……。まるで劇の舞台のように素敵です。でもそれならなぜ、帝国はアルドリックとの縁談を進めようとしたのですか?」
シャルミーヌの素朴な疑問に、ルミエが苦しげに口を開いた。
「……私に、エリカ様を正妃としてお迎えするだけの力と身分がないからです」
ルミエは自身の胸元をきつく握りしめた。
「私は、十年前の記憶がありません。気がついた時には帝国のスラム街で倒れており、自分の名前すらわからない状態でした。エリカ様に拾われ騎士として取り立てていただきましたが……私にあるのはこの剣一本だけ。後ろ盾となる家族も、領地も、何一つ持たない。どこの馬の骨とも知れない男なのです」
ルミエの告白はあまりにも重く、悲痛なものだった。
貴族社会において身分や家柄は絶対である。皇女が記憶喪失の孤児と結ばれるなど、おとぎ話の中でもあり得ないことだった。
エリカは悲しげに目を伏せ、ルミエの腕にそっと触れる。
「ルミエが記憶を失う前から持っていたのは、身につけていた古びた銀のロケットペンダントだけだ。だが、それだけではどこの誰とも証明できない。帝国の上層部が、得体の知れない彼との結婚を許すはずがないのだ」
重苦しい空気が、中庭を包み込む。
シャルミーヌは胸が締め付けられる思いだった。愛し合っているのに身分の壁に阻まれ、引き裂かれようとしている二人。自分とアルドリックの状況とはまた違う、切実な悲恋がそこにはあったのだ。
彼女が彼らに同情し、口を開きかけたその時だった。
「……なるほど。何も持たない男が、ただ一つの愛だけを武器に皇女の隣に立っているというのか」
アルドリックが腕を組み、ひどく真面目な顔で深く頷いた。
「ええ、そうです。彼と私は――」
「素晴らしい! 持たざる者が愛のみで運命に抗うその姿、まさに今の俺だ! 俺もこの身一つ、シャルへの愛という名の最強の剣だけで世界を敵に回す覚悟があるぞ!」
「違うわよ!! なんで全部自分の惚気話に変換するの!!」
せっかくの感動的な空気を一瞬でぶち壊したアルドリックの背中を、シャルミーヌは力いっぱい叩いた。中庭に景気の良い音が響き渡るが、アルドリックにはもはやご褒美にしかなっていない。
「それに、家柄がなんだ! 俺も地位や名を捨て裸一貫になったところで、シャルさえいればそれでいい。貴公が今日まで殿下の隣に立っていたのも、俺と同じく愛の力ゆえなのだろう!?」
「頼むから空気を読んでえええ!!!!」
ついに限界を迎えたシャルミーヌの怒号が炸裂した。
ルミエとエリカはもはや悲しむどころか、完全に呆気にとられている。
「……あ、あの、アルドリック卿。我の愛の重さが、卿のせいでひどく……その、常識的なものに思えてきたのだが……」
「何を言う! 愛に軽いも重いもない。あるのは、その愛のためにどれだけ周囲を破滅させられるかという覚悟だけだ!」
「縁起でもないこと言わないで! 早くお二人に謝って!」
シャルミーヌがアルドリックの口を塞いで黙らせ、ようやく中庭に静寂が戻ったその時だった。
「――やあ、話は全部聞かせてもらったよ」
生垣の向こうから、優雅で涼やかな声が聞こえた。
驚いて全員が声のした方へ向くと、そこには面白くてたまらないといった様子で口角を上げているカシウスの姿があった。
本日21時ごろに短編連載『あなたが完成させる未完の物語』を全五話まとめて投稿します。
絵本をめくるような感覚で、ふらりと立ち寄っていただけるような一作を目指しました。
タイトルの意味がわかる最終話まで見届けてみてください。




