河川敷でランニング
9月11日の日曜日。早朝。
目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
窓の外は薄く明るく、空気もどこか軽い。
顔を洗い、軽くストレッチをしてから家を出る。
シューズの紐を結び直し、北西の河川敷へ向かう。
家から約2.5km。
中央橋に近づくにつれて視界が開け、川沿いの道がまっすぐ伸びているのが見えた。
休日の朝らしく、人はまばらだ。
数人のランナーの固まり、スポーツバイク1台が目の前を通り過ぎていく。
少し早めに着いたので、橋の近くで軽く体をほぐしながら待つ。
そこそこ人目のあるこの場所は見慣れてはいるが、誰かと待ち合わせをするのは久しぶりだ。
中学の部活仲間とは度々集まったものだが、女子と待ち合わせることなど初めてのことだ。
なんだか妙に落ち着かない。
「おはよ」
そわそわしながら橋の方を見ていると、後ろから声がした。
振り向くと、青いジャージ姿の東条さんが立っている。
サイドテールが朝の光に透けていた。
「あ、おはよう東条さん。時間通りだね」
「うん」
さらっと答えながら、東条さんも軽くストレッチを始める。
「いい場所だよね、ここ」
「うん。俺は数え切れないくらい、お世話になってるよ」
「あはは。そうなんだ。来た回数は私の負けだね」
短いやり取り。でも、思っていたより自然に会話が続く。
「じゃあ、早速行こう」
「うん」
二人で並んで走り出す。
***
最初は軽めのペース。足音が揃う。
若干向かい風であるため、風が正面から当たるが、不思議ときついとは感じない。
「東条さんって、普段どれくらい走るの?」
「日によるかな。部活ある日は軽く流すだけだし」
「オフの日は?」
「ちょっと長めに走るかも」
なるほど、と頷く。
「やっぱり体力維持?」
「うん。一日でもさぼると調子が落ちる気がするから」
「なるほど。ストイックだね」
「古暮君だって毎日走ってるんだから、ストイックなんじゃないの?」
「そうかな?」
そう指摘されて振り返る。毎日走るのは習慣になっているから、何とも思わない。
けれど、傍から見ればストイックに見えるのだろうか。
それにしても、一人で走るときよりも、会話がある分、時間が早く感じる。
気づけば、ペースは徐々に上がっている気がした。
「走るペース、もっと上げてもいい?」
東条さんが聞いてくる。
「いいよ」
軽く頷いて、スピードを上げる。
道幅の広い専用道路を駆けていると、視界の先に橋が見えた。
「あの橋まで競争してみない?」
「了解」
俺は勝負を受けることにした。
足を前に出す。呼吸を乱さないように。
少し前を行く東条さんは余裕そうだ。
体育祭のときも感じたが、やっぱり速いな。
彼女は比較的小柄な部類ではあるが、足の回転が速い。
ラスト50mで東条さんのギアが一段上がる。リーチと回転数がすさまじい。
その真横をついていくが、最後の数メートルで前に出られた。
「……はあ、負けた」
「やったね」
大きく息をしながら、東条さんはにこっと笑う。
その様子を見ながら、俺は深呼吸で息を整えた。
「まさか負けるとは思わなかったな」
「私、直線も結構得意なんだよね」
「普通にすごい」
俺たちは橋の下で少し歩きながら呼吸を落ち着かせる。
「古暮くんって、サッカー部だったんだよね?」
「あーうん。中学でね。一応三年で部長をやった」
「うん。ほのかから聞いてるよ」
まさか日代さんが俺のことを話題にしているとは。
驚いたが、多少嬉しくもある。
「でも、聞く前から、古暮くんってリーダーっていうか、部長っぽいなって思った」
「それはどういう?」
「なんとなくだけど、周り見て動くタイプかなって」
言われてみれば、そういう側面があるかもしれない。
カリスマのように引っ張っていくというよりは、調整するといった感じか。
「まあそうかも」
「ポジションは中盤だよね?」
「うん。ボランチ」
「司令塔だね?」
「言い方はかっこいいけど、実際は走り回る裏方だよ」
東条さんがクスリと笑う。呼吸はだいぶ落ち着いた。
「そういえば、中総体はどうだった?」
視線を前に向けたままで東条さんが言う。
「そこそこの結果だったよ」
「そっか。練習の成果はきっちり出せた?」
その問いに、自信を持って「うん」と頷く。
「やってきてよかったなって強く実感した」
「わかるー」
中学最後の大会。延長戦で決勝点を決めた瞬間のことを思い出す。
「東条さんは中総体、どうだったの?」
「私も似たような感じだよ」
少し考えてから、続ける。
「ずっとできなかったショットがあったんだけど、必死に練習して、本番で決められて嬉しかったなー」
積み重ねたものが出た瞬間の、表現しがたい喜び。
その感じは、よく分かる。
「わかるよ。俺もサッカーで新しい技を決めたときは、めっちゃ気持ちいいってなる」
「うんうん」
東条さんは笑顔で頷いた。
***
俺たちは来た道を折り返して、中央橋に戻る。
ペースはゆっくりだ。
「東条さんは普段、どうやって息抜きしてるの?」
こちらから話題を振ってみる。
「んー……食べることかな」
「それっぽい」
学食での食いっぷりから、食べることは好きなのだろうと想像していた。
「どういう意味?」
「いやー、なんとなくだけど」
「失礼だなあ」
少しむくれたように言ってから、すぐにふっと笑う。
「でもまあ食べるのは好きだし、あとはお昼寝もするかな」
外見の好戦的な印象とは想像しがたい。
他に何か個性的な息抜きはあるだろうか。
「他には?」
「ドラマ見たり」
「よく見るのはどんなジャンル?」
コメディー、恋愛、アクション、ミステリー、SF。他にもいろいろあるわけだが。
「アクションとかミステリーが多いかな」
「いいね。俺もミステリーはよく見てるよ」
意外な答えに食いついてしまう。同ジャンルが好きな人はなかなかいないので、これは仕方ない。
「そうなんだ。じゃあ、Nexus Forensic Labって知ってる?」
「知らない」
「海外ドラマで、本格的な科学捜査ものなんだよね」
「へえ、興味あるな」
推理ものの海外ドラマは何作品か見たが、まだ玄人とは言えないだろう。
「長編シリーズで今も続いてて、かなり面白いから、古暮くんも見てみてよ」
「うん。えっと、タイトルもう一回言ってくれない?」
「Nexus Forensic Lab」
俺は「わかった」と頷いた。帰ったらチェックしなくては。
***
中央橋が見えてきたところで、東条さんがふと口を開く。
「今日くらいの距離なら、ちょうどいいね」
「だね。軽く流すにはいい感じ」
少しだけ間を置いて、
「また、休日に一緒に走れないかな?」
自然な流れで誘ってみる。
「うん、いいよ。予定が合えばだけど」
「ほんと? ならまた誘うね」
断られるか心配だったが、どうやら今後も誘えそうだ。
「了解」
「じゃあ、今日はこれで」
「うん、また学校で。バイバイ」
「じゃあね」
軽く手を上げて別れる。
東条さんと少し距離を縮められただろうか。
次の休日が少しだけ楽しみだ。
そんなことを考えながら、俺は帰路に着いた。




