綾子の想い
翌日。9月9日、金曜日。
昨日は歯切れが悪いところで中虫壁さんとの会話が終了してしまった。あの後無性に告白の話が気になって、帰宅後も落ち着かなかった。
いつから意識するようになったのか。
そもそも人を好きになるとはどういうことか。
好きなったことによって何か変化したのか。
勇敢にも、好きな人がいることを教えてくれた彼女。
その彼女と再開した暁には、称賛の意味も込めてとことん話を聞いてやろう。
さて、四時間目は音楽の授業だ。音楽は基本、水曜の三時間目だが、今回は臨時だ。
俺は前回と同じ席に座り、授業開始を待っていた。俺の偏見かもしれないが、人は一度座った場所にまた座るという習性がある。気づいたら今日も、前と全く同じで、教室の角隅の席に座っていた。
そして数分後、空席だった隣の席に誰かが座った。果たしてそれは誰かーー隣を見ると目的の彼女だった。
よし、狙い通りだ。
俺の偏見はあながち間違いではなかったということだ。
「やあ」
「あっ、古暮くん。こんにちは」
俺たちはフレンドリーに挨拶を交わした。
正直、音楽の授業は退屈だ。周りを見ると、他の生徒たちが苦悶に満ちた顔をして、「十六分音符ムズイよ」や、「おい、人差し指だけだと無理ゲーだぞ」と、随分苦戦しているようだ。
俺たちは端の方で、苦しむ彼らの姿を見ながらフフフと笑い合い、授業と全く関係ないことを駄弁っていた。
授業の中盤くらいで俺は例の話題を引き合いに出した。
「昨日の話だけどさ、彼にアピールはしないの?」
「……無理だよ」
俺はそこで、今一度彼女がどういう人物であるかを考えてみた。
手際が良いとは言えない。初対面の時はプリントを落として落胆していた。音楽の授業中に何回か消しゴムやシャーペンを落として、周りの人に拾ってもらっていた。この前なんか、俺との話に夢中でスクイズの交換を忘れるなんてこともあったな。いや、あれは話を続けた俺にも非があるか……。
しかしながら、彼女はやることにした。大人数のサッカー部のマネージャーを。
彼女はよほど、ボランチの彼に対して執着があるようだ。それなのに告白する気がないというのは何故か。
「自分に自信が持てない?」
俺は優しい口調で言った。
「私、見ての通り不器用でおっちょこちょいで、何も取り柄もないから……」
不注意っていうのはまあそうかもしれないけど、不器用ではないんじゃないか。
不器用な人があんなに上手くピアノが弾けるとは思えない。逆に手先は器用なのではなかろうか。
それと、何の取り柄もないっていうのは間違いだ。
まだ自分の得意なことを見出せていないだけ。
人間必ず何かしらの取り柄はあるのだ。
「それに比べてさ、彼は正反対でなんでもできて、みんなから信頼されてて……。告白なんて絶対無理だよ」
彼女は細々と自信なさげに言った。それに対し俺はフーと息を吐いて、
「俺さ、中学からサッカーやり始めたんだけど、当時は全くの初心者で」
過去話を切り出した。彼女を説得するためだ。
「他に入ってきた連中も同じなんだろうなと思ってたけど、まさかの全員が経験者で有名なサッカークラブ入ってるやつも多くて。俺とは相当な力量差があって」
「うん……」
「練習に参加してみたけど、当然ながら足を引っ張っちゃって……それで、自分はチームに不必要な存在だって思うようになったんだ」
中虫壁さんは小さく頷く。
「でも、あるとき顧問の先生に呼び出されて、
『誠実さ、熱心さ、謙虚さ。才能があるかないかに関わらず、気持ちで負けるのは人間として恥だ』
って言われて、それまでの自分を振り返った。
最初から諦めて、ろくに努力もしてないんだから、上手くなりようがないって気づかされて」
俺は呆れたような表情で言葉をつなぐ。
「それで俺、諦めたくないな思って」
「うん」
「『気持ちだけは誰にも負けない』って心に誓って、必死に努力して」
中虫壁さんは静かに話を聞いている。
「そしたら、ほんの少しずつだけど、自分の思う動きができるようになってきて、自分でも努力すればできるんだって自信が湧いて、もっと頑張れるようになった。
さらに努力を続けたら、周りが自分の頑張りを認めてくれるようにもなった」
これは俺の持論だが、なりたい自分になるうえで一番大事なのは『やり始めること』だ。
自信があるかどうかは関係ない。失敗を恐れずに、とりあえずやってみるのが良い。
学力や運動能力のようなものは、個人差はあれど、一定の努力でそれなりのところまでは到達することができると信じている。
とはいえ、恋愛のように、人の感情が深く関わってくるものは、必ずしも自分を磨いたことで上手くいくとは限らない。単純にやったら良い結果が出るかと言えば、そう断言はできない。
けれど、本当に手に入れたいのなら、他のことを犠牲にする覚悟をもって、『やり始めなければならない』のだと思う。
「ごめん。要するに言いたいことは、一歩踏み出さなかったら何も得られないってこと」
彼女は少しの間、深刻な表情をして、そうだよねと小さく呟き、納得したような顔をした。
「私、頑張ってみようかな」
結果がどうなるか、それは誰にもわからない。失敗するかもしれないし、成功するかもしれない。
成功すればそれに越したことはないし、失敗してもその分成長できるのだから、次につなげていけば良いだけのことだ。
しかし、そうなるにしろならないにしろ、まず挑戦することに意味があると、俺は思う。
「うん、それがいい」
とは言うものの、ただ自分の持論に納得してもらえたら、後は野となれ山となれ、というのは無責任だと思ったので、何か相談したいことがあればと、ラインを交換した。
中虫壁綾子か。また一人、連絡先が増えたな。
「これからよろしく。何かあったら相談に乗るよ」というメッセージを送ると、「ありがとう。これからよろしくね」という返答が即座に返ってきた。
***
夜、自室にて。スマホを起動すると、ラインに早速メッセージが来ていた。
「私、やみくもに頑張るって言ったけど、何から始めればいいのかな?」
中虫壁さんから早速相談が来たようだ。まず何から始めるべきか、か。
俺は少し考えて、テキストを飛ばす。少し長くなるかもしれないので、チャットより電話の方がよいのではないか。
「電話してもいい?」
少し待つと「いいよ」と返事があった。俺はライン電話のボタンを押す。
「もしもし」
「あ、こんばんは。古暮君」
声のトーンは落ち着いている。部活帰りだろうから、疲労が溜まっているのだろう。
「こんばんは。宿題はもう終わった?」
「うん。ちょうど終わったところだよ」
「それならよかった。じゃあ早速本題だけど」
「うん」
彼女の返事を聞き、話を始める。
「まずは、自分にちょっとずつ自信つけるところからかな」
「自信……」
少し間が空く。
「でも私、長所とか全然思いつかないんだよね。短所ならいっぱい出てくるけど」
綾子は苦笑しながら答える。
「不器用。おっちょこちょい。自信ない」
「いや、でもピアノ弾けるじゃん」
俺が返すと、
「古暮君ほどじゃないけど」
と謙遜された。俺から見ても十分すごいと感じたけれど。
「あと、中虫壁さんって結構勇気あると思う」
『勇気?』
「好きな人を追いかけてマネージャーになったことは、なかなか人に言えるものではない」
しばらく既読が止まる。
「……そうかな?」
「そうだよ。俺だったらきっと隠す」
「あはは。なんか古暮君になら話してもいいかなって思った」
それは嬉しい。頼れるオーラが出るようになっただろうか。
「じゃあ、その期待に応えられるよう頑張る」
「お願いします、先生」
「先生ではない」
思わず笑って返す。
「話を戻すけど、小さなことでいいから、自分で計画したことをできたっていう感覚を積み重ねていくのが大事」
これは俺の経験則だ。最初はまともにボールを扱えなかった。
でも、昨日できなかったことが今日できるようになるだけで、案外人は前向きになれる。
まずは自分を分析し、弱みを受け入れる。
そのうえで、少しずつできることを増やしていく。
結局、変わるには試してみるしかない。
「具体的な方法ってあるの?」
「おすすめは、一日ごとや一週間ごとで何か目標を決めて、それを達成できたかどうか確認するのがいいと思う」
「目標っていうのは?」
「何でもいいよ。例えば勉強・運動・家事・資格・ボランティア」
「なるほど。わかった」
「ポイントだけど、目標には数値が入ってた方が合否が判定しやすいよ」
「数値かー」
すこし悩みつつ、ラインにメッセージを打ち込んでいく。
「例えば、
・一日10個英単語を覚える
・毎日朝3キロランニングする
ってな感じ」
「そんなレベルでいいの?」
難しい目標にする必要はない。簡単な目標をたくさん作るのが良いだろう。
「むしろそのくらいがいいと思う。最初から無茶すると続かないし」
「わかった」
「これから目標を立ててやっていくなかで、『できなかったこと』が出てくると思うけど、それで自分を卑下するんじゃなくて、受け入れて、次の改善に活かすことがなにより大事だよ」
「なるほど……」
たぶん彼女は、できない部分ばかり見てしまうタイプなんだろう。
自分を卑下してしまうと、自己肯定感は逆に下がるため要注意だ。
「最初はやっていけるか不安だと思うけど、習慣にしてしまえば確実に変われるから」
少しだけ、通話の向こうが静かになる。
「これから一緒に頑張ろう」
「うん」
その返事は、昼間より少しだけ前向きに聞こえた。
それからも中虫壁さんは頭を悩ませつつも、真剣に話を進めていく。
改めて、彼女の自己磨きに付き合おうと思う。
下調べも必要だし、いろいろ忙しくなる。とにかく楽しみながらやっていこう。




