ナノハの決意
バンド解散から、数日が経った。
あれからラインのグループチャットは、やりとりは途切れている。
まだ誰も退会していないのはなぜだろう。
もう使う機会はないのに……。
家の自室でギターの弦を軽く弾いて、音を確かめる。
けれど、それだけだった。
コードを繋ごうとしても、指が止まる。
歌おうとしても、言葉が出てこない。
頭の中には、いくらでも浮かんでくるはずなのに。
音にしようとすると、どこかで途切れてしまう。
――歌いたかったはずなのに。
ぽつりと呟いて、すぐにかき消した。
ギターをケースに戻す。
閉じる音が、やけに大きく響いた。
外に出る。
行き先は決めていなかったけど、気づけばまた同じ場所に向かっていた。
Green Box。
入口の前で、一度立ち止まる。
扉の向こうから、かすかに音が漏れてくる。
知っているバンドだろうか。
そう言えばこの感じ、少し前に来たときと同じだ。
でも、あのときとは悩みが違う。
ドアを開けようとして――やめた。入っていいのかわからなくなった。
だから、そのまま踵を返す。
帰り際、イヤホンをつけたはいいけど、何も流す気にならなかった。
その日の夜。
ベッドに寝転びながら、天井を見上げる。
バンドはなくなったけど、音楽をやめたわけじゃない。
なら、この気持ちはなんだろう。
焦りとも違う。喪失感とも少し違う。
名前のつけられない空白だけが、残っていた。
この空白のせいで、どうすればいいのかわからなくなっている。
スマホが震えた。
画面に表示された名前を見て、少しだけ息が止まる。
ラブ。
少し迷ってから、通話ボタンを押した。
「もしもし」
『ナノハ? 今大丈夫?』
いつも通りの明るい声。
それだけで少しだけ安心する。
「うん。大丈夫だよ」
『よかった』
一瞬、沈黙が落ちる。ラブは間合いを探しているみたいだ。
『……最近、どう?』
曖昧な聞き方だ。
でも、その中にはいろんな意味が含まれているんだろう。
「どう、って……」
少しだけ考えてから、正直に答えた。
「何もしてない……というかできてない」
自嘲気味に笑う。
「ギターは触ってるけど、曲は全然できないし。
何か歌おうとしても、なんか身が入らない感じがして」
言葉にすると、余計に空っぽさが浮き彫りになる。
『そっか』
ラブは、それ以上何も言わなかった。
否定もしないし、励ましもしない。
ただ、受け止めてくれる。その姿勢がありがたく思える。
そこから少し間があって、
『ねえ、ナノハ』
「うん?」
『やろうよ、もう一回』
まっすぐな声だった。思わず、息が止まる。
『バンド』
短く、でもはっきりと。
『この前までのじゃなくて、ナノハがやりたい形でさ』
心臓の音が少し強くなる。
『私さ、ナノハが本気で歌ってる姿、好きなんだよね』
不意にそんなことを言われた。
『上手いからじゃなくて、"届けたい"って感じがすごく伝わってくるから』
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
『あれが見れなくなっちゃうのは、もったいないなって思って』
ラブらしい言い方だった。
まっすぐで、飾らなくて、でもちゃんと刺さる。
すぐには返事ができなかった。なかなか言葉が出てこない。
でも、さっきまで何もなかったはずの場所に、少しだけ火が灯る。
それはまだ小さな火だ。
「メンバーとかどうするの」
『探せばいいじゃん』
その即答に思わず、笑ってしまう。
「簡単に言うね」
『もちろん、簡単じゃないことは分かってるよ』
一拍。
『でも、なんかさ、このまま終わるのは、違う気がするんだよね。
ナノハの歌をもっと聞きたいしさ、皆に聞いてもらいたいし』
優しくくて強い声だ。
背中を押すというより、隣に立ってくれる。
そんな意思を感じ取った。
そして沈黙が訪れる。
胸の奥で灯った火は、消えないまま残っている。
私はゆっくりと息を吸った。
「……やりたい」
自然と、言葉が出ていた。
『うん』
ラブが小さく笑う気配がする。
「ちゃんと、届けたいから」
今度ははっきりと口にする。もう迷いは消えた。
『じゃあ、決まりだね』
ラブは軽い調子で言う。
でも、その一言で全部が動き始める気がした。
「うん」
さっきまで動かなかったはずの足が、前に出る感覚。
心の空白は澄んだ気持ちで埋められていく。
先に進む理由は、すでに握りしめている。
スマホを開く。
ーーもう一回、始めよう。今度は、自分の思いのままに。
私はRosetteのグルーチャットを退会した。




