夏の自由研究 万和人編パート4 ミサキとアヤナ
今日も俺は図書館にやってきた。数日ぶりだが、図書館の間取りはほぼ完璧に覚えるくらいには慣れてきた。
先日ミサキちゃんと進路の話をして以来、子どもたちを助ける仕事についていろいろ調べてみた。
今日はその成果を披露する、というよりかは、また相談に乗ってもらう形になるかもしれない。
連絡手段を持っているわけではないが、彼女は毎日ここへ来ていると言っていた。
それが本当ならば、きっと今日も会えるだろう。
そんな期待を胸に、図書館の奥へ進み、いつもの定位置に腰を下ろした。
今日は一日集中するつもりだ。加えて、ちょっとした検証も試す。
スマホが手元にないと、どれくらい集中できるか。
だから今日はあえてスマホを家に置いてきて、腕時計をつけている。
さて、やってみよう。
勉強を始めて一時間経った。一回目の休憩に入ろう。
周囲には人が増えてきたが、図書館の空気は静かで落ち着いている。この居心地の良さがたまらない。
さて、勉強を再開しようとしたそのときだった。
「こんにちは」
背後から声をかけられた。
その声が待ち望んでいたものだと即座に気づき、俺は振り返った。
「やあミサキちゃん。こんにちは」
笑顔で挨拶をすると、ミサキちゃんも微笑み会釈をしてくれた。
「今日は何の勉強をするんだい?」
「国語と社会です」
そう言って、彼女はテーブルの反対側、俺の斜め前に座り、教科書やノートを広げた。
「今日は文系か。ちゃんとまんべんなくやってるんだね」
「もちろんです」
当然かのように応えるのを「やっぱりすごいな」と褒めつつ、鞄から飴を取り出す。
「最近、この飴の新しいイチゴ味を見つけたんだけど、食べる?」
「はい。ありがとうございます」
全くためらうことなく受け取る。素直でいいが、少しは検討する時間があっても良いのではないか。
これまでの味が好みではなかったということなら後悔が残る。
「今日は何時まで勉強していくの? 終日?」
「はい」
「そっか。俺も一日頑張るつもりだよ」
終日ということであれば、話す機会はいくらでもあるだろう。進路の相談は焦らなくていい。
それに、朝早くは学習に適した時間という研究もあるようだし。
俺は会話を切り上げ、勉強を再開した。
お昼を過ぎ、時間は午後一時。
宿題が一段落したので、俺は休憩に入った。
ふと隣の方をみると、ミサキちゃんも教科書を閉じて一息付いていたので、俺は何気なく進路について相談することにした。
「ミサキちゃん。聞いてくれる?」
彼女が上半身をこちらに向ける。聞きの体勢に入ったということだろう。
「俺さ、前に君から将来の夢についてヒントをもらってから、いろいろ調べててさ」
誠意を見せるときが来た。慎重に言葉を選びながら続ける。
「子どもを助ける仕事って、本当にたくさんあるんだなって」
語尾を挙げながら言うと、ミサキちゃんは首肯した。
「はい。医療・教育・福祉。いろいろありますよね」
「あとは法律・行政とか、NPOなんかも」
「はい。わかります」
ミサキちゃんはうんうん頷きながら聞いてくれる。小学生じゃなくて年上と話しているような感覚を覚える。
「ミサキちゃんは具体的に決めてるの?」
俺から話しても良いのだが、ここは先輩から情報を引き出していくのが良いだろう。
「私は……将来は子どもたちに教える仕事がしたいなって思ってるんです」
「へえ……教える、か。じゃあ小学校の先生とかかな?」
「はい。それも視野には入れています」
「他には何を?」
「児童相談所とか、社会福祉にも興味があります」
先生であれば子どもたちと直接向き合うわけだが、福祉関係となると間接的に子どもの助けになるといった想定だろうな。現段階では特に絞ってはいないようだな。
「じゃあこれから具体的に決めていく感じだね?」
「はい」
子どもを助けるという軸がしっかりあるので、別に職種が決まっていなくても俺からの評価が下がることは決してない。
きっと彼女は将来、しれっと職種を決めてしまうだろうーーそんな予感を覚えてならない。
「マナトさんはどうなんですか?」
そう聞かれたので、俺は現時点での自分の考えを言葉にする。
「偶然なんだけどさ、俺も教える仕事に興味があるんだ」
ミサキちゃんは「えっ」っと少し驚いたような表情をする。俺は続けて言う。
「俺ってこれまでなんとなくっていうか、その場その場で必要だったことをこなして生きてきたから、自分が何かを変えるみたいな気持ちは全く無かったんだけど」
不甲斐ないく思いながら自分語りを続ける。
「思ってみれば人と話すのは好きだし、コミュニケーションを取るのが得意な方でさ」
自分は何の特徴もないと思っていたが、少し見方を変えてポジティブに変換する。
話好きというのはあるかもしれない。俺は特に目的などなくても、他の人の話に耳を傾けてしまうクセがある。
「こうしたら失敗した、こうしたらうまくいったとか、そういう日常生活における体験談とかノウハウを、考えはなしに自発的に吸収していったっていうのがあって」
ミサキちゃんは静かに聞いてくれる。
「友達から聞いた知識や話を、他の困ってる友達に教えたら問題が解決して感謝されるってことも少なからずあって」
人とコミュニケーションをして自分の生活に役立てることもあるが、それと同時に他の人を助けるという経験をしてきたのだ。
「ジャンルを絞るとかではないんだけど、俺が知っている情報で周りの皆の課題を解決するっていうことに、価値があるんじゃないかって感じるようになったんだ」
ミサキちゃんは小さく頷く。俺は「だから」と続ける。
「学校の先生とか、そういう具体的なところまでは見えていないんだけど、いろんな人の話を聞いたり、アドバイスしたりとか、人と接する機会が多い仕事が自分には向いているのかな、なんて今は思ってる」
若干照れくささを感じながらそう締めくくると、ミサキちゃんは大きく頷く。
「自分にちゃんと向き合っているんですね。すばらしいことだと思います」
褒められて、俺はつい照れてしまう。
きっかけをもらって変わろうという意識を持てた。結局原動力は変わっていない。
「まだ具体的に職業を決めたわけじゃないから、これからも真剣に向き合っていくつもりだよ」
そう言うと、ミサキちゃんは頷き、「私も同じです」と応える。俺達は互いに微笑を浮かべる。
これで一応は、同じ道に進まないかと誘ってくれた彼女へ誠意を見せることができたといえるのではないか。完璧ではなく漠然とではあるが、進みたい方向を示しただけでも良しとしてもらいたいところだ。
俺は腕時計で時間を確認して、話を切り上げようとする。
するとそこへ、
「マナトさーん!」
図書館の静けさを軽く破るような声が、通路の向こうから響いた。顔を上げると、手を振りながらこちらに駆け寄ってくるのはアヤナちゃんだった。今日も元気いっぱい、白いブラウスにカラフルなヘアピンが映えている。
「あっ……」
ミサキちゃんの声が少しだけ固くなった気がした。
「ねえねえ、何の話してたの? さっきから二人してニコニコして〜、なんか楽しそうだったじゃん!」
アヤナちゃんは俺が座る席の横に立ち、ミサキちゃんを覗き込むようにして聞いてくる。その顔には牽制するような好戦的な笑みが浮かんでいた。
「将来のことかな」
俺がそう言った瞬間、アヤナちゃんの目がぱちりと大きく開いた。
「え……えーーーっ!?」
アヤナちゃんが大声を出す。周りの人が若干反応したようが、一体どうしたというのか。
「二人は……付き合ってるの?」
俺はあわてて首を振って続ける。
「ち、違うって。進路の話だよ。将来、どんな仕事したいかとか」
「なーんだ、びっくりした」
アヤナちゃんは胸を押さえながら、ほっとしたように息をついた。
俺はそこでふと気がつく。将来の話というのは誤解を生みそうな発言だったということに。
「それでっ! なんの仕事の話してたんですか?」
そう言いながら、俺の隣の椅子にちゃっかり腰を下ろしてくる。テーブルの上に両手を置いて、ぐいっと身体を乗り出す。
「俺もミサキちゃんも、子どもに関わる仕事に興味があってさ。教育とか、福祉とか」
「子どもの……?」
アヤナちゃんの声が一瞬だけトーンダウンした。戸惑いの色が見えたのはほんのわずかで、すぐに彼女はいつものテンションを取り戻す。
「そ、そっかぁ〜~〜! あたしも、そういうの、前から興味あったんだよね!」
嘘だ! ーーたぶんミサキちゃんもそう思っただろう。彼女がチラリと視線をよこしてきた。
けれどアヤナちゃんはお構いなしに喋り続ける。
「保育士とかカウンセラーとか、子どもに寄り添う系ですよね? そーゆーの、いいな~って思ったんですよー!」
それっぽい単語を並べてはいるが、俺にはよく分かる。これは話に無理やり乗っかってきているだけだ。
それでも俺は否定せず、うなずいてみせた。
「そうなんだね。アヤナちゃんも同じ考えなんて、ちょっと意外だな」
「そ~ですか? あたしもまさか、マナトさんと同じ考えだとは思ってもみませんでした!」
笑顔で上目遣いのその表情は、なんだか俺の反応を伺っているような気がするが、それは勘違いなのでスルーする。
「そういえばあたし、マナトさんの連絡先聞いてなかったんですけど、進路のこととかいろいろ相談したいんで、LINE交換しませんか?」
アヤナちゃんは、キラキラにデコられたスマホをすっと俺の前に差し出す。
にこにこ笑ってはいるけれど、目はまっすぐで、まるで逃げ道をふさいでいるようだ。
「あ、ごめん。今日スマホ、家に置いてきちゃっててさ」
「えぇ〜〜〜!? ウソでしょ!? スマホ忘れるとか、今どきある〜?」
嘆くような声が図書館の静寂に響く。その声量に周囲がちらっとこちらを見る。
「しーっ」
ミサキちゃんが小さく注意する。それを受けてアヤナちゃんは「あ、ごめん」と口を押さえたあと、今度は小声で続けた。
「じゃあ、電話番号教えてください」
俺がどうしたものかと返事に困っていると、ミサキちゃんがわずかに前のめりになり、口を開いた。
「あの、マナトさんが困ってるから」
止めてーー彼女の言葉には、静かながらもはっきりとした意思がこもっていた。
それを聞いたアヤナちゃんは数秒黙ったあと、こちらを見てくる。
俺が苦笑いを浮かべると、彼女はふんと鼻を鳴らした。
「ふ〜ん……ミサキちゃんって意外と、はっきりものを言うタイプ?」
アヤナちゃんが問いかけると、少し間があってミサキちゃんが「そうだよ」と応じる。
「いつも静かな子だなーって思ってたんだけど」
「別に隠してたわけじゃないよ。ただ皆と話すことがほとんどないから」
ミサキちゃんの答えに、アヤナちゃんは大きく頷く。
「あ、そっかぁ意外。なかなか面白い性格してるね。もっと皆と仲良くしたらいいじゃん」
「私は自分の夢を優先させてるだけだよ」
ミサキちゃんがしれっと応える。
「夢が優先......ふーん、ま、それもありかもね~」
アヤナちゃんは頷いてこちらをちらりと見てくる。またしても俺の反応を伺うような行動をしている気がするが、偶然だろうから特に気にしない。
「しゃーない。今日のところは諦めます」
アヤナちゃんが不服そうな顔を見せつつ、背もたれにだらんとしてため息を吐く。ようやく諦めてくれたか。
ラインだったら断る理由はないのだが、会って間もない子に番号を教えるのはちょっと憚られる。
自由研究の検証していたというのもあるし、タイミングが悪かったな。
「マナトさん、次はいつここに来ますか?」
アヤナちゃんがぐいっと接近してくる。顔がかなり近いので、俺は引いて応える。
「えっと、明日かな」
「ホントですか? じゃあ、その時連絡先を交換してください!」
「うん。わかったよ」
俺が頷くと、アヤナちゃんの顔がぱーっと明るくなった。
ふと奥の方を見ると、ミサキちゃんが俯いて手持ち無沙汰にしていた。
「じゃあ、そろそろ休憩を終わりにして、勉強を再開しようかな」
俺の言葉にアヤナちゃんが「なら」と続ける。
「またマナトさんに教えてもらっちゃお」
そう言って、ニコニコしながら机に勉強道具を広げていく。まったく調子がいいんだから。拒否はしないけれど。
「いいけど、なるだけ小声で話そう」
「うん。気をつける」
アヤナちゃんはこそっと返事をして勉強に取り掛かる。
俺はその様子を見守り、前方を見る。するとミサキちゃんと目が合った。
俺が微笑むと、彼女は特に表情を変えることもなく勉強を再開した。
***
そこから数時間の間、俺たちは勉強を進めていった。
アヤナちゃんが参戦したことにより、いわゆるフロー状態に入ることはなかったが、自分の学習と他人に教えることを両立して、何とか無事終わらせることができた。
人にものを教えるというのはやはり面白い。
相手のレベル・背景を理解し、ゴールまでの道筋を設計。
そしていざ教えるときは、答えではなくヒントで相手に考えさせる。
他にもいろいろ考えなければいけないことはある。なかなかに大変なことだ。
でも、相手が成果を得られれば、自分も同じように嬉しい。信頼関係が築ければ、人脈も広がる。それはすばらしいことだ。
「今日もありがとね、マナトさん」
アヤナちゃんが感謝してくれる。俺は「うん」と頷いて微笑む。
各々勉強道具をカバンにしまい、席を立つ。
「おかげさまで、めっちゃ捗りました」
「それは良かった」
「明日もお願いしまーす!」
アヤナちゃんが頭を軽く下げるので、俺はわかったと返事をする。
そして図書館の出口をくぐり外へ出る。
「じゃあ、あたしはこれにて。またねマナトさん。ミサキちゃんも」
「うん。気をつけて」
俺の返事の後に、ミサキちゃんが「さよなら」と続いた。
アヤナちゃんが早足で去っていき、俺とミサキちゃんが残される。
そういえば、ミサキちゃんの家はどこらへんにあるのだろうか。まだ十分に明るいが、送った方が良いだろうか。
「それじゃ、私は帰ります」
ミサキちゃんが落ち着いた声で言う。前に「最近は毎日図書館に通っている」と言っていたから、心配する必要はないか。彼女なら寄り道などせずにまっすぐ家に帰るだろうし。
「うん。俺もここで。またね」
「はい。さようなら」
ミサキちゃんは丁寧に会釈して、歩き出す。
俺はその後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、帰路に就いた。




