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文学少年の恋物語 〜令和版源氏物語〜  作者: AYASAM
1年生夏休み
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53/117

Next Gear Showcase(音楽ライブ)

 七月の終わり。夏休みに入って最初の週末だ。


夕方になっても、外気はまだ昼の熱を引きずっている。駅前のアスファルトから立ち上る熱気と、湿った風。Tシャツ一枚でも汗ばむような気温に、ライブハウスへ向かう人の流れが重なっていた。


B1(ビー・ワン) RE:SONANT(レゾナント)


地下へ続く階段の前には、すでに人が溜まっている。

黒いTシャツにトートバッグ。リストバンドを腕につけたままの客もいれば、明らかに今日が初めてだと分かる高校生の集団もいる。夏休みらしく、年齢も雰囲気もばらけていた。


ホームのGreen(グリーン) Box(ボックス)より、ひと回り大きい。

そう聞いてはいたが、実際に来てみると、その違いははっきりしている。


階段は少し広く、天井も高い。壁に貼られたフライヤーの数がやたらと多く、知らない名前ばかりなのに、どれそれなりの貫禄がある。

ここは、音楽をやっている人間が自然と集まる箱なのだろう。


開場まで、まだ少し時間がある。

列の後ろで待っていると、地下の奥から、くぐもった音が漏れてきた。


――ドン、ドン。


低く、短いキックの音。

続いて、ギターが一音だけ鳴り、すぐに止まる。


リハーサルだ。


扉は閉まっているし、中の様子は見えない。

けれど、壁越しに伝わってくる音だけで、何をしているかは分かる。


ドラムの音は締まっていて、余計な響きがない。

ギターも、輪郭だけを確認するような、無駄のない鳴らし方だ。


この箱は音を雑には扱わない。

リハの段階から、そういう空気が伝わってくる。


しばらくして、スタッフが出てきて扉を閉め直す。

リハはもう終盤なのだろう。間もなく開場時間になる。


やがて列が動き、受付を通される。

事前にナノハからもらっていた電子チケットを提示し、ドリンク引換券を受け取る。


ロビーはすでに混み始めていた。

物販の準備をするスタッフ、出演者らしき人影、談笑する客。

開演前特有の、落ち着かないざわめきがある。


先にトイレを済ませ、ドリンクカウンターでカップを受け取ってから、フロアへ向かった。


フロアに足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。


冷房は効いているはずなのに、どこか熱を帯びている。

人の体温と機材の熱と、これから音が鳴る前の緊張感。

それらが混ざった、ライブハウス特有の匂いだ。


ステージはGreen Boxより一段高く、照明の数も多い。

左右に構えられたスピーカーは存在感があり、天井から吊られたライトは静かに待機している。

PA卓も本格的で、ヘッドホンを首にかけたスタッフが、真剣な顔でフェーダーを確認していた。


観客の数は、ざっと見で百人くらいは入っている。

前方はすでに埋まりかけていて、中央から後方にかけては、ほどよい間隔が保たれている。

スマホをいじっている人もいれば、腕を組んでステージだけを見つめている人もいる。


俺は、少し後ろに下がった。


ステージ全体が見えて、センターに立つであろうナノハのギターの手元が見える場所。

音も、ここが一番まとまって聴こえる。


そんなことを考えていると、照明が落ちて、ステージが徐々に明るくなった。


ステージ中央に、黒いキャップを被った男性が現れる。

手にマイクを持ち、慣れた様子でフロアを見渡す。


「どうもー! 本日のライブの司会を務めます、佐伯(さえき)トオルです!」


軽い拍手と歓声。

佐伯トオル、と名乗ったその人は、いかにもライブハウス慣れしている雰囲気で、声もよく通る。


「今日はご来場ありがとうございます。このライブイベントは今のところは、特に大きなトラブルもなく、無事に開催できております!」


笑いが起きる。

今のところは、という含みを持たせた言い方は、緊張感を和らげる。


「本日はですね、全部で15組のバンドに出演してもらいます。

 各バンド3曲ずつ。短いですが、その分濃いステージを期待してください!」


フロアのあちこちで、出演バンド名を確認するようにスマホを覗き込む動きが見えた。

自分は来る前に確認済みだが、再度スマホで今日のタイムテーブルを確認する。


Rosette(ロゼット)の出番は――8番目。ちょうど折り返し地点だ。


「そしてライブの最後にですね、ランキング発表があります!」


その言葉で少し空気が変わる。

ランキング、つまりは競争を強いられるということだ。


「チケットに付いてるリンクから、『今日いちばん良かった』と思ったバンドに投票してください。よろしくお願いします!」


誰かが「推し活だー!」と叫び、周囲が笑うが、俺は全然笑えない。


「あと大事なマナーの説明です」


佐伯さんは、少し声のトーンを落とした。


「撮影・録音は禁止です。スマホはポケットにしまって、音と空気をそのまま楽しんでください」


頷く人、慌ててスマホを下ろす人。

俺も一応、胸ポケットを確認する。


「それから、モッシュ・ダイブは禁止。怪我したら楽しくないですからね。あとは、体調悪くなったらすぐ近くのスタッフまで!」


説明は簡潔で抜けがない。何度もイベントを回してきたのだろう。

でも、今回もそんな怪我人が出るほど盛り上がるのだろうか。


「それじゃあ、長い説明はここまでとして――B1 RE:SONANT、ライブスタートです!」


照明が一気に落ち、SEが流れる。

フロアのざわめきが歓声に変わり、最初のバンドがステージに駆け込んでいく。

俺は腕を組んだまま、ぼーっとステージを眺める。


今日の目的として、盛り上がることは二の次だ。

最優先はRosetteの演奏を聴いて、ナノハの今を確かめること。


舞台セットやセットリストは5月のライブとほぼ同じ構成だ。

でも、ライブのコンセプトは全く異なる。

同じ結果になるとは限らない。


どこか湿り気のある自分の心をよそに、フロアの温度は上がっていく。


***


 七組目の演奏が終わり、次はいよいよRosetteの出番だ。


ステージ転換の間、フロアが少し騒がしくなる。

前のバンドが捌け、スタッフが手慣れた動きで機材を入れ替えていく。

ドラムセットの位置が決まり、アンプが置かれ、ケーブルが正確に這わされる。


五人編成の、見慣れた配置。

ステージ中央にボーカル用のマイクスタンド。

ナノハの立ち位置は、ほんのわずか前だ。


照明が落ち、SEが止まる。

フロアに、計測前のような静寂が降りた。


次の瞬間、ステージに人影が現れる。


ギターを肩に掛けたナノハ。

表情は抑えられていて、感情の起伏が読み取れない。

その後ろに、ベースのミユとキーボードのサヤ。

ドラムのラブがスティックを持って腰を下ろし、

最後にリオが、無駄のない動きで立ち位置についた。


拍手が起きる。

だが歓声はまだ、探るような音量だ。

観客は、これから鳴る音の性質を測っている。


リオがマイクに手をかける。

一瞬だけフロアを見渡すが、視線は誰にも止まらない。


「こんばんは。Rosetteです」


短い挨拶。

感情を込める余白はない。


「今日は、今の私たちを、そのまま持ってきました。

一曲目、聴いてください」


わずかな間。


「MiraizでPrism Protocol」


合図と同時に、SEが立ち上がる。

ドラムのカウントはない。


〈Initializing…〉


低く、無機質な音声。

ステージ背面の照明が白く点灯し、細い光のラインが分解されるように走る。


〈Prism Protocol〉


キックが入る。

重く、正確。揺れのない一発。


ギターが刻む。

音の輪郭だけを抽出したようなリフ。

余韻は最小限で、すぐに次の情報へ移行する。


最初から全体が噛み合っていた。

いや、噛み合うように処理されている。


〈白い光を 分割して

角度ごとに 並べてく〉


ナノハの声は、驚くほどクリアだった。

音程、タイミング、発声――どれも正確。

だが、感情は乗っていない。


抑えている、というより最初から削除されているように聴こえる。


〈揺れる値を 切り落として

最短距離を 算出する〉


歌詞と歌唱が、完全に一致していた。

感覚を排し、最適解だけを選び取る声。


ドラムは安定している。

ラブのキックは深く、余計な倍音がない。

ベースは音価を正確に刻み、

キーボードとギターは役割を侵さない。


クリックを使っているのだろう。

全員が、同じ規格に同期している。


サビに入る。

照明が一段階、明るくなる。


〈Prism Protocol

分解された Truth

Prism Protocol

整列する Hue〉


音は、異様なほどきれいだった。

整いすぎている、と言ってもいい。


俺は無意識に、ナノハの顔を見る。


表情は静かだ。

視線はフロアではなく、少し奥。

客ではなく、基準値を見ているように見える。


完成度は高い。

技術的には、文句のつけようがない。


ただ――


身体が、自然には乗らない。


変拍子が混じる。

サビ前で一瞬、拍の感覚がずれる。

間奏のダンスブレイクは、慣れを要求する構造だ。

少なくとも、感情だけで受け取る設計にはなっていないように思えた。

理解と順応を前提にした音楽だ。


ボーカルは生歌というより、高精度にチューニングされたボーカロイドに近い。

それが、この曲の美しさなのだろう。


間奏。

リオのギターが前に出る。


短いソロ。

跳躍の大きいフレーズを、完璧な精度で通す。

音の粒は均一で、ブレがない。


感情の揺れはない。

ただ、再現性だけがそこにある。


このバンドが、今どこを目指しているのか。

その思想を完璧に明確に示している。


最後のサビ。

ナノハの声は、最後まで崩れない。


アウトロのSEが流れ、

照明がゆっくりとフェードアウトする。


曲が終わると、

少し間を置いて拍手が起きた。


「ありがとうございます」


リオがマイクを取る。


「改めまして、Rosetteです。

今日のライブに参加できてとても嬉しいです」


落ち着いた声。

感情は抑えられ、言葉は整っている。


「ここから、もっと温度を上げていくので、最後までよろしくお願いします」


簡潔なMC。曲の思想の説明はしないようだ。

俺は、無意識に腕を組み直していた。


――今のRosetteは、

音楽を「心」ではなく「システム」として鳴らしている。


その事実を、否定する材料は何一つない。


「2曲目はオリジナルです。RosetteでNorth or South?」


照明が切り替わる。

ナノハがギターの位置を直し、深く息を吸った。


次の曲では、空気が変わる。

それだけは、はっきりと分かる。


ドラムのカウントが入る。

今度はクリックよりも、人の呼吸に近い入り方だった。

ラブのスティックが、ほんのわずかに弾む。


イントロ。

軽快なシンセと、ギターのカッティング。

さっきまでの無機質な空気が、一段階だけ柔らぐ。


〈Lights up, one two three

Hands up, are you ready?〉


ナノハの声が入った瞬間、フロアの反応が変わった。


声が、前に出てくる。


さっきよりも、わずかにラフだ。

子音の輪郭が丸く、母音が伸びる。

完璧ではないが、その分だけ距離が近い。


〈行き先なんて tonight はノーカウント

Just jump in, just jump in〉


観客の何人かが、自然と体を揺らし始める。

さっきは腕を組んでいた人間も、今はリズムを取っている。


この曲は、考える前に動かすタイプの音だ。


ナノハのギターは軽く歪み、

歌声は、言葉を置きにいくように進む。


〈ステージライト 鼓動がリンク

Count down zero 世界がウィンク〉


視線が、フロアに向いた。

さっきまで見ていなかった「客」を、ちゃんと見ている。


いい入りだ。

声も安定している。

ブレスも、まだ深い。


Verse 1に入る。


〈躊躇いは スニーカーの奥

踏み出せば ビートが背中押す〉


ナノハの足が、わずかに前へ出た。

ステージの端ではなく、センターに寄る。


その動きに合わせるように、

ベースとキーボードが厚みを増す。


Pre Chorus。


〈Clap your hands 息を合わせ〉


歌詞と鳴らされたスネアが、ほんのわずかに噛み合わなかった。

大抵の人がミスではなく、ばらつきの範囲内と捉えるであろう。


〈理由はまだ 言えなくていい

ここにいる それが true〉


音程も表情も、問題はないように見える。

しかし――完璧にクリアな声質ではない。音量も小さくなった気がする。

感情を乗せているはずのフレーズが、ガラス越しに聞いているみたいに、どこかくぐもっている。

まるで、視線は前を向いているが、気持ちは前を向いていない。


しかしすぐに立て直す。

技術的には、完全にリカバリーできている。


でも――その後の歌い方が、少し変わったように感じる。


さっきまであった「前に投げる」感じが消え、音を外さないことに意識が向く。


〈North or South? 風にまかせ〉


サビに差し掛かる。

フロアは盛り上がっている。

手を上げる人も増え、掛け声も飛ぶ。


成功している、と言っていい。


けれど、ナノハの表情は緩まない。


前向きな歌詞とは裏腹に、表情はどこか硬い。


〈Jump it up この瞬間で

We can shine, we can try again〉


『try again』。


そのフレーズが、やけに薄く聴こえた。


2番に入る。

歌は安定している。

もう違和感はない。


〈笑顔の裏 揺れるノイズ〉


まさに今の彼女の状況を言い当てているような歌詞だ。


テンポは合っている。

コードも揃っている。

全員、正しい音を出している。


明るい雰囲気の曲なのに、ナノハは歌を置きにいっているようだ。


〈この声が届くなら

It’ll be alright〉


Chorus 2が終わり、間奏に入る。


俺は無意識に、リオの方を見る。


リオは、彼女の歌い方に気づいているだろうか。


その表情はずっと変わらず真剣なままだ。

だが、ギターの入りがタイトになっている気がする。

ズレを許さない演奏で、全体を率いている。


Bridgeに差し掛かる。


〈信じたい tonight just a little bit

(who am I calling this for?)〉


その一行を置いたあと、ナノハの視線が、ふっと宙を切った。

フロアでも、メンバーでもない、どこにも定まらない場所を見るように。


問いかけるようなその歌詞は、誰に向かっているのだろう。


ナノハは息を吸い、前を向き直す。


違和感はない。

けれどその一瞬だけ、ステージの上にいる彼女が、歌っている「役割」から外れたように見えた。


曲はLast Chorusを終えてOutroに入る。もう終わりが近い。


〈どんな未来が待ってるか わからないでも

It’ll be, it’ll be alright!〉


最後の一行。きれいに終わった。

音程も、タイミングも、完璧と言える。


照明が暖色に変わり、曲が締まる。


拍手と歓声は前の曲よりも大きい。

成功だ。少なくとも、フロアの評価としてはそうだと言える。


ナノハは一礼する。その動きは隙がないように思える。

しかし視線が一瞬だけ揺らぐ。

俺はそのしぐさを見逃さなかった。


完璧に近い演奏。小さな違和感。

そして、その後に起きた些細な変化。


彼女は心から楽しめただろうか。精一杯歌えただろうか。


思い浮かんだそれらの疑問は、リオのMCの声で霧散する。


「ありがとうございます」


マイクを握るリオの声は、さっきより少しだけ低かった。

落ち着いている。いや、意図的に落ち着かせている。


「次がラストの曲です」


その一言で、フロアがざわつく。

もう終わりか、という空気と、最後は何を出してくるのかという期待が混ざっているようだ。


「最後は、私たちの中で一番“芯”にある曲をやります」


その言葉に、俺は少しだけ引っかかる。

今までの二曲は、確かに完成度が高かった。

だが、ナノハの芯と呼べるものが前に出ていたかと言われると、少し違う。


「気持ちとか評価とか、そういう余計なことは考えず」


ほんの一瞬、間が入り、


「ただ音を鳴らすことだけに集中します」


短く切るように言い切った。


煽りはない。

盛り上げようともしない。

だが、不思議と空気が締まる。


リオは、フロアではなくメンバーの方を一度だけ見る。

ナノハとも、ほんの一瞬だけ視線が交わったように見えた。


ナノハは頷かない。でも、視線を逸らしもしなかった。


「それじゃあ、最後の曲行きます」


説明は、それだけ。


余計な言葉を足さない。

感情を共有しようともしない。


このMCは、観客に向けたものというより、メンバーに向けた合図なのではないか。


「Black No Sugar」


その言葉に続き、照明が落ちる。

一拍置いて、ドラムスティックのカウントが始まる。


ナノハはマイクの前に立ち、深く息を吸う。


ドラムのカウントは、一定だった。


「ワン、トゥー、スリー」


ためも、煽りもない。

テンポを刻むだけの、無表情な合図。


イントロ。

低く、乾いた音が落ちる。


〈――Drip〉


スピーカー越しでも分かるほど、声の余計な成分は削られている。

空間に広がらず、床に落ちる音。


〈静かに落ちる midnight tone〉


音程は安定している。

だが、さっきとは明らかに違う歌い方。


声に角がある。


温度は低く、抑揚も少ない。

感情を込めていない、というより、意図的に排除しているような歌い方だ。


〈いつもの分量

No cream, no excuse〉


歌詞と同じく、歌い方もミニマルだった。

ブレスは浅く、伸ばさない。

余韻を残さず、次の言葉へ移る。


Verse 1。


ギターが刻むリフは単純だ。

派手さはない。

だが、音の粒が揃っている。


ベースは低域を支え、

キーボードは、存在を主張しないコードを敷く。

ラブのドラムは全く揺らがない。


〈曇ったカップに 揺れるライト

温度だけが 正確を語る〉


歌詞の感情を引き出す余白がほぼない。

その代わりに、演奏がしっかり聞こえてくる。


先の曲とは違い、ナノハの歌は前に出てこない。

だが、引っ込んでもいない。


そこに自然に存在する。それだけだ。


〈混ざる要素は すべてがノイズ〉


その一節で、フロアの空気が少し変わった。

観客の何人かが、腕を組み直す。

無意識に、姿勢を正したようにも見える。


分かりやすい盛り上がりはない。

けれど、音を聴こうとする人間が増えている。


Pre-Chorus。


〈飲み干すたび 苦味が立つ

それでいい それが基準〉


ここで、ナノハの声に一瞬だけ揺れが入る。

歌詞の意味的にミスではない。おそらく狙ってやったのだろう。


Chorus。


〈Black No Sugar

誤魔化しはいらない〉


サビなのに、開放感がなくさっぱりした印象。

音量は上がっているのに、熱気は上がらない。


それが、この曲の正しさなのだろう。


〈甘さのない クリアな輪郭〉


リオのギターが、わずかに前に出る。

音数は増えないが、アタックが強くなる。


輪郭という言葉を、音で説明している。


フロアは静かだ。

手は上がらない。

声も出ない。


空気は張り詰めている。


Verse 2。


〈拍手の温度はcoolでも

評価は後から来るから〉


ナノハは、客を見ていない。

マイクの向こう、もっと奥を見ている。


評価を求めていない歌い方。

理解されなくても構わない、という姿勢。


〈同じ豆でも 淹れ方次第

味は絶対 嘘をつかない〉


ここで、リオが特徴的なリフを奏でる。

彼女の存在感が増している。


この曲はなんというか、ナノハっぽくない。

どちらかというと、リオの思想に近い。

ナノハが彼女の思想を代弁しているのだろう。


Pre-Chorus 2。


〈砂糖を落とした あの夜〉


一瞬だけ、ナノハの声が柔らぐ。

完全にではない。

だが、さっきよりも丸い。


感性を否定していない、という合図のようだった。


〈悪くない でも違う

これは 私の音じゃない〉


その一行で、声が元に戻る。

迷いが切り捨てられる。


Chorus 2。


〈Black No Sugar

苦さの奥で 光る core〉


このあたりから、フロアの反応が変わる。

盛り上がりではない。

納得に近い。


そういう音楽だと、理解され始めている。


Bridge。


ここが核心だ。


〈Feeling is the entrance

Skill is the exit〉


ナノハは、感情を込めない。

言い切るだけだ。


〈残るのは 磨いたものだけ〉


その瞬間、リオのギターがソロに入る。


派手なフレーズはない。跳躍もしない。

だが、一音一音が正確で滑らかだ。


揺れず、焦らず、ただひたむきに。

これが出口だと、示すような洗練された音が並んでいく。


見事なソロを聞き届け、Last Chorusに移行する。


〈Black No Sugar

甘さを戻さない〉


ナノハの声は、最後まで一定だった。

熱も勢いも上がらない。


〈正しい音が ここにある

それだけで もう満足〉


アウトロ。静かに流れていく。


〈Black No Sugar

――This is my best flavor〉


そして最後の一音が落ちる。

ほどよい余韻を残して。


そして照明が、ゆっくりと暗転する。

一瞬、フロアが静まり返った。


それから、拍手が起きる。

途切れることなく、徐々に大きくなっていく。

これは評価する拍手だ。

俺も称賛を込めて拍手を送る。


この曲で理解した。彼女らは確かに強い。

ただし一人だけは、そうとも言い切れない。

ナノハは、歌い切ったあとで、また視線を落としていた。


そしてステージ転換が始まる。

機材が運ばれ、照明が切り替わり、次のバンドの準備が進む。

だが、俺の意識はもうステージにはなかった。


頭の中では、さっきの三曲が何度も再生されている。


完成度。

安定感。

評価される理由。


どれも、はっきりしている。


それなのに、胸の奥に何かが引っかかったままだ。


***


 全バンドの演奏が終わると、再び佐伯トオルがステージに戻ってきた。

その後に、続々と参加したすべてのバンドが登壇する。


「いやー、皆さん。お疲れさまでした!」


大きな拍手が起きる。

出演者も観客も、ひとまず肩の力が抜ける瞬間だ。


「今日は本当に、レベルの高いライブでした。投票もかなーり拮抗しています」


その言葉に、フロアの空気が少しだけ張り詰める。

結果を待つ時間は、いつも静かだ。


「それでは、結果発表に移ります」


照明が少し落ち、ステージ中央にスポットライトが当たる。


「まずは、第3位! Afterglow(アフターグロー) Steps(ステップス)


バンド名が読み上げられ、拍手と歓声が起きる。

知っている名前ではないが、納得感はある。

バンドの代表者が軽く感想を述べる。


「ありがとうございます。続いて、第2位!」


ほんの一拍、間が置かれる。


「――Rosette!」


拍手が一気に大きくなる。

歓声も混じる。

結果としては、かなり良い位置だ。


ステージ袖から、Rosetteのメンバーが呼ばれて出てくる。

並んで一礼するその姿は、どこから見ても堂々としている。


リオは表情を崩さず、ミユとサヤは少し安堵したように笑い、

ラブは小さく拳を握っている。


ナノハは――薄く笑ってはいる。

その表情は、心からの笑顔とは呼べないものだ。


「惜しかったですねー!」


佐伯が明るく声をかける。


「ほんと、僅差でした。今日のRosette、めちゃくちゃ完成度高かったです!」


観客からも同意するような拍手が起きる。

誰もが「良い結果」だと理解している。


リオはマイクを向けられて短く答えた。


「ありがとうございます。とても勉強になりました」


それ以上は語らない。

感情を足す余地も、削る余地もない。


「そして第一位はーーAstraVale(アストラベイル)!」


喝采が起こる。俺も拍手を送る。


優勝バンドが感想を述べ、その後ライブイベントは締めに向かう。

フロアの空気は、すでに次へ進んでいる。


***


 終演後、観客は少しずつ出口へ向かい始める。

物販に立ち寄る人、友人同士で感想を言い合う人。

俺はロビーの端の方で、Rosetteのメンバーが出てくるのを待っていた。

声をかけるかどうか迷ったが、少しでも労えればいいと思う。

そして、もし許すのであれば、今日の演奏について、ナノハがどう感じているのかを聞いてみたい。

観客たちが帰っていくのを眺めながら静かに待っていると、関係者用の通路からナノハが出てくる。

近づこうとしたが、すぐに足を止める。


彼女は俯きがちに歩いていた。

スマホを見ているわけでもない。

誰かと話しているわけでもない。

笑っていないし泣いてもいない。


結果を受け止めきれていないようにも見えたし、何かを考え込んでいるようにも見えた。


これは話しかけていい状況なのだろうか。

誰と話すでもなく歩いているその様子を見て、俺は立ち止まったまま動けない。

今声をかけて、彼女はちゃんと答えてくれるだろうか。


「良かった」と言ったら「ありがとう」と元気なく笑みを見せるのが目に見える。


今日のライブが成功か失敗かでいえば、間違いなく成功だろう。

演奏は周りに比べて優れていた。


ただ――ナノハの様子からして、満足できるものではなかったのかもしれない。


そう察して、俺は声をかけるのをやめた。


人の流れに紛れて、出口へ向かう。

地下の階段を上りながら、背中に音が遠ざかっていく。


外に出ると、夜風が涼しかった。

汗が引く感覚を覚える。しかし、違和感は胸の奥にじわりと残ったままだ。


***


 ライブが終了した頃。

ステージ裏の通路は、思ったよりも静かだった。

拍手や歓声は壁一枚向こうに残ったまま、ここには現実だけがある。


「お疲れさまでした」


スタッフに声をかけられ、小さく頭を下げる。

その動作は、ステージの上よりもずっとぎこちなかった。


楽屋に入ると、空気が一気に緩む。


「はー……終わった……」


ラブが椅子に倒れ込むように座り、スティックケースを床に置いた。

ミユはスマホを確認しながら、ほっとしたように息を吐く。


「2位、すごくない?」


その一言が、部屋に落ちる。


誰も否定しない。

その沈黙が、肯定よりも雄弁だった。


私はペットボトルの水を口に含む。味は全くしない。


「――サビ前」


不意に、リオが言った。

全員の視線が、自然と彼女に集まる。


「『North or South?』の最初のPre-chorusだけど、ナノハ、もたついてたね」


責める声ではなかった。

事実を読み上げるだけの、平坦な声。


「すぐリカバーしたけど、そこからボーカルが伸びてない印象だったし」


私は、何も言えなかった。


気づかれていないはずがないと、分かっていた。

それでも、言葉にされると逃げ場がなくなる。


「そこがうまくできてたら、1位を取れた可能性があったかも」


躊躇のない言葉が重くのしかかる。


「……ごめん」


ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど小さかった。


「まあまあ、リオ。言っても可能性でしょ。2位って十分すごくない?

ベストパフォーマンスだったと思うよ」


ラブが慰めてくれるが、その言葉に引っかかりを覚える。


ベストパフォーマンスーー違う。


もしそうなら、心が満たされていて幸福なはずだ。


「今後は」


リオが続ける。


「精度を安定させていきたいところね」


その言葉を聞き、ナノハは心の中で思う。


どうやって精度を安定させるのか。

私と彼女の本質は全く違うというのに……。


***

――――――――――

B1 RE:SONANT LIVE

Setlist & Lyrics

【8th Act】Rosette

――――――――――

M1:Prism Protocol - Miraiz

【Intro / Spoken】

Initializing…

Prism Protocol.

All channels open.


【Verse 1】

白い光を 分割して

角度ごとに 並べてく

感覚は 未使用

処理は 正常


【Pre-Chorus】

揺れる値を 切り落として

最短距離を 算出する

測れないものは

Noise


【Chorus】

Prism Protocol

分解された Truth

Prism Protocol

整列する Hue


Prism Protocol

感情は Pass

Prism Protocol

Output is clear


【Instrumental / Dance Break】


【Verse 2】

設計された 未来線

誤差は 許可されない

壊すための 秩序

それも 最適解


【Pre-Chorus 2】

ずれる拍 ずれる息

同期しない 心拍

均衡の外で

Signal flickers


【Chorus 2】

Prism Protocol

分岐する Path

Prism Protocol

選別された Phase


Prism Protocol

迷いは Skip

Prism Protocol

Remain the core


【Bridge / Spoken】

Believe

Observe

Or

Execute


【Final Chorus】

Prism Protocol

解かれる Code

Prism Protocol

再構築される World


Prism Protocol

未完成のまま

Prism Protocol

進化は ここから


【Outro / Spoken】

Protocol accepted.

Phase one complete.

Next signal… incoming.


===

M2:North or South? - Rosette

【Intro】

Lights up, one two three

Hands up, are you ready?

行き先なんて tonight はノーカウント

Just jump in, just jump in


【Verse 1】

ステージライト 鼓動がリンク

Count down zero 世界がウィンク

正解なんて 後回しで

今を鳴らせ 音のままに


躊躇いは スニーカーの奥

踏み出せば ビートが背中押す

迷っても 止まらない

We’re still running, running now


【Pre-Chorus】

Clap your hands 息を合わせ

Sing it out 声を重ね

理由はまだ 言えなくていい

ここにいる それが true


【Chorus】

North or South? 風にまかせ

Right or Wrong? 気にしないで

Jump it up この瞬間で

We can shine, we can try again


North or South? 地図はいらない

Heartbeatが導いて

この声が届くなら

It’ll be alright


【Verse 2】

笑顔の裏 揺れるノイズ

同じコード ズレたチョイス

見てる景色 同じでも

感じ方は バラバラで


テンポずれの 一拍目

誰も気づかない 違和感で

それでも音は 前に進む

I keep playing, playing on


【Pre-Chorus 2】

Hands in the air 高く掲げ

Sing it loud 今を刻め

完璧じゃなくていい

揺れてても still okay


【Chorus 2】

North or South? 光を追って

Up or Down? 得意の直感で

Clap it loud 熱を高め

We can move, we can feel again


North or South? 答えはnothing

響いたら それでいいの

この声が届くなら

It’ll be alright


【Bridge】

If you’re lost, just stay here

Feel the sound, feel the beat, and let it hit

言葉より先に伝わるもの

信じたい tonight just a little bit


(who am I calling this for?)


【Last Chorus】


North or South? 叫び続けろ

Yes or No? 決めたら損損

Sing it out 今が最高

We are here, we’re still alive


North or South? どこへ向かっても

今ここで鳴ってる Woo Woo

この声が届くなら

It’ll be alright


【Outro】

North or South? I'm still singing now

答えはきっとステージの先

どんな未来が待ってるかわからないでも

It’ll be, it’ll be alright!


===

M3:Black No Sugar - Rosette

【Intro】

Drip…

静かに落ちる midnight tone

いつもの分量

No cream, no excuse


【Verse 1】

曇ったカップに 揺れるライト

温度だけが 正確を語る

香りじゃない 濃度を測って

混ざる要素は すべてがノイズ


揃えた指で 刻むカウント

ズレは一瞬で expose

優しさよりも 再現性

答えはまだ 先にある


【Pre-Chorus】

飲み干すたび 苦味が立つ

それでいい それが基準

逃げ道のある 音じゃなく

積み上げた 線を信じる


【Chorus】

Black No Sugar

誤魔化しはいらない

甘さのない クリアな輪郭

研ぎ澄ませ このtruth


Black No Sugar

混ざらない 完成形

もっと正しく強く

この一音に 乗せて


【Verse 2】

拍手の温度はcoolでも

評価は後から来るから

一瞬の高なりをcalm down

崩れないハーモニー


同じ豆でも 淹れ方次第

味は絶対嘘をつかないから

今この時 証明する

my favorite taste of coffee


【Pre-Chorus 2】

砂糖を落とした あの夜

少しだけ 心が揺れた

悪くない でも違う

これは 私の音じゃない


【Chorus 2】

Black No Sugar

苦さの奥で 光る core

飾りはいらない

磨かれた このサウンド


Black No Sugar

冷めても 線は残る

結果を刻めば

気分も上がってくる


【Bridge】

Tried a little sugar, just once

甘くて確かに 飲みやすかった

But it blurred the edge of tone

輪郭が どんどん鈍っていく


Feeling is the entrance

Skill is the exit

残るのは 磨いたものだけ

Clarity over sympathy


【Last Chorus】

Black No Sugar

甘さを戻さない

選ばなかった 感情ごと

音に変えて 解き放つ


Black No Sugar

理解は求めない

正しい音が ここにある

それだけで もう満足


【Outro】

冷めたカップの 底に残る

混じり気のない 真実

Black No Sugar

This is my best flavor

===

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