家庭科室で料理対決 vs英語部
夏休み序盤のある日。お昼近く。 俺は家庭科室の扉を開けた。
中にはすでに、家庭科部の面々が揃っている。
「お、学弟。早上好!」
春玲先輩が手を振る。 みどり先輩は花柄のエプロン姿で、調理台の上を確認していた。
「おはよう、古暮くん」
「おはようございます」
俺は軽く頭を下げる。すると、少し遠くから、
「おはよー」「ボンジュール」
明るい声と気取った声で挨拶される。くるみやブラン先輩も相変わらず元気そうだ。
二人と挨拶をかわし、カバンを部屋の荷物置き場に置く。 カバンからエプロンと三角巾を取りだして身に付けて、準備完了だ。 そこから家庭科部の皆と雑談をしながら待機すること数分後。
「おはようございます」
ガラッと扉が開き、元気な声が響く。
今日の料理勝負の相手である春百が、軽く手を上げて入ってきた。
「あっ、高橋さん。おはようございます」
みどり先輩がいち早く反応する。
高橋さんか。春百のことは名前で完全に呼び慣れているせいで、逆に違和感があるな。
「八幡先輩、おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「はい」
軽く挨拶をかわすと、春百は俺に「よっ」と声をかけてくる。
「逃げずに来たな」
軽く挑発すると、彼女は「ふん」と鼻で笑う。
「せいぜい足元をすくわれないように」
今日の春百は雰囲気が少し違う。気迫というか自信がある気がする。
そしてその後ろから、同行者である女子が二人入ってきた。 一人は亜麻色のショートカットで、きりっとした雰囲気だ。 もう一人は黒いミディアムヘアで、控えめな印象がある。 二人ともエプロンを身に付けている。
「よろしくお願いします。これで全員ですね?」
先輩が春百に確認する。春百は「はい」と頷いた。 そして、黒板の前に全員を集め、みどり先輩が口を開く。
「皆さんおはようございます。家庭科部部長の八幡みどりです。 料理対決を始める前に、まずは自己紹介からしましょうか」
そう促され、家庭科部、英語部の順に自己紹介を進めていく。 春百の挨拶が終わり、残るは二人のみだ。
「英語部の朝倉リアンです。最近料理に目覚めたので、今日は飛び入り参加させてもらいます。よろしくお願いします」
ショートヘアの女子が丁寧に名乗る。どこかイントネーションに癖があるため、もしかしたらブラン先輩と同じでハーフの人かもしれない。 彼女が今回の好敵手ということか。
「同じく英語部の桐谷ルナです。私は食べる専門なので、今日は味見の方をさせてもらいます」
黒髪の子が自己紹介をする。どうやら彼女は勝負には参加はしないようだ。
「皆さん、準備は大丈夫ですか?」
全員が返事をして頷く。
「では、料理対決を始めましょう!」
その声で、場の空気が引き締まった。
「最初にルールの確認です」
今回勝負をするにあたり、春百にはあらかじめおおまかなルールについて説明をしている。今からその確認が始まるわけだ。
「参加者は古暮くん、高橋さん、朝倉さんの三人です。
審判役は私たち家庭科部に加え、桐谷さんの計5人になります」
合計で8人。思いのほか大人数になった。 これを機に英語部とも交流ができると思えば儲けものか。
「参加者の三人は、制限時間三十分以内に私が発表するお題の料理を作ってください。
料理の量は二人分とします。食材は家庭科室にあるものを自由に使ってかまいません」
淡々と説明が続く。特に変更点はないが、料理の量が二人分ということは覚えておこう。
「評価項目は味、見た目、栄養バランス。そしてコンセプト」
一瞬だけ、先輩はこちらを見る。
「なぜその料理を選んだのかも含めて見ますからね」
こだわりポイントか。俺は小さく息を吐いた。 入部試験のときから少しは成長していればよいが。
「100点満点で点数を付けます。審査員は5人いるので最大で500点ですね」
点数形式の場合、人気投票にはならないから、ますます手は抜けない。
「では、参加者の皆さん、準備はよろしいですか?」
俺たちはまちまちに返事をする。今一度エプロンを締め直す。
「お題はーー」
みどり先輩に全員の視線が集まる。
「『夏バテでもまた食べたくなる一皿』です」
入部試験のお題から少し変化を加えてきたな。
「それじゃあ——」
みどり先輩がタイマーに手をかける。
「スタート」
カチッという音と同時に、空気が動いた。
***
まず冷蔵庫へ向かう。頭の中で思考する。
夏バテでも食べられるものといったら、さっぱりしていて重くないものが良い。そしてちゃんと栄養はあれば最高だ。
ここはやはり得意分野の和食で勝負しよう。
シンプルで、毎日食べたくなるならこれが一番だろう。
手に取るのは、だしパック。そしておなじみ豚肉だ。
主菜の前に、まず米を炊く準備を完了させる。
「和食かー」
隣から声したので振り向く。春百がトマトを手に取っていた。
「お前は何作るんだ?」
「見てればすぐにわかるよ」
にやっと笑うのを見届けてから、コンロに鍋をかける。
だしを作って冷やしておく。
その間に、豚しゃぶの準備だ。
湯を沸かして火を止め、一枚ずつくぐらせる。
色が変わる瞬間を見て引き上げる。もはや慣れたものだ。
「温度計はーー」
みどり先輩の声。
「必要ないです」
「そうみたいだね」
それ以上は何も言わず、ただこちらを見守っている。
ふと横を見ると、春百がパスタを茹でていた。リズムよくトングを回している。
「リズムが良いな」
俺は彼女に聞こえない声で呟く。まるで料理でも音を奏でているかのようだ。
一方で飛び入り参加の、朝倉さんの様子を伺ってみる。
彼女の動きには一切無駄がない。
大きな皿に、鶏肉、野菜、穀物を順番にも配置していく。
「OK. Next...」
小さく呟きながら、そそくさと手を動かす。なかなかに隙のない所作だ。
どうやらサラダボウルを作っているようだ。
それを傍目に炊きあがったご飯をよそい、冷やした出汁を準備する。
薬味を刻む。大葉、みょうがの香りが立ちこめる。
最後に、盛り付けを行う。
ご飯の上に豚しゃぶを乗せ、薬味を散らして出汁をかける。
シンプル・イズ・ザ・ベスト。良い出来栄えだ。
「できました」
俺の声とほぼ同時に、春百も皿を置いた。
「私も」
少し遅れて、朝倉さん。
「Done」
その直後にタイマーが鳴り響いた。
***
三つの皿が並ぶ。
俺の茶漬け、春百のパスタ、そして朝倉さんのサラダボウルだ。
「では、審査に入りましょう」
みどり先輩が手を合わせる。皆も真似をする。
「いただきます」
「「いただきます」」
審査員5人の声が揃った。
最初に箸が伸びたのは、朝倉さんの一皿だ。
鶏肉、野菜、穀物。バランスよく盛られたそれは、見た目からして整っている。
ブラン先輩が一口食べて、頷いた。
「……理にかなってるね」
春玲先輩も続く。
「うん、軽いのにちゃんと力出そうネ」
みどり先輩が口を開く。
「栄養バランスはすごくいいね。タンパク質も、ビタミンもちゃんと取れる」
朝倉さんが、少しだけ胸を張る。
「Of course. 夏バテの原因は、栄養不足と水分不足です。これはその両方をカバーしてます」
「うん。よく考えられてる」
みどり先輩は素直に頷いた。
「次、こっちいくね」
フォークでパスタを巻き取る。
トマトの赤とバジルの緑が、妙に目に残る。
そして一口頬張る。みどり先輩の目が、わずかに細くなった。
「うん、美味しい!」
続いて春玲先輩が声を上げる。
「味が変わるネ! 最初さっぱりだけど、あとからちょっとコク来るヨ!」
「うん、リズムがあるね」
ブラン先輩が楽しそうに言う。その様子に春百が軽く笑った。
「単発だと飽きるかと思ったので、二重にしました」
みどり先輩がもう一口食べる。
「面白い発想だね」
少しだけ考えてから、続ける。
「ただ、人によっては少し強いと感じるかもしれない」
「そうかもですね」
春百はあっさり受け入れた。
そして、最後に俺の番だ。
茶漬けに、全員の視線が集まる。
見た目は一番地味と言える。仕方がないので味で勝負だ。
みどり先輩が、静かに出汁をすくって口に運ぶ。
一口飲み込むが、何も言わない。
もう一口飲み込む。それから、小さく息を吐いた。
「うん」
顔を上げる。
「美味しいよ」
胸の奥が、少しだけ軽くなる。
春玲先輩も食べて、頷く。
「これは食べやすいネー。するする入る」
くるみはすでに半分くらい食べていた。そんなにハマったのか。
「これずっと食べれるやつだ」
隣のブラン先輩が腕を組む。
「完成度は高い。非常に安定しているな」
褒められているのだろうけれど、どこか引っかかる言い方だった。
みどり先輩が俺を見て口を開く。
「古暮くん」
「はい」
「美味しさの秘訣は何?」
一瞬、言葉が詰まる。
「出汁。あとは薬味でさっぱりしてて」
「うん」
先輩は頷く。その先を促すような雰囲気だが、特に続く言葉は思いつかない。
説明が浅いだろうか。しかし、シンプルな料理だし、それほど強調したいところはない。
「それぐらいですかね」
「わかった。ありがとう」
一言だけ言って、箸を置く。
***
「じゃあ、結果発表に移ります。まずはそれぞれの料理の所感を述べたいと思います」
そう全員を見渡しながら言った後、みどり先輩は朝倉さんの方を向いた。
「朝倉さんのは理論的に一番完成度が高いですね。夏バテ対策として非常にふさわしいと感じました」
朝倉さんが頭を下げる。
「高橋さんのは、発想と楽しさがある。印象に残る料理でした」
そして、少しだけ間を置く。
「古暮くんのは——」
俺は無意識に背筋を伸ばしていた。
「一番、日常に近いね。親近感を覚えました」
「はあ、日常ですか」
「負担なく食べられるし、人によっては毎日いける人もいるみたい」
ちらっとくるみの方を見やる。彼女はうんうんと頷いている。
「ただ」
逆接が来る。一体何を言われることやら。
「狙いが弱いかな」
静かな声だった。
「どういう料理にしたいのか。何を伝えたいのか」
まっすぐ、こっちを見る。
「理論も、そして熱意もまだ足りない」
その言葉に心を揺さぶられる。
良い塩梅が感覚でわかっているため、何となく美味しく仕上げている。
平均点を取ることは出来ても、突出することがない。
それが今の俺のレベルと言える。
「——ということで」
みどり先輩がパンと手を叩く。
「一位は朝倉さん」
小さな拍手。
「二位、高橋さん。そして三位、古暮くん」
多少予感はあった。
しかし、実際に順位を付けられたので、認めざるを得ない。
悔しくないと言えば嘘になるが——納得できてしまった。
後片付けに入り、家庭科室の空気が少しだけ緩む。
スポンジをすすぎながら、俺は小さく息を吐いた。
「負けたか」
後ろから、くすっと笑う声がする。
「なんかあっさりしてない? もっと悔しがりなよ」
振り向くと、春百が壁にもたれながらこっちを見ていた。
「いや、もちろん悔しいよ。でも、二人の料理に比べたら納得できてしまった」
「ふーん」
興味なさそうに相槌を打って、近くの椅子に腰を下ろす。
「でも和人っぽかったよ」
「どういう意味だ?」
「なんていうかさ、ああいうの作るよねって感じ?」
漠然とした答えだったので、俺は今一度聞き返す。
「うーん、優等生っぽい料理?」
「悪かったな、面白みなくて」
「別に悪くはないと思うよ」
春百は首を横に降る。
「残ってるのを味見したら、ちゃんと美味しかったし」
少しだけ間が空く。
「おう、そうか」
素直に嬉しい感想だ。
「やっぱ、場数は踏んでるんだなって思ったよ」
逆に言えば、停滞しているとも言えるわけで。
「まあな。それよりお前のパスタだって、かなり美味かったよ」
「でしょ?」
春百が得意げに返す。
「おう。包丁のさばき方といい、ずいぶんレベルアップしたようだな」
「もちろん。リアンたちと特訓したからね」
「そうか」
この2か月でよくここまで上達したものだ。素直に称賛に値する。
前に食べさせてもらった唐揚げの味付けは微妙だったが、今回は飲食店並の味が出てきて驚いた。
「今後も料理は続けていくだろ?」
「もちろん」
「それは良い心がけだな」
「なんかまた上から目線になってる」
嫌味っぽく言われるが、これは仕方のないことだ。
春百には本業のピアノがあるのだから。
それにしても、彼女の前にすると、毎度優位なポジションを取りたくなるのはなぜだろう。
「まあいいや」
そうこぼして、春百が立ち上がる。
「今日はありがとね。楽しかったよ」
そのまま出口の方に歩いていく。扉の前で、くるっと振り返った。
「またやろうよ、こういうの」
「もちろん。リベンジさせてくれよ」
「よかろう」
春百は偉そうに返してくる。立場が逆転してしまった。
俺は音楽でも料理でも負けたということになる。悔しさがこみ上げてくる。
「じゃあね」
それだけ言って、軽く手を振る。
そしてそのまま家庭科室を出ていった。
少しだけ静かになった室内で、俺は手元のスポンジを見下ろす。
負けたのは事実だけれど、楽しかった。
もし機会があれば、次は貪欲に勝ちにいく。
そう意気込んで、手を洗うために蛇口をひねった。




