展示会デート その2
制作エリアに足を踏み入れた瞬間、空気の密度が変わった気がした。
スピーカーから流れるのは、どれも完成途中の音楽だ。
メロディだけのもの、ドラムだけが鳴っているもの、歌声があるのに歌詞が途中で途切れているもの。
「ここが、生成AIのゾーンだね」
ナノハが足を止める。
正面には、二つの巨大なパネルが並んでいた。
《SONA》
《VOCREA》
同じ歌を作るAIと書かれているのに、デザインもキャッチコピーもまるで違う。
「……雰囲気、全然違うな」
思わずそう言うと、ナノハが小さく笑った。
「でしょ。SONAは入口、VOCREAは奥の部屋って感じ」
まず、SONAのブースに人が集まっている。タッチパネルには大きなボタンが並び、
・曲の雰囲気
・テンポ
・感情
・ボーカルタイプ
それらを選ぶだけで、画面の中央に波形が立ち上がる。
「SONAはね、前にちょっと触ったことある」
ナノハがそう言って、操作画面を指差した。
「歌詞を入れて、雰囲気選んで……本当にそれだけで一曲できる」
「そんな簡単に?」
「うん。最初の一曲ができたときは、正直びっくりした」
展示用のデモが再生される。
数秒のカウントのあと、澄んだボーカルが流れ出した。
「……これ、AIなんだよね」
「そう。今、ボカロ曲のカラオケ音源の大半は、こういう生成AIで作られてる」
ナノハの声は淡々としているが、どこか実感がこもっている。
「人が全部打ち込まなくても、歌わせるための土台が一瞬で用意できる」
「なんか……チートっていうか、ズルくないか?」
そう言うと、ナノハは少し考えてから首を振った。
「うん。でも私は、ズルいとは思わなかった」
「どうして?」
「作れない人を作れる側に引き上げる道具だから」
その言葉が、妙に胸に残る。
「SONAは、考える前に鳴らせる。すべての人に音楽を始めさせるための神具って感じかな」
一方で、隣のVOCREAブースは空気が違った。
画面には細かいパラメータがぎっしり並び、
・発音の強さ
・ビブラートの深さ
・子音のタイミング
・フレーズ単位の感情指定
説明文も専門用語だらけだ。
「……こっちは、触ったことない」
ナノハが正直に言う。
「見るだけで、ちょっと緊張する」
「SONAと同じじゃないのか?」
「全然違う」
展示映像では、同じ歌詞をSONAとVOCREAで生成した比較が流れていた。
SONAは自然で聴きやすい。
VOCREAは癖が強いが、感情のエッジが鋭い。
「VOCREAは——」
ナノハが言葉を探す。
「確固な信念と高い技術がないと使いこなせないAI」
そこで、ふっと笑って付け加えた。
「つまり、私じゃなくリオみたいな人向きってこと」
ナノハのまとめに納得する。
「素人向けと玄人向けを、わざと並べてるんだと思う」
「比較させるために?」
「うん。どこから音楽を始めたいかをね」
画面の前で立ち止まる人たちの表情は、それぞれ違う。
楽しそうな人、戸惑っている人、何かを決意したような顔の人。
「……カズトは、どっちが気になる?」
不意に聞かれて少し考える。
「正直、SONAかな」
「理由は?」
「VOCREAは、並々ならない覚悟が要りそうだから」
ナノハが小さく笑った。
「それは正解」
そう言って、もう一度展示全体を見渡す。彼女は静かに続けた。
「最初がSONAでも、いつかVOCREAに行きたくなる人は、きっとたくさんいる」
その視線の先がどこを向いているのか、聞かなくても感じ取ることができる気がした。
***
制作エリアのさらに奥、DAW展示ゾーンに足を踏み入れた瞬間、ここが人が一からすべて曲を作る場所ではないことが、直感的に伝わってきた。
巨大なモニターに並んでいる三つのDAWの名前を見る。
LUXION
CUBIT
STUDIO FLOW
「これら全部が音楽作るソフト?」
そう聞くと、ナノハは頷いた。
「うん。DAWって呼ばれてるやつ。さっきのAIが歌わせる装置なら、こっちは曲そのものを組み立てる場所」
解説を聞きながら、各ブースの画面を眺める。するとどれも、
AI ASSIST AIアシスト
AUTO ARRANGE オートアレンジ
SMART EDIT スマート編集
といった表示が並び、ソフトが作曲者の思考を予測すると書いてある。
コードを打てば伴奏の候補が自動で提示され、メロディを少し動かすだけで、全体のバランスが即座に更新される。
人が悩み始める前に、AIがいくつもの選択肢を提示してくる。
そんな作業風景が、どのモニターにも当たり前のように映っていた。
「全部、めちゃくちゃ便利そうだな」
思わず漏れた俺の言葉に、ナノハが頷く。
「うん。今はAIっていう頼れるパートナーがいる前提で、どう作るかを考える時代ってこと」
並んでいる三つのDAWは、いずれも最新のAIを標準装備している。
どれを選んでも、人間がすべてを抱え込まなくていい制作環境が用意されことになる。
俯瞰するのをやめ、一つづつ見ていくことにする。
まず気になったのは、LUXIONのブースだった。
画面は驚くほどすっきりしていて、余計な情報がない。
「洗練されてるな……」
「LUXIONは触ったことはないけど、多分考える前に手が動くタイプ」
展示用のデモでは、鍵盤を押すだけでコードが補完され、ドラムとベースが自然に追従していく。
「え、勝手に伴奏が……」
「AIが曲の流れを読んでくれる。テンポも構成も、あとからまとめて整えられる」
なるほど。SONAと似た思想ではあるな。
「作りながら悩ませない設計だね」
「そう。迷ってる時間を減らす」
次に足を向けたのは、CUBITのブースだった。
一気に画面の情報量が増える。
トラックは細かく分割され、小節ごとに色と記号が振られている。
「……これは、ちょっと圧あるな」
正直な感想に、ナノハは苦笑する。
「うん。CUBITは、最初はしんどい」
声のトーンが、少しだけ経験者のものになる。
「前に使ったことあるけど、最初は何をどうすればいいかわからなかった」
だが、と続けた。
「でも一回構造を作っちゃえば、あとから直すのはすごく楽」
画面では、メロディだけを差し替えたり、ドラムの一部だけを細かく調整したりしている。
「全部が見えるって感じ?」
「そう。曲を分解して把握できる」
LUXIONが直感なら、CUBITは設計図だ。
「……リオさんなら、きっとこっちだな」
ぽつりと呟くと、ナノハがこちらを見る。
「正解。『後で直せないのは論外!』って言ってた」
その姿が妙に想像できてしまい、吹き出してしまった。
最後にSTUDIO FLOWのブースへ向かう。
ここは、画面構成そのものが違っていた。
操作の流れが、左から右へ、自然に導かれるように配置されている。
「これも触ったことないけど……」
ナノハが画面を眺めながら言う。
「多分、どう作るかより、どう進めるかを暑くサポートしてくれるDAW」
デモでは、録音、編集、ミックスとマルタリング、書き出しまでの工程が、一本のラインで示されていた。
「迷子にならない設計だね」
「うん。完成まで連れていってくれる先生って感じ」
「なら初心者向けだな」
「うん。何もわからない場合はこれから入るのがいいかも」
三つのDAWを見比べてみる。情報量の多さに、頭が少し混乱している。
「どれを使うのが正解なんだ?」
そう言うと、ナノハは首を振って、
「正解はないよ」
きっぱりと言い切る。
「どれも、音楽の作り方が違うだけ」
「作り方?」
「考え方、捉え方とも言える」
彼女は、生成AI展示の方を振り返った。
「私はカラオケをSONAで作って」
今度はDTM展示の方に向く。
「LUXIONで形にして、CUBITで磨き上げる——」
そして俺の方をまっすぐ見つめ、
「音楽って、作り方で性格とか個性が出るんだと思う」
その言葉に、深い感心を覚える。
これまで俺は、音楽は完成されたものとしてしか知らなかった。
だが今、完成に至るまでの無数の選択肢が存在することを知った。
「音楽って……奥深い」
そう呟くと、ナノハは静かに頷いた。
「うん。いろいろ迷うこともあるけど」
でも、と小さく続ける。
「私は音を楽しみたい」
そう言い切ったナノハの姿は、とても勇ましく映った。
***
展示エリアの奥は、それまでとは空気が違った。
理屈や説明パネルはほとんどなく、「触ってみていいですよ」と言わんばかりに色とりどりの楽器たちが並べられている。
近づいてみると、どれも最新型だ。
AIが演奏者の癖を即座に学習し、音程補正や表現の補助を裏で勝手にやってくれるらしい。
専門知識がなくても、鍵盤を一つ押すだけで、それっぽい音楽になる。
小学生でも楽しめる――説明パネルに書かれている通りで、たしかにそうだと思う。
そして同時に、これを使いこなしたら、すごい音楽ができるんじゃないかとも感じた。
「ここ、自由体験ゾーンだって」
ナノハが、少しだけ声を弾ませて言った。
さっきまでは大人しくしていたが、今は完全に触りたい人の目。俺も似たようなものだろう。
楽器のたちの中央に置かれているのは、未来的なデザインの最新型シンセだ。
鍵盤の上に、淡く光るガイドが浮かび上がっていて、押すべき音を示してくれる。
ナノハは軽く指を乗せ、試すようにワンフレーズ鳴らした。
それだけで、空間がふっと色づく。
「……すご。ちゃんと私のタッチに合わせてくる」
感心したように呟く彼女。
その様子を少し離れた場所から見ていた俺には、ビジュアルどうすごいのか正確にはわからなかった。
しかし、その音は澄んでいて濁りはないものに聞こえた。
そして、ナノハが次に目をつけたブースは、
――感情連動型ボーカルエフェクト
マイクの横に表示された説明は、やたらとシンプルだ。
声の高さ・息・揺らぎから感情を解析
エフェクトを自動付与
「これ……歌っていいやつだよね?」
ナノハが、ちらりと俺の方を見る。確認というより、様子見に近い視線。
「いいんじゃないか。体験って書いてあるし」
少し自信なさげに答えると、ナノハはマイクの前に立った。
そして、静かに息を吸って、口を開く。
「この声が届くなら
It’ll be alright」
ほんの短いフレーズだった。
歌詞というほどでもない、メロディの断片。
それなのに。
声が響いた瞬間、周囲の音が、すっと引いた。
展示のざわめきも、遠くの電子音も、全部背景に溶けて、ナノハの声だけが空間を満たす。
エフェクトはわずかにかかっている。
しかし、不自然さはなくて、むしろ感情を少々強調しているように思えた。
気づけば、俺は息を止めていた。
フレーズが終わると、AIが解析結果を淡く表示する。
「感情:やや不安/期待」
ナノハはマイクから一歩下がり、少し照れたように笑った。
「……思ったより、正確に出るんだね」
上手いーーいや、胸の奥に響いた、というのが正しいか。
ここで彼女にかける言葉は、非常に慎重に選ばなければいけない気がした。
ナノハは、俺の顔をちらっと見て、視線を逸らす。
「……変だった?」
「いや」
正直に答える。
「引き込まれた」
それだけ言うと、ナノハは一瞬きょとんとして、
それから、ほんのり頬を赤くした。
「……それなら、よかった」
小さく、でも嬉しそうに。
しばらくして、俺たちは展示会場を出た。
外はもう夕方で、空はオレンジ色。
その下に、ネオンが少しずつ灯り始めて、未来都市みたいな景色になっている。
歩きながら、ナノハは急に立ち止まった。
「ね、カズト」
「ん?」
少し間を置いてから、ぽつりと。
「次のライブで……楽しく歌えるかどうか、まだわからない」
さっきまでの展示の熱が、すっと冷める。
代わりに、現実の重さが戻ってくる。
「今日みたいにできる保証、ないし」
夕焼けとネオンの境目で、ナノハは前を見たまま言った。
その言葉で、はっきりした。
彼女が俺を誘ったのは、単に展示を一緒に見たかったからではないのだと。
7月末のライブ。もう戻れないところまで来ている。
いつもなら、電話越しでは気軽に言葉が出てくるのに。
このときは、何を選べばいいのかわからなかった。
ただ、ナノハの隣に立って、同じ景色を見ること。
それが、俺にできる精一杯だ。
「じゃあね」
別れ際の彼女の表情は、晴れやかとは言えなかった。
せめて、その小さな背中が見えなくなるまで、俺は立ち止まっていた。




