王雲祭一日目 午前
文化祭一日目。早朝。
目覚ましが鳴る十分前に目が覚めたので、早めにランニングへ出発した。
家に戻り、リビングに入る。
「おはよう」
「おはようございます、お兄さん」
明里と挨拶を交わし、朝食を取り始める。
話題は当然ながら北高校の文化祭の話だ。
「お兄さんは文芸部の展示があるんですよね?」
明里の問いに、俺は「そうだ」と頷く。
「じゃあ、他の出し物を見回る時間はないんですか?」
「いや、展示はシフト制だから、半日は空いてるんだ」
そう答えると、明里はふーんと頷き、一拍置いて続ける。
「明日なんですけど、花音ちゃんと一緒に文化祭を見に行きたいと思います」
その言葉に、俺は目を見開いた。昨日までこういった話が出ていなかったから、てっきり来ないものだと思っていたからだ。
「そうか。それは歓迎するけど、よく花音が動く気になったよな」
あいつは基本ゲーム関係のイベントにしか腰を上げないので、俺の高校の文化祭など興味の対象外だろう。ゴールデンウィークのときと同様で運動不足解消目的だろうか。
「今回は私が説得しました」
「ほう」
返事をして続きを促す。
「北高校は文化部の活動も盛んだから、きっといろんなゲームができるだろうなー、という感じで」
「なるほど」
それは花音の興味をそそりそうな誘いだ。見事である。
「あとは、高校見学ということも伝えました」
明里の主目的はそっちか。そういえば少し前、ポートタワーに遠出をしたとき進路の話をした。
あの時、彼女の進学ルートとして、高校に入らず予備校に行くというものがあった。
「明里はもしかしたら、高校に行かない可能性もあるからな。
文化祭の雰囲気を味わっておくのはいいんじゃないか」
「はい」
明里が頷いて笑顔を見せる。二人が高校に来る、か。
明日のシフトは午後からで、午前は空いている。
早めに来るのであれば、一緒に見て回ることもできるだろうが、どうだろう。
「明日は何時に来る?」
「10時頃です」
「そうか。なら、一緒に見て回らないか?」
「いいですけど、展示の方は大丈夫ですか?」
「ああ、シフトは午後からだから」
「なら、お願いします」
明里が軽く頭を下げたので、俺は「おう」と返事をする。
その後、雑談もそこそこに朝食を済ませ、身なりを整える。
曇り空の下を自転車で駆け、学校に到着した。
正門から昇降口までの広い駐車場に、様々な種類の屋台が並んでいる。段取りよく仕込みを済ませることができていない店が多いようで、生徒たちがせわしなく動きまわっている。
「おーい、早くしろ! あと三十分もないぞ!」
「わかってる! 誰かこっちに回してよ!」
「暇なヤツなんて一人もいねーよ!」
準備期間が火曜日から木曜日の三日間もあったわけだが、それでもトラブルというものはつきものだ。
いかに迅速に対応できるかが、勝負の分かれ目となってくる。
今は九時。三十分後には文化祭の開会式が始まる。
その間の時間はやることがない。
何をするか考えながら、展示会の会場である3Eの教室へと向かった。
教室に到着し、ドアを開ける。もしかしたら中に栄子がいるかと思ったが、誰もいなかった。
「ふう」
控えの椅子に腰掛けて、窓の外を眺める。
灰色の雲が空一面を覆い尽くしている。雨が降るかもしれないので、気分は上がってこない。
雨が降るとなれば、展示への客足は減るだろう。シフトの対応が楽になるのは良いことだが、盛り上がりに欠ける。
せっかくの『祭り』なんだから、楽しいほうが良い。それに、売上も多いほうが良い。
そう考えると、雨が降ったほうがよいかは悩ましい。
そういえば、我が高校の文化祭は『王雲祭』というが、名前の由来として一番濃厚なのは、初代校長の名前から取った説らしい。
『王雲祭』。もう少し良い案がであったのでは。皇雲祭や王星祭の方が、かっこいいと思う。
ひとまず名前は置いといて、文芸部の展示会について考える。
会場設営は昨日完了した。
文化部は何せ男子部員が少ないから、貴重な労働力として重宝されてしまうのだ。
設営作業として、物品運びは男子が表立って担うことになる。
教室内の机・椅子・教壇などを外にどける
展示用パネルを中に運ぶ
展示会で販売する部誌を運び入れる
いろいろな作業があるのでよい運動になった。
一方で、各作品の設置や教室内の飾り付けなどの細かな作業は女子が主体となってやっていた。
かなり趣向を凝らしたデザインで文句のない出来である。
今回の展示会でご一緒する団体は、書道部、放送部、図書委員会の三つだ。
書道部は全国書道コンクールの応募作品のコピー
放送部は全国放送コンクールの朗読部門(日本語、英語)の応募作品
図書委員会は北高内で開かれる読書感想文コンクールの最優秀賞と優秀賞
をそれぞれ出展した。
作品数はというと、書道部は八点、放送部は四点、図書委員会は三点だった。
文芸部の作品を合わせると、なかなか豪華なラインナップだ。
これによって、部誌販売が少しは捗るだろう。客寄せというやつだ。
部誌の内容としては、まず漫研による素晴らしい表紙絵から始まる。この絵の効果はおそらく絶大だ。
『温故知新 ーー第百代文芸部ーー』
部誌を抱えた制服姿の少女を中心に、背景には百年史や学校新聞、俳句、原稿用紙などがさりげなく描き込まれている。
一見すると穏やかな読書風景だが、よく見れば記録を未来へ受け継ぐという文芸部らしいテーマが込められた一枚だった。
そして、表紙に負けず劣らず中身もしっかりしている。
文芸部のメンバー紹介、コンクール応募作品、新作品
これらが上手い具合に並べられて掲載されている。
ボリュームは80ページといったところで、代金は500円。合計で50冊販売する予定だ。
果たして部誌は完売するのだろうか。
もしできなかったら赤字分を頭割りで補わなければならなくなるだろう。
ちょっとしたスリルを味わえそうだ。
今日のシフトは9:30から12:30まで。ペアは栄子。
部誌販売と会場内の見回りが主な仕事だ。
客足の少ない時間には展示を観賞するか、栄子と雑談に興じよう。
キンコンとチャイムが鳴った。あと少しで文化祭の開会式が始まる。
この学校の規模を鑑みるに、来場者数は中学の時とは比べものにならないだろう。
そう考えると、期待がじわじわこみあげてくる。
準備完了ーーいやここは祭りっぽく、レディ・パーフェクトリー。
開会式に向かおう。
***
開会式を終え、展示会場の3E教室へ戻る。
すでに何人かの来場者が入ってきていた。入口付近では栄子が部誌の見本を眺めている。
「うっす」
栄子が顔を上げる。
「まだ客は誰も来てないか?」
「うん、来てない」
教室を見回す。
壁際には文芸部員の作品。
中央には書道部や放送部、図書委員会の展示。
昨日の設営作業が思い返される。
「それにしても、大規模な展示だよな」
「そうかもね」
「昨日の疲労が少し残ってるわ」
文化祭準備最終日は夕方近くまで作業していたからな。
栄子は部誌の上に手を置いた。
「今日の段取りだけど」
「ああ」
「私は基本ここで。販売担当」
「じゃあ、俺は見回り担当か」
立ち仕事は少し体に応えるが、文句は言ってられない。
「部誌売れそうなら声かけて」
「営業もか?」
「……何か不満でも?」
「いや、ないです」
役割分担はすぐに決まった。というか決めされられた。
栄子には最近いろいろと貸しがあるから、強く出られないのは仕方ない。
展示用レポートや新作がなかなか進まない同士だけれど、やはり彼女とは対等な取引相手の関係というのがしっくり来る。
「そういえば」
栄子がふと思い出したように言う。
「そっちは展示用の新作、ギリギリで間に合ったみたいね」
「ああ。なんとかひねり出した」
「そ」
静かに頷く。
「そっちもギリギリじゃなかったか?」
「いや、私は少し余裕があった」
「本当か?」
「……なに?」
栄子が顔をしかめる。
「まあいいや、どんぐりの背比べはやめる」
「そうね」
栄子は頷いて正面を向いた。建設的な話をしていこうじゃないか。
「文化祭終わったら、栄子の作品読ませてもらうわ」
「そ。じゃあ私もアンタの読むから」
「おう。あとで感想聞かせてよ。ただし酷評は禁止な」
「それは保証できない」
「えー」
そんな話をしているうちに、来場者が少しずつ増え始めた。
***
午前十時前。
会場内には常時5、6人ほどの来場者がいる状態になっていた。
閑古鳥が鳴くほどでもないが、盛況というほどではない。
これは普通の混雑具合だろうか。今はわからないが、いずれ判明するだろう。
入口付近で様子を見ていると、
「これ全部高校生が書いたの?」
という声が聞こえた。
中学生くらいの女子二人組だ。作品パネルの前で足を止めている。
「らしいよ」
「すごくない?」
「長っ」
別の場所では年配の男性が書道作品を熱心に眺めていた。
放送部の朗読音声を聞いている人もいる。
展示会場全体としては、なかなか良い流れだ。
栄子の方を見る。
ちょうど来場者に部誌の説明をしていた。
「こちら今年の部誌です」
「へえ」
「文芸部全員の新作も載ってます。自信作ですよ」
うまく営業している。
そしてまもなく、部誌が一冊売れた。
栄子がこちらに気づき、視線を送ってくる。
『アンタも営業しなさい』
わかっているから、目でそんなに圧をかけないでもらいたい。
あと49冊。先は遥かに長い。
とはいえ、すでに売上が出たことで、気分は乗ってきた。
俺は展示スペースを一周する。
自分たちの作品。
書道部、放送部、図書委員会。
昨日は設営で余裕がなかったが、こうして見ると想像以上に見応えがある。
いろいろな作品を観賞したいところだが、営業を怠ると怒られそうなのが悩ましいところだ。
内心でため息をつき、窓の外を見る。
相変わらず曇り空。
それでも校庭からは賑やかな声が聞こえてくる。
文化祭特有の空気が少しずつ濃くなっている。
今年の王雲祭は、悪くないスタートを切れたらしい。
***
それから少しして。午前10:30頃。
入口の方から聞き覚えのある声がした。
「古暮君」
振り返ると、日代さんだった。左腕には文化祭実行委員の腕章を付けている。
「見回り?」
「そう。問題ないか確認して回ってる」
そう言いながら会場を見渡す。
「へえ、結構ちゃんとしてるね」
「なんか意外そうだね?」
「うん。本とか資料とかがたくさん置いてあるのをイメージしてた」
「まあ、合同の展示だから、思ったより大規模にはなったね」
そう言うと、日代さんは「へえ」と声を上げる。
「客入りはどう?」
「ぼちぼちだね。多くはない」
「じゃあ、これからだね」
そうなることを期待したい。対応も増えるかもしれないが、部誌もたくさん売れるということだ。
「今日はずっと忙しいの?」
「いや、午後はフリーだよ」
日代さんは「そっか」と頷く。
「クラスの喫茶店、結構人気みたいだよ」
「へえ」
それは良い傾向だ。クラスの売上は期待しても良いかも。
「さっきちらっと見てきたんだけど、すでに列できてて」
やはり飲食系は強いか。羨ましいな。
「それは幸先が良いね。後で見に行ってみようかな」
「うん、それが良いと思う。じゃあ、私行くね」
日代さんは軽く手を振ると、そのまま廊下の向こうへ消えていく。
足早なあたり、どうやら忙しそうだ。
実行委員は文化祭期間中ずっとそんな感じなのだろうか。
ちゃんと休めるのか心配になる。とはいえ俺にできることは何もないのだが……。
それからまもなくして。
今度は入口から目立つ二人組が現れた。
ライトと奏である。相変わらず絵になる。
この二人が並んで歩いていると、そこだけ少女漫画のような空間なんだよな。
「よう」
ライトが片手を上げた。
「文芸部のエース」
「なにその肩書き?」
「はは、冗談だ」
奏も軽く会釈する。
「やあ、展示見に来たよ」
二人に続き、黒井と白鳥が教室に入ってくる。
「うっす」「どうも」
二人の挨拶に、俺も「どうも」と返す。
正直、四人が文芸部展示に来るとは思っていなかった。
「バスケ部で文化祭回るの?」
「ああ。まずは文化部からだ」
「まずはって、まさか全部回る気?」
「おう。そのつもりだ」
「それは……とにかく頑張れ」
四人はぞろぞろと展示スペースを見て回り始めた。
適当に眺めて終わりかと思ったが、意外にもそうではなかった。
「へえ」
ライトが作品パネルの前で立ち止まる。
「高校生でも結構書けるもんだな」
「……その感想は褒めてる?」
「もちろん褒めてるぞ」
ちゃんと読んでいるらしい。
一方、奏は放送部の作品の前で足を止めていた。
「これ、発想が面白いね」
数ページほど読み進めてから言う。
「どれどれ」
俺も近づいて、展示作品を眺める。
「証言の矛盾を追う形式、アリバイ破りだね」
「そうみたいだね」
「放送部か。彼らとミステリー雑談をしてみようかな」
さすが奏だ。俺の時もそうだったが、アクションが早い。
その後、四人は全ての展示を見て回ったようで、思った以上に滞在時間は長かった。
そして最後に、四人は部誌販売スペースに向かう。
奏が積み上げられた部誌を一冊、手に取った。
「一冊もらえますか?」
「500円です」
「北高アプリで払います」
「はい」
奏がQRコードリーダーにスマホをかざす。同時に電子レシートが発行される。
「ありがとうございます」
栄子の営業スマイルはゼロだ。相変わらず無愛想なままだ。
ひとまずその態度は置いてといて、今回は俺の売上にカウントしてもよいのではないか。
なぜなら奏は俺の知り合いだからだ。
実質これで営業成績は引き分けと言える。
「じゃ、俺ら行くわ」
ライトが言う。
「他にも行きたいとこめっちゃあるしな」
「もたもたしている時間はあまりない」
黒井と白鳥が加わる。
「満喫する気満々じゃん」
「はは。せっかくの『お祭り』だからね」
俺の指摘に、奏が微笑みながら言う。
「じゃあな」
ライトがそう言い残し、四人は教室を出ていく。
その様子を、数人の女子生徒が入口付近でガン見している。
彼ら目当てにも程がある。下手すると営業妨害だ。
目立つというのは良い面もあるが、悪い面もあるということが垣間見える。
俺は一息吐いてから、販売スペースに戻る。
「行っちゃった?」
「ああ。どうして?」
そっけない態度を取っていたけれど、本当はライトらに興味があったということか。
「教室の前で客寄せしてくれたらよかったのに」
そっちかよ。仕事人間か。
これで共通の趣味がなかったら、間違いなく栄子をつまらないやつと認定したところだ。
俺は軽く肩をすくめつつ、見回りを再開する。
時計を見ると11時前だった。
午前が終わるまで、もう少しの辛抱だ。




