第43話「辺境砦からの返書は、合言葉で笑いました」
王太后様との謁見の前に、辺境砦から返書が届いた。
封蝋は粗い。
王都のものほど美しくない。
けれど、私はその封蝋を見ただけで息が楽になった。
ニナの癖がある。
端が少し厚い。
焦って押した時の形だ。
「開けます」
エルネスト殿下が頷いた。
私は封を切る。
中には二枚の紙が入っていた。
一枚目は、砦長からの正式な返書。
二枚目は、ニナの字だった。
震えている。
でも、読みやすい。
「偽の王弟命令、来ました」
私は思わず声に出した。
ハロルドが顔を上げる。
続きには、こうあった。
「声は似ていました。でも合言葉を聞いたら、黙りました。今日の合言葉は冬青ではなく、雪鍋です。リゼット様が前に、合言葉は食べ物に混ぜると忘れにくいと言っていたので、勝手にそうしました。すみません」
ラーニャが吹き出した。
取調室の重い空気が、少しだけほどける。
エルネスト殿下の口元もわずかに動いた。
「有能だ」
「はい」
私は胸の奥が熱くなった。
ニナは守った。
辺境砦は、声だけで動かなかった。
「続きがあります」
私は紙をめくった。
「偽命令の使者は、薬棚を見ていました。写しではなく、白眠草の在庫を探していたようです。逃げる時に、棚の側板へ黒い印を残しました」
黒い印。
また印。
二枚目の端に、ニナが写し取った形があった。
丸ではない。
蛇でも星でもない。
小さな鍋のような形。
「薬師局の古い印です」
ハロルドが言った。
「宮廷薬師モーリスの系統か」
エルネスト殿下の声が低くなる。
モーリス。
私の配合案を奪い、毒の冤罪をなすりつけた宮廷薬師。
最近の黒帳には名前が出ている。
だが、主ではない。
それでも、彼は私の最初の敵の一人だった。
「白眠草を探した理由は何でしょう」
グラント卿が問う。
私は返書の匂いを確かめた。
辺境の紙の匂い。
薬棚の木の匂い。
その奥に、ほんの少し焦げた甘さ。
「砦の白眠草を使えば、王都の薬ではなく辺境の薬に見せられます」
「リゼット殿の薬に見せるためか」
「はい」
婚約破棄の日と同じだ。
私の薬に見せる。
私の手に見せる。
そして、私を断罪する。
「ニナは、棚を封じましたか」
ハロルドが聞く。
私は続きに目を落とす。
「白眠草は全部、砦長と一緒に数え直しました。足りない分はありません。棚の側板も外して、印ごと封じました。リゼット様なら、印も証拠だと言うと思ったので」
今度は、私が笑いそうになった。
泣きそうにもなった。
「その通りです」
小さく言うと、エルネスト殿下が私を見た。
「君の教え子は、君に似ている」
「私より度胸があります」
「それも似ている」
私は返書を丁寧にたたんだ。
辺境に写しを送ったことは、正しかった。
黒帳は中央で声と印を操る。
でも、辺境には別の時間が流れている。
人の顔を見て、棚を数え、鍋の合言葉で笑う時間だ。
その時間が、黒帳の道を一本折った。
王太后様との謁見は、午後に行われた。
部屋には、エルネスト殿下、ラーニャ、ハロルドが同席した。
王太后様は椅子に座り、祈祷室の鍵束を見つめた。
「これを、私の名で使われていたのですね」
声は静かだった。
怒りより、疲れが深い。
「はい」
私は答えた。
「ただし、王太后様ご本人が命じた証拠はありません」
王太后様は私を見た。
「証拠がないことを、ないと書くのですね」
「はい。あることも、ないことも、分けて書きます」
「オルガも、そう言いました」
部屋が静まった。
私は息を止める。
「オルガ様が」
王太后様は小さく頷いた。
「十年前ではありません。三月前です。あの薬師は、祈祷室の声が私ではないと気づいていました」
三月前。
オルガ様が死ぬ前。
「彼女は何を調べていましたか」
王太后様は手元の小箱を開いた。
中から、半分に折られた紙が出てくる。
「預かっていました。私に何かあれば、王弟に渡せと」
紙には、オルガ様の字があった。
「声は人を動かす。だが、最初の嘘は声ではない。婚約破棄の日の薬包を見よ」
私の指が冷えた。
婚約破棄の日の薬包。
私を毒師にした、最初の物証。
王太后様は目を伏せる。
「その薬包は、まだ薬師局にあるはずです」
辺境砦からの返書は、合言葉で笑った。
そして、その笑いの後で、オルガ様の紙が婚約破棄の日へ道を戻した。




