第40話「偽の王弟命令は、辺境へ届く前に燃えました」
偽の王弟命令。
それが辺境砦へ届けば、ニナたちは写しを渡すかもしれない。
王弟の声で命じられたなら、疑いにくい。
しかも急使が夜に来れば、なおさらだ。
「合言葉は」
エルネスト殿下がハロルドに問う。
「一刻前に変えました。現在は『冬青』です」
「偽命令には」
「ありません。ですが、声は殿下に似ていたと」
すでに使われている。
私は喉が冷えるのを感じた。
「声を似せるだけなら、すぐには完全ではありません。息の長さ、言葉の切り方、紙の扱いで違いが出ます」
「急使を追う」
ラーニャが言った。
「私も行きます」
エルネスト殿下が私を見る。
止める顔だった。
私は先に言った。
「偽命令の紙に、声を変える薬や印を残す薬が使われているかもしれません。私が見た方が早いです」
殿下は短く息を吐いた。
「私の側を離れるな」
「はい」
王弟府の馬車は使わなかった。
目立つ。
私たちは小さな馬車で北門へ向かった。
辺境砦への急使は、必ず北門を通る。
門番はすでに止められていた。
「王弟府の命令書を持つ者が来たら通すな」
グラント卿の命令が先に届いている。
しかし、門の脇に人だかりがあった。
荷車が倒れている。
干し草が散らばり、馬がいなないていた。
「足止めです」
私は言った。
騒ぎの間に、別の門を抜けるつもりだ。
北門には、旧水路へ下りる小門がある。
そこは戦時補給路にもつながる。
ラーニャが走った。
私たちも追う。
小門の前で、黒い外套の男が紙筒を渡そうとしていた。
受け取る側は、辺境砦の紋をつけている。
だが、本物の砦兵ではない。
靴が違う。
辺境の泥を知らない靴だ。
「止まれ」
エルネスト殿下の声が響いた。
黒い外套の男は振り返らない。
紙筒を火に近づける。
証拠を燃やす気だ。
私は叫んだ。
「燃やさないで! 灰にも薬が残ります!」
男の手が止まった。
一瞬。
その一瞬で、ラーニャが紙筒を蹴り落とした。
男は短剣を抜く。
エルネスト殿下が剣で受ける。
金属音。
男の左手には、黒い手袋。
だが、指の動きが違う。
ガスパルではない。
もっと細い。
「手袋を外せ」
ラーニャが腕をねじり上げた。
黒い手袋が外れる。
左手の薬指に、古い火傷。
銀の扉で焼いたものではない。
もっと前の傷だ。
私は息をのんだ。
「奥侍従長オスカーの手です」
顔を隠していた布が落ちる。
オスカーだった。
王の寝所の近くにいた男。
ヴァレリオがなだめたと言っていた奥侍従長。
オスカーは笑った。
「よく見ている」
「あなたが黒い手袋の使者ですか」
「一人ではない」
また同じ。
黒帳は一人を捕まえても、全体にならない。
でも、今はそれでいい。
私は紙筒を布で拾った。
封蝋は王弟府のものに似せてある。
違うのは、匂い。
王弟府の蝋には、乾いた松脂が混じる。
この蝋には、王太后宮の木香がある。
命令書には、エルネスト殿下の署名に似せた文字。
そして、合言葉がない。
「偽物です」
私ははっきり言った。
「辺境砦へ届いても、ニナは合言葉を聞きます」
そう信じたい。
信じるだけでなく、届く前に止めた。
エルネスト殿下がオスカーを見下ろす。
「誰の声で命じた」
オスカーは答えない。
私は紙筒の内側を見た。
薄い蝋膜。
声を刻むためのもの。
そこに残った震えを、針で戻せば聞ける。
「戻せます」
オスカーの顔から笑みが消えた。
王弟府へ戻り、私は針を当てた。
羊皮紙が震える。
最初に聞こえたのは、エルネスト殿下に似せた声。
「辺境砦の写しを止めよ」
次に、別の声が重なった。
指示を出す小さな声。
女の声。
「もっと低く。王弟はそこで息を切らない」
銀の蛇の女だ。
そして最後に、さらに奥の声があった。
「リゼットの記録は燃やすな。主が読む」
主。
まだ名はない。
けれど、王弟の偽命令は辺境へ届く前に燃えた。
燃えたのは紙ではない。
黒帳の側が、声だけで人を動かせるという思い込みだった。




