第36話「消えた小姓は、衣装箱の底で息をしていました」
第二王子宮の小姓が消えた。
名はトマ。
年は十四。
赤い印の横には、衣装倉の記号があった。
「消されたのではなく、まだ移されている途中かもしれません」
私は名簿の写しを押さえた。
エルネスト殿下はすぐに立った。
「第二王子宮の衣装倉を封鎖する」
グラント卿が眉を寄せる。
「第二王子殿下が拒むでしょう」
「拒むなら、陛下の保護命令を読む」
殿下の声に迷いはなかった。
第二王子宮は、夜でも灯りが多かった。
豪奢な廊下。
甘い香。
磨かれた床。
けれど、衣装倉へ近づくほど、空気が重くなる。
香の奥に、湿った薬の匂いがあった。
「白眠草ではありません」
私は扉の前で足を止めた。
「もっと浅い眠りです。運ぶための薬」
ラーニャが鍵を見た。
「内側から閉めてる」
「中に人がいる」
エルネスト殿下が扉を叩いた。
「王弟エルネストだ。開けろ」
返事はない。
代わりに、布が擦れる音がした。
逃げる準備ではない。
何かを隠す音。
ラーニャが肩で扉を押し破った。
衣装倉には、冬用の外套が並んでいた。
奥の窓は細く開いている。
床には小さな靴跡。
そして、倒れた衣装箱が一つ。
「トマ」
私は膝をついた。
衣装箱の底から、かすかな息が聞こえる。
箱の内側に、もう一枚底がある。
隠し底だ。
ラーニャが短剣で板を外す。
中に、小さな体が丸められていた。
口には布。
手首には細い紐。
肌は冷たい。
でも、息はある。
「生きています」
私は布を外し、首筋に触れた。
脈は弱いが、早すぎない。
瞳は揺れている。
眠り薬と恐怖。
「水を。灯りは近づけないでください」
ハロルドが水袋を渡す。
私は唇を湿らせ、舌の色を見た。
青くない。
毒ではない。
眠らせ、黙らせ、どこかへ運ぶための薬だ。
「起こしてはいけませんか」
ハロルドが聞く。
「急に起こせば吐きます。声だけで戻します」
私はトマの耳元で言った。
「トマ。あなたを保護しに来ました。もう箱の中ではありません」
まぶたが震えた。
エルネスト殿下が膝をつく。
「トマ。命令だ。息を続けろ」
小姓の指が、かすかに動いた。
その手に、黒い粉がついていた。
眠り薬ではない。
炭の粉。
私は彼の爪の間を見た。
炭で何かを引っかいた跡がある。
「箱の内側を」
ラーニャが板を裏返した。
そこに、震える線で文字が刻まれていた。
「星の部屋。水音。女の声」
星の部屋。
星三つの鍵。
水音。
王太后宮の奥には、古い水庭があると聞いたことがある。
ハロルドが息をのむ。
「王太后宮の水庭は、今は封じられています」
また封じられた場所。
封じられたことになっている場所。
その時、廊下の向こうで声がした。
「何をしている!」
第二王子レオンハルト殿下だった。
顔は怒りで赤い。
後ろにはセラフィナ様がいる。
彼女の顔は白かった。
「私の宮で勝手に捜索とは」
エルネスト殿下は立ち上がらなかった。
トマの体を冷やさないよう、自分の外套をかけている。
「赤印の保護対象が、君の衣装箱から見つかった」
「知らない」
「なら、誰がこの衣装倉を使ったか調べる」
レオンハルト殿下は一瞬だけ、セラフィナ様を見た。
私はその視線を見逃さなかった。
セラフィナ様は唇を噛む。
「私は、何も」
その声は弱かった。
言い切る前に、トマが目を開けた。
かすれた声が落ちる。
「黒い手袋の人が、星の鍵を探していました」
部屋の空気が止まった。
消えた小姓は、衣装箱の底で息をしていた。
そして、星の鍵を探す黒い手袋の影を見ていた。




