第33話「ヴァレリオの証言は、三度だけ嘘をつきました」
ヴァレリオは、水を飲む手まで震えていた。
国境商人町の宿の奥部屋。
窓は閉じ、扉の外にはラーニャが立っている。
机の上には、黒瓶の残り。
眠り粉のついた薬箱。
銀の蛇の女の声が刻まれた蝋。
そして、ヴァレリオ自身の調合道具。
「私は、陛下を殺すつもりはなかった」
彼はまた同じことを言った。
私は筆を持つハロルドへ頷き、問いを変えた。
「殺すつもりはなかった。では、眠らせるつもりはありましたか」
ヴァレリオは唇を噛む。
「医師は、患者を休ませる」
「王を休ませることと、王の判断を遠ざけることは違います」
エルネスト殿下の声は低かった。
ヴァレリオは視線を落とした。
「陛下は、疲れておられた」
一つ目の嘘だ。
私は黒瓶を少しだけ傾けた。
「この濃さなら、休ませる薬ではありません。舌を鈍らせ、眠りを重くし、翌朝の頭を曇らせます」
「体質による」
「では、なぜ薬湯記録に濃度を書かなかったのですか」
ヴァレリオは答えない。
ハロルドの筆が走る。
嘘は、反論より沈黙の形で出ることもある。
私は次の紙を出した。
奥薬庫の持ち出し指示。
「原液二瓶、北へ。王の薬として通せ。これは誰の指示ですか」
「知らない」
二つ目の嘘。
私は紙の端を指した。
「この紙は薬師局の紙ではありません。奥医師用の処方紙です。あなたの机からしか出ません」
「盗まれた」
「では、盗まれた届けは」
沈黙。
エルネスト殿下が一歩近づく。
「ヴァレリオ。君は誰を守っている」
「私は、王家を守ってきた」
「王を薬で鈍らせてか」
ヴァレリオの顔が歪んだ。
怒りではなく、恐れだった。
「王が動けば、国が割れる。第二王子殿下も、王妃様も、貴族院も、それぞれ勝手に動く。だから、少し眠っていただく必要があった」
自分の罪を、国のためと言い換える。
その言い方に、私は覚えがあった。
私の婚約破棄の日。
レオンハルト殿下も、モーリスも、同じように言葉を飾った。
「国のために、誰かの口を塞いだのですね」
ヴァレリオの肩が跳ねる。
「オルガ様も」
その名を出すと、部屋の空気が変わった。
「前任薬師オルガ様の死に、あなたは関わっていますか」
「関わっていない」
三つ目の嘘。
早すぎる。
問われる前から、彼は答えを用意していた。
私は薬箱から、小さな紙包みを出した。
旧砦跡で拾った眠り粉。
「この粉には、白眠草と苦殻以外に、北辺境ではほとんど使わない香草が混ざっています。王宮の高価な香草です」
ヴァレリオは目を伏せた。
「それが何だ」
「オルガ様の遺品に、同じ香草の匂いが残っていました」
正確には、オルガ様が最後に残した薬包の布だ。
あの時の記録を、私は忘れていない。
毒と断定できなかった。
けれど、匂いは残っていた。
「あの時は、香だけでは証拠になりませんでした。でも今、あなたの薬箱に同じ粉があります」
ヴァレリオの手が震えた。
「私は命じられただけだ」
言ってから、彼は顔を上げた。
自分で扉を開けたと気づいた顔だった。
エルネスト殿下が静かに問う。
「誰に」
ヴァレリオは口を閉じた。
私は水差しを彼の前に置いた。
「答えなくても、記録は残ります。答えれば、どこまでがあなたの罪で、どこからが命令かを分けられます」
「分けたところで、私は終わりだ」
「あなたは終わるかもしれません。でも、同じ薬で黙らされる人を減らせます」
ヴァレリオは、長く黙った。
やがて、小さく言った。
「黒い手袋の使者だ」
黒い手袋。
ミレーヌが見た人物。
ガスパルの左手を思わせる隠し方。
「名は」
「知らない。本当に知らない。銀の蛇の扉から来る」
また扉。
私は聞いた。
「銀の蛇の扉とは何ですか」
ヴァレリオは汗をぬぐった。
「王妃宮の古い私室にある隠し扉だ。蛇の銀細工がついている。今は封鎖されたことになっている」
ハロルドが顔を上げる。
「王妃宮の古い私室……先王妃の時代の部屋です」
王妃宮。
第二王子宮。
王の寝所。
奥薬庫。
すべてに触れられる道。
「その扉を誰が使う」
エルネスト殿下が問う。
ヴァレリオは首を振った。
「顔は見ない決まりだった。見れば死ぬと言われた」
「それで従ったのか」
「私だけではない」
ヴァレリオの声が震える。
「オスカーも、ベルトランも、モーリスも、セラフィナ嬢も、みんな主の端しか見ていない。誰も全体を知らない」
黒帳の主は、直接命じない。
扉と使者と記号で、人を動かす。
だから、捕まえた相手は全員、主ではない。
それでも、道は細くなっている。
「オルガ様へ薬を渡したのは誰ですか」
私は最後に聞いた。
ヴァレリオは目を閉じた。
「私だ。眠らせるだけだと聞いた」
手の中の筆が、折れそうになった。
私は強く握り直す。
「結果を知っていましたか」
「倒れたと聞いた。死んだとは、後で」
「それでも続けた」
彼は答えなかった。
それが答えだった。
ヴァレリオの証言は、三度だけ嘘をついた。
けれど、その嘘の隙間から、銀の蛇の扉が姿を現した。




