表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された薬師令嬢は、辺境で毒見役にされたはずが王弟殿下の命を救ってしまいました  作者: はてなるあてな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/50

第31話「旧砦跡の医師は、薬箱を二つ持っていました」

旧砦跡は、国境商人町の北にあった。


石壁は崩れ、見張り台は半分だけ残っている。


だが、道は踏まれていた。


今も使われている道だ。


「馬車一台。馬二頭」


ラーニャが膝をつき、轍を見た。


「重い荷ではない。けれど、急いでいる」


私は薬箱を抱え直した。


王の薬として持ち出された原液二瓶。


それがここで渡されるなら、相手は薬を使う気だ。


飲ませるためか。


隠すためか。


あるいは、別の誰かを黙らせるためか。


エルネスト殿下が兵へ低く命じた。


「音を立てるな。出口を押さえろ」


ハロルドは帳面を開いたまま、砦跡の入口を見ていた。


「ここは戦時補給路の北端に近い。古い鍵が流れていても不思議ではありません」


「不思議ではないことが、いくつも重なると不自然です」


私が言うと、ハロルドは静かに頷いた。


砦跡の中から、女の声が聞こえた。


「遅いわ、先生」


先生。


奥医師ヴァレリオだ。


私たちは崩れた壁の陰へ寄った。


中庭に、男が一人立っている。


灰色の外套。


細い革鞄。


年は五十を越えているだろう。


穏やかな顔だ。


だが、手だけが落ち着かない。


「王都が騒がしくなった」


男が言った。


「あなたが薬をこぼしたからではなくて?」


女の声は笑っていた。


姿は柱の陰で見えない。


「私ではない。女官が落とした」


「同じことよ。銀の扉で薬が割れた時点で、道は汚れた」


銀の扉。


やはり、この女は知っている。


ヴァレリオは革鞄を足元に置いた。


「原液は二瓶。王の薬として通した。約束の返礼を」


柱の陰から、白い手袋の手が伸びた。


左手。


薬指に、銀の蛇の指輪。


蛇が自分の尾を噛む形だった。


「返礼は、主が決めるわ」


「話が違う」


ヴァレリオの声が荒れた。


「私は王の寝所を開けた。薬湯も変えた。奥薬庫の鍵番も、奥侍従長も、私がなだめた」


「だから、生きている」


女の声は冷たかった。


私は息を止めた。


ヴァレリオは黒帳の主ではない。


使われた側だ。


ただし、罪が軽くなるわけではない。


薬で王の判断を鈍らせようとした。


それだけで十分すぎる。


「薬箱を開けて」


女が命じた。


ヴァレリオは足元の革鞄を一つ開けた。


中には黒瓶が二つ。


王宮封蝋が残っている。


私はエルネスト殿下へ視線を送った。


殿下はまだ動かない。


もう一つの鞄があるからだ。


ヴァレリオは二つ目の鞄を抱えたまま離さない。


女が笑った。


「そちらは?」


「私の薬箱だ」


「嘘ね」


白い手袋の指が、鞄の留め金に触れた。


ヴァレリオが一歩下がる。


「これは渡さない。身を守るものだ」


その瞬間、私は匂いに気づいた。


白眠草。


苦殻。


銀花石。


それに、鋭い甘さ。


舌を痺れさせる草ではない。


皮膚から入る眠り薬だ。


「殿下」


私は囁いた。


「二つ目の鞄は罠です。開けた人を眠らせる粉が入っています」


エルネスト殿下の目が細くなる。


「ラーニャ」


「分かってる」


ラーニャが低く答えた。


だが、女の方が早かった。


彼女は鞄を蹴った。


留め金が外れる。


白い粉が、砦跡の床へ広がった。


ヴァレリオが悲鳴を上げて下がる。


「吸うな!」


私は叫んだ。


兵たちが布で口を覆う。


エルネスト殿下が前へ出る。


「奥医師ヴァレリオ。王の薬を持ち出した疑いで拘束する」


ヴァレリオの顔が崩れた。


「王弟殿下……」


柱の陰から女が姿を見せた。


黒い旅装。


顔の半分を薄い面布で隠している。


けれど、目元には見覚えがあった。


宮中で見たことがある。


王妃宮の女官列。


その奥にいた、名前を呼ばれない女性。


「遅かったわね、王弟殿下」


エルネスト殿下は剣へ手をかけない。


ただ、名を問うた。


「名乗れ」


女は面布越しに笑った。


「名を持つ者だけが、命じると思っているの?」


ラーニャが走った。


女は黒瓶を一つつかみ、石壁へ投げる。


割れた瓶から、強い匂いが噴き出した。


銀花石の原液。


眠り粉。


薬の霧。


混ざれば、目と喉を焼く。


私は布を水で濡らし、近くの兵へ渡した。


「目を開けないで。水で流してください」


ラーニャは女を追った。


だが、崩れた壁の向こうに馬がいた。


女は身軽に乗り、北門の外へ抜ける。


「追うな!」


エルネスト殿下が止めた。


ラーニャが歯を食いしばる。


「なぜです」


「ここに原液が残っている。ヴァレリオもいる。証拠を捨てて追う相手ではない」


悔しい。


でも、正しい。


私は割れずに残った黒瓶を布で包んだ。


そして、二つ目の薬箱の底に目を止める。


粉で白くなった革の底。


そこに、紙が貼りついていた。


濡れた布でそっと外す。


短い文字。


「眠る王の次は、黙る王弟」


私の指が冷えた。


ヴァレリオは膝をつき、震えている。


「私は、殺す薬は作っていない」


「殺さない薬で、人は奪えます」


私の声は思ったより低かった。


旧砦跡の医師は、薬箱を二つ持っていた。


一つは王の薬。


もう一つは、王弟殿下を黙らせるための罠だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ