第24話「薬材倉庫の封印は、内側から破られていました」
砦へ戻る道は、いつもより短く感じた。
急いでいるからではない。
考える余地がなかったからだ。
薬材倉庫。
補給吏ダミアン。
王都からの通達。
そして、私が不正薬材を持ち込んだ疑い。
やり方は変わらない。
毒を止めた者を、毒を持ち込んだ者にする。
記録を守った者を、記録を隠した者にする。
「同じですね」
馬車の中で、私は呟いた。
エルネスト殿下がこちらを見る。
「王都と?」
「はい」
「なら、同じように崩す」
短い言葉だった。
それだけで、少し息がしやすくなった。
砦の薬材倉庫前には、兵が集まっていた。
扉には封印紙。
補給吏ダミアンの印。
灰色の髪を後ろへ撫でつけた男が、倉庫の前に立っている。
背は高い。
姿勢も良い。
信頼される役人の顔だ。
「殿下」
ダミアンは深く礼をした。
「王都より緊急通達がありました。薬師リゼット・アルヴェーンが、出所不明の薬材を持ち込んだ疑いにより、薬材倉庫を保全しております」
保全。
便利な言葉だ。
燃やす時も、隠す時も、人はよく使う。
エルネスト殿下が言った。
「通達を見せろ」
ダミアンは紙を差し出す。
王都薬師局の印。
ただし、モーリスが職務停止になった後の日付だ。
私は紙の端を見た。
青い糸はない。
代わりに、封蝋の縁に黒い粉。
煤墨。
「この通達は、薬師局の正式便ではありません」
ダミアンの目が私へ向く。
「なぜそう言えるのです」
「封蝋に煤墨が混じっています。正式便なら赤蝋だけです」
「道中で汚れたのでしょう」
「封の内側が汚れています」
ダミアンは黙った。
ハロルドがすぐ記録する。
私は扉の封印紙へ近づいた。
封印は破られていないように見える。
だが、紙の端がほんの少し浮いている。
外から剥がしたのではない。
内側から押された跡。
「倉庫は、封印後に内側から開いています」
兵たちがざわめく。
ダミアンが声を強くした。
「あり得ません。鍵は私が」
「鍵は扉に一つです」
私は倉庫の壁を見た。
「でも、薬材倉庫には換気口があります」
ラーニャがすでに壁際へ回っていた。
「こっちだ。格子が外れている」
ダミアンの顔が少しだけ硬くなる。
小さな変化。
でも、見えた。
エルネスト殿下が命じる。
「封印を記録した上で開ける」
ハロルドが確認し、封印紙を切る。
扉が開いた瞬間、薬材の匂いが流れ出した。
乾燥薄荷。
止血草。
苦殻。
そして、甘苦い匂い。
白眠草。
「あります」
私は倉庫の奥へ進んだ。
白眠草の袋は、正規の棚にはない。
床の隅。
私の薬箱に使う布と同じ色の袋。
見つけてください、と言わんばかりの場所。
「分かりやすすぎます」
ニナが小声で言った。
「ええ」
私は袋に触れず、周囲を見た。
袋の下に粉がこぼれている。
でも、周囲の足跡がない。
置いた後に歩いた跡がない。
「ここに置かれたのではありません」
「どういうことだ」
ラーニャが聞く。
「換気口から投げ込まれています」
私は床の粉の散り方を指した。
「袋が落ちて破れ、粉が扇状に散っています。人が持って置いたなら、こうはなりません」
ハロルドがしゃがみ込む。
「確かに、足跡がない」
ダミアンが言った。
「それでも、不正薬材がここにある事実は変わりません」
「変わります」
私は袋の結び目を見た。
「結び方が王都式です」
「結び方?」
「王都薬師局の保管袋は、右巻きに二重。辺境では左巻きに一重です。湿気の違いで、ほどきやすい方法が違うから」
ニナがはっとした顔をする。
「私、辺境式で教わりました」
「はい」
私はダミアンを見る。
「私が持ち込むなら、辺境式に結びます」
倉庫の中が静まった。
小さなことだ。
でも、薬を扱う人間には大きい。
生活の癖は、嘘より先に出る。
エルネスト殿下がダミアンへ向き直った。
「説明を」
ダミアンは深く息を吐いた。
「私は通達に従っただけです」
「誰から通達を受けた」
「王都薬師局です」
「モーリスは職務停止中だ」
「代行者の印が」
「その紙は煤印だ」
ダミアンは沈黙した。
その時、倉庫の奥で小さな音がした。
木箱の中。
ラーニャがすぐに蓋を開ける。
中にいたのは、若い下働きの男だった。
顔に煤。
手には短い刃物。
そして、懐には黒い革紐の切れ端。
男は逃げようとした。
ラーニャが足を払う。
刃物が床に転がった。
ニナが小さく悲鳴を上げる。
私は彼の手首を見た。
薬草で荒れた手。
王都の下働きではない。
砦の人間だ。
「名前は」
ハロルドが問う。
男は黙っている。
ダミアンが言った。
「知らぬ者です」
その声は早すぎた。
知らない人だと言うには、早すぎる。
男の目が一瞬、ダミアンへ向いた。
私は見逃さなかった。
「この人は、あなたを知っています」
ダミアンの表情が固まる。
エルネスト殿下が一歩近づく。
「ダミアン。もう一度聞く。誰から命じられた」
ダミアンは答えない。
下働きの男が震える声を出した。
「俺は、袋を投げ込めと言われただけです」
「誰に」
「補給吏様に」
ダミアンが怒鳴った。
「黙れ!」
その声で、すべてが決まった。
エルネスト殿下の兵がダミアンを囲む。
ダミアンはまだ崩れなかった。
「殿下。私は父君の代から、この砦に仕えております」
「だから、余計に聞く必要がある」
殿下の声は低かった。
「誰のために、薬材を横流しした」
ダミアンの目が揺れる。
「横流しなど」
私は小祠の木板を出した。
「黒帳の写しがあります」
ダミアンの顔から、初めて余裕が消えた。
「村長が」
「はい」
私は頷いた。
「怖かったけれど、持ってきました」
ダミアンは唇を噛んだ。
「あの老人め」
「村を守ろうとした人です」
私の声は、自分でも驚くほど冷たかった。
「あなたが止めた薬を、オルガ様が自分の薬を削って補った。その記録もあります」
ダミアンは黙った。
下働きの男は膝をつき、震えている。
倉庫の中に、薬材の匂いが満ちていた。
命を助けるための匂い。
それを、誰かが脅しと金に変えた。
エルネスト殿下が命じる。
「ダミアン・ロッシュを拘束。薬材倉庫はリゼットとハロルド立会いで再点検する」
兵が動く。
ダミアンは最後に私を見た。
「薬師風情が、道を知らぬまま深入りしたな」
「道なら、記録に残っています」
私は答えた。
「あなたが消し忘れた足跡も」
ダミアンは連れていかれた。
薬材倉庫の封印は、内側から破られていた。
そして、その内側にいたのは、砦を守るはずの人間だった。
点検が終わる頃、ハロルドが奥の棚から一枚の黒い紙を見つけた。
煤墨で塗られた、薄い紙。
火にかざすと、文字が浮かぶ。
「本帳は黒沼の廃水車へ」
黒帳は、まだ先にある。
けれど、道は途切れていない。




