第19話「王妃様、私は薬を止めただけです」
召集の間は、舞踏会の広間より狭かった。
そのぶん、声が逃げない。
国王陛下の席。
王妃様の席。
第二王子レオンハルト殿下。
エルネスト殿下。
グラント卿。
そして、私。
場違いだと思う気持ちは、まだある。
でも、薬箱の重みが足を止めさせなかった。
王妃様は、美しい人だった。
白い肌。
薄い金の髪。
指先まで整った仕草。
その目が、私を静かに見下ろしている。
「リゼット・アルヴェーン」
声は柔らかい。
だから余計に、刃に似ていた。
「祈祷式の清めの水を止め、王妃宮の保管室へ踏み込み、侍女長を疑ったそうですね」
「はい」
私は頭を下げた。
「清めの水に異物混入の疑いがありました。保管室には証拠破壊の仕掛けがありました。侍女長セラフィナ様については、トーマ様の証言があります」
「証言」
王妃様は小さく繰り返す。
「人は、身を守るために嘘をつきます」
「はい」
「あなたも?」
広間が静まった。
私は顔を上げる。
「私も、身を守るために記録を残します」
王妃様の眉がわずかに上がる。
「面白い返答です」
面白く言ったつもりはない。
でも、引くつもりもなかった。
レオンハルト殿下が立ち上がる。
「母上。この女は最初からそうです。薬の知識を盾に、人を脅す。祈祷式も、自分の手柄にするために騒ぎを起こしたに違いありません」
その声を聞いても、昔ほど胸は痛まなかった。
代わりに、少し疲れた。
この人はまだ、私を見ていない。
見たい形に押し込もうとしている。
「レオンハルト殿下」
私は言った。
「私は手柄が欲しくて水を止めたのではありません」
「では何だ」
「薬を止めただけです」
広間に、小さなざわめきが広がる。
私は続けた。
「水差しの底に白眠草と苦殻の抽出残りがありました。王族と高位貴族が口にする水です。使わせるわけにはいきません」
モーリスが横から口を挟む。
「抽出残りなど、薬師の主観です」
「では、封印した水差しを検査してください」
「検査は薬師局が」
「薬師局の台帳に、同じ薬材の不審な搬出記録があります」
モーリスの顔が硬くなる。
私はグラント卿へ視線を向けた。
彼が台帳の写しを出す。
白眠草。
苦殻。
香木灰。
王妃宮、礼拝堂準備、第二王子宮、北辺境臨時便。
国王陛下は黙って見ている。
その沈黙が重い。
王妃様が言った。
「王妃宮の名があるからといって、私が毒を命じたことにはなりません」
「はい」
私はすぐに答えた。
「私は、王妃様が命じたとは申し上げていません」
レオンハルト殿下が苛立つ。
「では何を言いたい」
「王妃宮の名を使って、薬材と記録を動かした者がいます」
私はセラフィナを見た。
彼女は少し離れた場所に立っている。
表情は静か。
けれど、手は固く組まれていた。
「侍女長セラフィナ様。トーマ様は、あなたの命で偽造文書を書いたと証言しました」
セラフィナは微笑む。
「追い詰められた書記官の嘘です」
「白箱の中身は」
「開けていないのでしょう」
「はい。火花石の仕掛けがありましたから」
王妃様の目が、初めてセラフィナへ動いた。
「火花石?」
セラフィナの呼吸が、ほんのわずかに乱れる。
知らされていなかった。
私はそう感じた。
王妃様はすべてを知っているわけではない。
少なくとも、白箱を燃やす仕掛けまでは。
「保管室で火花石とは、どういうことです」
王妃様の声が冷える。
セラフィナは礼をする。
「湿気除けの誤認かと」
「湿気除けなら、なぜ火災確認の名目で入った者が気づく位置に」
王妃様の問いは鋭かった。
広間の空気が変わる。
セラフィナは沈黙した。
私はそこで、クラリスの手帳を出した。
「クラリス様の私的な手帳です。白箱が第二王子宮へ運ばれた日と、私の配合案が消えた日が重なります」
クラリスは少し離れた椅子に座っていた。
包帯を巻いた腕を膝の上に置いている。
王妃様が彼女を見る。
「クラリス。あなたは、それをなぜ今まで黙っていたのです」
クラリスの顔が白くなる。
それでも、彼女は立ち上がった。
「怖かったからです」
広間が静かになる。
「レオンハルト様に嫌われるのが怖かった。父に戻されるのが怖かった。リゼット様を見下していた自分を、間違いだと認めるのが怖かった」
レオンハルト殿下が顔を歪める。
「クラリス、黙れ」
クラリスは一瞬震えた。
でも、黙らなかった。
「もう黙りません」
その声は細かった。
けれど、広間に届いた。
「私は見ました。リゼット様の記録が第二王子宮にあるのを。モーリス様がそれを写していたのを。トーマ様が私の筆跡を練習していたのを」
レオンハルト殿下が叫んだ。
「母上、この者は混乱しています!」
王妃様は彼を見た。
その目に、母の甘さはなかった。
「レオンハルト。あなたは、リゼットの記録を持っていたのですか」
「私は、モーリスが」
「持っていたのですか」
二度目の問いに、彼は黙った。
沈黙は答えになる。
私はその意味を知っている。
モーリスが慌てて言った。
「殿下はご存じなかった。薬草庫の共有資料として」
「共有資料に、名義変更の朱書きは不要です」
私は言った。
ハロルドが奪われた配合案の写しを出す。
「第二王子宮提出用に名義変更」
王妃様の目が細くなる。
国王陛下が、ようやく口を開いた。
「モーリス・ダルトン」
その声だけで、広間が凍った。
「薬師局の者として、説明せよ」
モーリスは汗を浮かべた。
「私は、才能ある若者の案を整えただけで」
「名を消してか」
「それは、第二王子宮の方針で」
レオンハルト殿下が振り返る。
「モーリス!」
言い逃れが、互いを刺し始めた。
私はそれを見ながら、少しも嬉しくなかった。
すっきりもしない。
ただ、重いものが一つ、床へ落ちたような気がした。
エルネスト殿下が静かに言う。
「陛下。祈祷式の毒、辺境薬室への偽装検査、リゼットの記録横取り。三件は同じ薬材と同じ台帳でつながっています」
国王陛下が頷く。
「白箱を陛下預かりで開封する。火花石の仕掛けは薬師立会いで外せ」
グラント卿が礼をする。
「承知しました」
「トーマは保護下で証言を続けさせる。クラリスも同様だ」
クラリスの肩が、少しだけ下がった。
守られる。
少なくとも、今この場では。
「モーリス・ダルトンは薬師局の職務を停止。セラフィナは王妃宮侍女長職を一時停止し、尋問を受けよ」
セラフィナの表情が消えた。
モーリスは膝から崩れそうになる。
レオンハルト殿下は何かを言おうとした。
だが、国王陛下の視線で止まった。
小さな逆転だった。
完全な断罪ではない。
王妃様も、第二王子も、まだそこにいる。
でも、モーリスは止まった。
セラフィナも止まった。
白箱は燃えずに残る。
私の記録も、名を取り戻し始めている。
王妃様が私を見た。
「リゼット・アルヴェーン」
「はい」
「あなたの点検権限については、再審査を続けます」
広間がざわめく。
エルネスト殿下が眉を寄せる。
王妃様は続けた。
「ただし、審査の間も、王弟殿下付き薬室管理官としての職務は停止しません」
私は息をのんだ。
それは、許可だった。
完全な信頼ではない。
でも、奪う言葉ではなかった。
私は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼は、薬で返しなさい」
その言葉の意味を測りきれないまま、私は顔を上げた。
その時、グラント卿の兵が駆け込んできた。
「陛下。白箱の仕掛け解除中に、底板の下から別紙が見つかりました」
国王陛下が目を細める。
「読め」
兵は紙を開いた。
「北辺境、前任薬師処理済み。残る記録はリゼット・アルヴェーンの頭の中」
血の気が引いた。
前任薬師。
ずっと残っていた未回収の死。
その名が、王妃宮の白箱から出た。
私は薬箱を握った。
戦いは、私の記録だけでは終わらない。
辺境で死んだ薬師の真実が、王都の箱から顔を出した。




