第18話「白箱の中身は、毒より重い証言でした」
「白箱は、どこにありますか」
私が尋ねると、トーマは肩を震わせた。
「王妃宮の東保管室です。鍵は、侍女長が」
セラフィナは何も言わない。
沈黙で否定する人はいる。
沈黙で命令する人もいる。
彼女は後者だった。
部屋の空気が、言葉より重くなる。
エルネスト殿下がグラント卿を見る。
「王妃宮の東保管室を封鎖できるか」
グラント卿は一瞬だけ考えた。
「陛下の名で、保管室の火災確認という名目なら」
「火災?」
「この通路に香木灰がまかれていました。保管物への延焼確認は自然です」
ハロルドがすぐに書き留める。
名目。
手続き。
王宮では、真実だけでは扉が開かない。
けれど、正しい名目を作れば開く扉もある。
「では、それで」
殿下が言った。
セラフィナが静かに口を開く。
「王妃宮の保管室へ、王弟殿下が踏み込むおつもりですか」
「毒と偽造文書の証言がある」
「証言者は、追い詰められた書記官です」
「ならば、箱を見ればよい」
セラフィナの表情は崩れない。
それでも、彼女の指先だけが動いた。
小さな癖。
緊張している。
私たちはトーマを兵に預け、東保管室へ向かった。
王妃宮の廊下は、薬師局とも礼拝堂とも違う匂いがした。
花油。
絹。
甘い香。
そして、その奥に薄く混じる苦殻。
私は立ち止まった。
「ここでも使っています」
「毒か」
ラーニャが小声で聞く。
「防虫の量なら問題ありません。でも、匂いが濃い」
セラフィナが振り返る。
「王妃宮の香にまで、薬師が口を出すのですか」
「毒と薬は量で変わります」
私は答えた。
「香も同じです」
東保管室の前には、侍女が二人いた。
グラント卿が札を見せる。
「保管物の火災確認です。扉を」
侍女たちはセラフィナを見る。
セラフィナは微笑んだ。
「開けなさい」
あっさりしている。
嫌な予感がした。
扉が開く。
中は整然としていた。
棚。
箱。
布袋。
白い箱は、すぐ見つかった。
部屋の中央に置かれていたからだ。
隠すつもりがない。
むしろ、見せるために置かれている。
「罠ですね」
私は小声で言った。
エルネスト殿下が頷く。
「だろうな」
白箱の封蝋には、王妃宮の印。
ただし、まだ新しい。
昨日か、今日。
私は封蝋の縁を見た。
そこに小さな粉が付いている。
白眠草ではない。
紙を古く見せるための乾燥粉だ。
「この箱は最近作られています」
「分かるのか」
「粉が新しいです。古文書の湿気取りに使うものですが、まだ香りが飛んでいません」
セラフィナが言った。
「保管室ですから、箱を入れ替えることもあります」
「はい。ですから中を見ます」
私は封蝋に触れず、まず箱の底を見た。
木目の隙間に、黒い点。
鉄の粉。
「開けたら、何かが落ちます」
ラーニャが眉を上げる。
「毒?」
「たぶん、火花を出す仕掛けです。中の紙を燃やすための」
グラント卿が顔をしかめた。
「保管室で火災確認を名目に来た我々が、箱を燃やしたことにされる」
「そうです」
セラフィナは微笑んだままだった。
証拠を見つけたと思わせて、こちらに燃やさせる。
そして、王妃宮の保管物を破損した責任を負わせる。
よくできている。
嫌になるほど。
「箱を開けずに中を確認します」
私は薬箱から細い銀針を出した。
「木の合わせ目に、紙を差し込みます」
「できるのか」
「薬材箱の湿気を見る時に使います」
私は薄い紙を銀針で押し込み、少しだけ引き出した。
紙の端に、黒い粉が付いた。
火花石。
やはり。
次に、箱の反対側から別の紙を差し込む。
今度は文字の端が写った。
「リゼット」
殿下が息を殺す。
私は紙を光にかざした。
写った文字は、私の字ではなかった。
トーマの字でもない。
もっと整った、王妃宮の書記の字。
「辺境薬室焼却後、残存記録は第二王子宮へ」
部屋が静かになった。
ニナが守った薬室。
あれは、ただ白い粉を置くためではなかった。
記録を燃やす計画だった。
「続きがあります」
私はもう一度、紙を差し込む。
「見習い薬師ニナは、管理能力不足として拘束」
手の中の紙が震えた。
ニナ。
あの子は、震えながら薬室を守った。
それを、管理能力不足にするつもりだった。
「許せません」
声が出た。
セラフィナが冷たく言う。
「写り紙の文字だけで、王妃宮を責めるのですか」
「責めません」
私は顔を上げた。
「止めます」
私は箱から離れ、グラント卿へ向き直った。
「この箱は開けずに封鎖してください。火花石の仕掛けがあります。証拠破壊用です」
「承知した」
グラント卿が兵に命じる。
箱の周囲に封布がかけられた。
セラフィナの眉がわずかに動く。
開けて燃やすはずだった箱が、燃えずに残った。
小さな勝ちだった。
だが、まだ足りない。
箱の中身は取れない。
王妃宮の関与も、侍女長止まりにされる。
その時、廊下から急ぎ足が聞こえた。
入ってきたのはクラリスだった。
腕には包帯。
顔色は悪い。
それでも、自分の足で立っている。
「クラリス様、なぜここへ」
私は思わず言った。
「証言するためです」
彼女は息を整え、セラフィナを見た。
セラフィナの表情が、初めてはっきり険しくなる。
「子爵令嬢。お体に障ります」
「ええ。昨日までは、その言葉で黙っていました」
クラリスの声は震えていた。
でも、止まらない。
「レオンハルト様の部屋で、白い箱を見ました。王妃宮から届いた箱です。中には、リゼット様の記録と、私の筆跡練習紙がありました」
セラフィナが冷ややかに言う。
「あなたは混乱している」
「していました」
クラリスは頷いた。
「だから、今は記録を持ってきました」
彼女は包帯を巻いた腕で、小さな手帳を出した。
「婚約破棄の前から、レオンハルト様に会った日と、渡された箱の数を記しています。恋文をもらえなかったので、せめて訪問日だけでも残したくて」
その言い方が、少し悲しかった。
そして、強かった。
恋をしていたから残した記録が、今は証拠になる。
ハロルドが手帳を受け取る。
日付。
訪問者。
箱の色。
王妃宮の侍女名。
白箱が運ばれた日と、私の配合案が消えた日が重なる。
「これは強い」
ハロルドが低く言った。
クラリスは私を見た。
「私、あなたの味方と言えるほど、正しくありません」
「分かっています」
私は答えた。
「でも、今の証言は助かります」
彼女は小さく頷いた。
セラフィナは静かに笑った。
「子爵令嬢の私的な手帳。薬師の写り紙。追い詰められた書記官の証言。ずいぶん寄せ集めですね」
「記録は、最初はいつも寄せ集めです」
私は言った。
「でも同じ日、同じ箱、同じ薬材、同じ人の名が重なれば、偶然ではなくなります」
エルネスト殿下がグラント卿へ命じる。
「白箱、クラリスの手帳、薬師局台帳、トーマの証言。すべて陛下預かりへ」
「承知しました」
セラフィナはそこで、初めて笑みを消した。
「王妃様がお許しになると?」
エルネスト殿下は彼女を見る。
「王妃の名を使ったのが誰か、確かめるだけだ」
その言い方は、逃げ道でもあった。
王妃本人を断罪するのではない。
まず、名を使った者を切り離す。
だから扉が開く。
私はその冷静さに、少しだけ息をつけた。
その時、保管室の外で鐘が鳴った。
王宮の召集鐘。
一度。
二度。
三度。
グラント卿の顔色が変わる。
「陛下の緊急召集です」
ハロルドが窓の外を見る。
「早すぎる」
セラフィナがゆっくり礼をした。
「王妃様も、ご説明を求めておいでです」
私の背筋が冷えた。
白箱は守った。
クラリスは証言した。
トーマも確保した。
それでも、相手は王妃宮だ。
次は、証拠の部屋ではない。
王宮の中心で、誰の言葉が真実として扱われるかが決まる。
私は薬箱を抱え直した。
毒より重い証言を持って、私たちは召集の間へ向かった。




