表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された薬師令嬢は、辺境で毒見役にされたはずが王弟殿下の命を救ってしまいました  作者: はてなるあてな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/40

第14話「辺境薬室は空ではありません」

短い矢は、クラリスの肩をかすめていた。


ほんの少し。


布が裂れ、白い肌に赤い線が浮く。


私はすぐに傷口を押さえた。


「動かないで」


クラリスの唇が震える。


「毒、ですか」


「まだ分かりません」


私は矢じりを見た。


黒い薬が塗られている。


匂いは弱い。


血へ入り込むタイプなら、少量でも危ない。


薬箱から布と洗浄液を取り出す。


「ラーニャ、窓を」


「もういない」


ラーニャは割れた窓の外を見たまま答えた。


「屋根伝いに逃げた。慣れてる」


「ハロルド様、記録を」


「矢、傷、箱、すべて記録中だ」


返事が早い。


私はクラリスの傷を洗った。


黒い薬は、傷口の縁で薄く広がっている。


「痛みは」


「熱い、です」


「息苦しさは」


「まだ」


まだ。


その言葉が重い。


私は矢じりの薬を紙に少し取り、試験液を垂らした。


茶色。


即死毒ではない。


筋肉をこわばらせる薬だ。


証言前に声を出せなくするためか。


「命を奪う量ではありません。けれど、放置すれば腕が動かなくなります」


クラリスの目に恐怖が浮かぶ。


私はできるだけ静かに言った。


「大丈夫。間に合います」


大丈夫と言い切るのは、怖い。


でも患者の前で、薬師が最初に崩れてはいけない。


洗浄し、吸着粉を当てる。


包帯を巻く。


クラリスは歯を食いしばっていた。


泣かない。


泣けないほど怖いのかもしれない。


「なぜ、私を」


彼女がつぶやいた。


「私は、あなたを助けなかったのに」


「今は患者です」


私は包帯を結ぶ。


「患者を選んでいたら、薬師は続きません」


クラリスは目を伏せた。


その時、廊下を走る足音が近づいた。


エルネスト殿下とグラント卿が入ってくる。


殿下の視線が、まず私に向いた。


次にクラリス。


最後に床の矢。


「無事か」


「クラリス様は処置中です。命に関わる毒ではありませんが、証言を止めるための薬です」


殿下の眉がわずかに動く。


「証言を止めるため」


「はい」


私は箱を指した。


「クラリス様へ罪をかぶせる箱が見つかりました。中には白眠草、青い糸、偽造文書。筆跡を真似ています」


グラント卿が顔をしかめる。


「王宮内で暗殺未遂まで」


「殺すつもりではなかったと思います」


私は矢を見た。


「喋れなくするつもりです」


その方が、ずっと嫌だった。


死なせれば事件になる。


声だけ奪えば、証人は証人でなくなる。


エルネスト殿下が低く言う。


「トーマを追う」


「待ってください」


私は反射的に止めた。


殿下がこちらを見る。


「何かあるのか」


「トーマが王宮内で動いているなら、王都側だけが狙いではないかもしれません」


胸の奥に、嫌な予感があった。


祈祷式の毒。


クラリスへの偽装。


口止め薬。


どれも王宮内の火消しだ。


でも、私たちを本当に折るなら。


狙う場所は一つ。


辺境薬室。


「ニナたちが危ない」


口に出した瞬間、背筋が冷えた。


王都で私を縛る。


その間に、辺境で記録を燃やす。


薬室を空にする。


そうすれば、私の足場は消える。


エルネスト殿下はすぐにハロルドを見た。


「辺境へ早馬を」


「すでに一通、今朝出しています。ですが、追加を」


「暗号で送れ。薬室を閉じろ。記録を動かせ。ニナを一人にするな」


「承知しました」


ハロルドが部屋を出る。


私はクラリスの包帯を押さえながら、祈るような気持ちになった。


ニナ。


薬室を守って。


場所は変わり、辺境砦。


ニナはその朝、薬棚の前で背伸びをしていた。


高い棚に置いた乾燥薄荷の瓶が、どうしても奥へ入ってしまったからだ。


「届かない」


つぶやくと、後ろから兵の一人が笑った。


「取ろうか」


「大丈夫です。薬室の棚は私が覚えます」


ニナは椅子を引き寄せ、瓶を取った。


リゼット様なら、椅子に乗る前に棚の並べ方を直す。


そう思って、少し笑う。


リゼットが王都へ行ってから、薬室は静かだった。


でも、空ではない。


患者は来る。


薬は減る。


記録は増える。


ニナは帳簿を開き、昨日の処置を書き足した。


子どもの熱は下がった。


兵の咳は軽くなった。


保存薬は残り三瓶。


足りないものも多い。


けれど、何もできないわけではない。


その時、砦の門で鐘が鳴った。


来客を知らせる音だ。


ニナは顔を上げた。


しばらくして、兵が薬室へ駆け込んできた。


「王都から薬材検査の使者だ。薬室を開けろと」


ニナの手が止まった。


王都から。


リゼットは言っていた。


急に来た検査は、まず記録を見る。


次に薬棚を見る。


最後に、人を責める。


「リゼット様は王都です」


「だから来たんだろう」


兵の声も硬い。


ニナは深く息を吸った。


怖い。


でも、怖がっているだけなら薬室は守れない。


「薬室は開けます。ただし、記録簿は私一人では出せません。ハロルド侍従長の封印があります」


兵が驚いた顔をした。


「そんなもの、あったか」


「昨日作りました」


本当は、リゼットが王都へ行く前に言っていた。


「記録簿をそのまま棚へ置かないで。写しと原本を分けて」


ニナはそれを守った。


原本は薬棚の下ではない。


砦の食料庫でもない。


子どもの熱を見に行ったリンド村へ、村長の箱に預けてある。


薬室にあるのは写し。


それでも、大事な写しだ。


ニナは白衣を着直し、薬室の扉を開けた。


王都の使者は三人いた。


先頭の男は、細い目で薬室を見回した。


「粗末な薬室だな」


ニナの胸がむっとした。


でも、言い返さない。


リゼットなら、最初は言い返さない。


相手に喋らせる。


「薬材検査とのことですが、令状を拝見します」


男の眉が上がった。


「見習いが令状を見るのか」


「薬室を開ける以上、記録に残します」


ニナは震える手で帳簿を開いた。


「お名前、所属、検査目的、持ち込み薬材の有無をお願いします」


後ろの兵が小さく笑った。


味方の笑いだ。


ニナの背中が少しだけ伸びる。


男は不機嫌そうに紙を出した。


令状には、王都薬師局の印がある。


ただし、日付が古い。


リゼットが王都へ呼ばれる前の日付。


「この令状では、今日の検査理由が分かりません」


ニナが言うと、男の顔が歪んだ。


「理由など、王都の命令で十分だ」


「では、薬室の奥には入れません」


声が震えた。


でも、言えた。


その瞬間、男の一人が薬棚へ向かって動いた。


兵が前に立つ。


「許可なく棚には触れるな」


「邪魔をするなら、砦ごと処罰対象に」


「その処罰記録も残す」


低い声がした。


入ってきたのは、砦の副官だった。


王弟不在の間、砦を預かる人だ。


「辺境薬室は、王弟殿下の臨時管理下にある。検査なら、正式な日付と立会人をそろえろ」


王都の使者たちは顔を見合わせた。


その隙に、ニナは一人の袖口を見た。


青い糸。


ほんの少し、縫い目に混じっている。


王都で聞いた、トーマの袖口と同じ色。


ニナの喉が鳴った。


「副官様」


「何だ」


「持ち込み薬材の確認をしたいです」


使者の顔が変わった。


「何を」


「薬室へ入る方は、外から薬材を持ち込んでいないか確認します。リゼット様の決まりです」


そんな決まりは、昨日作った。


でも、薬室を守るためなら必要な決まりだ。


副官が頷く。


「確認しろ」


兵が使者たちを調べる。


一人の懐から、小さな紙包みが出た。


白い粉。


ニナの背筋が冷える。


もしこれを薬棚に入れられていたら。


辺境薬室で毒を作っていたと、言われていたかもしれない。


「これは何ですか」


ニナが尋ねる。


使者は黙った。


答えられない。


副官が紙包みを受け取り、兵へ命じる。


「拘束しろ」


使者たちが騒ぎ出す。


だが、辺境の兵は王都の廊下にいる護衛とは違う。


薬室を守る意味を知っている。


ニナは震える膝を押さえた。


怖かった。


とても怖かった。


でも、薬室は守った。


「リゼット様」


小さくつぶやく。


「薬室は、空ではありません」


その日の夕方、辺境から早馬が王都へ出た。


王都薬師局の古い令状。


青い糸の袖。


持ち込み白粉。


そして、ニナの記録。


王都へ戻る頃、リゼットはまだ知らない。


自分が育てた見習いが、最初の反撃をやり遂げたことを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ