第5話 宮古の夏
第5話 宮古の夏
八月十三日、宮古空港に降りると、空気が肌に貼りついた。
東京の暑さとは違う。湿った熱の中に、潮の匂いと、どこかで刈られた草の匂いが混じっている。
この匂いを、俺は十年間かいでいなかった。
元の世界線では、二〇二九年の六月に一度だけ、この島に戻った。停戦から一か月後、遺族の立ち入りが許されたときだ。あのとき、空港の周りには焦げた鉄と、海水に浸かった何かが腐る匂いしかしなかった。
到着ロビーの出口で、美月が手を振っていた。
「にいにい、遅い! 一便早いのにしなって言ったのに」
「仕事があったんだよ」
「公務員って夏休みあるんでしょ?」
「あるけど、取りにくいんだ」
十九歳の妹は、日に焼けた腕で俺の鞄をひったくると、駐車場のほうへ歩き出した。母の軽自動車の運転席に乗り込み、慣れた手つきでエンジンをかける。
「免許、取ったのか」
「春にね。お母さんが乗せてくれないから、私が運転手なの」
知っていた。報告書の聞き取りのとき、近所の人から聞いた。避難の日、母の車を運転して港まで行ったのは美月だった。車は港の駐車場で見つかった。キーは、差したままだった。
「にいにい?」
「……ああ。安全運転でな」
「何それ。おじいちゃんみたい」
車は、サトウキビ畑の間の一本道を走った。窓を開けると、熱い風が吹き込んでくる。
途中、道路沿いに新しいフェンスが見えた。白い建物がいくつか並び、敷地の奥にアンテナのようなものが立っている。
「あれ、自衛隊の」
美月が顎で示した。
「春にできたやつ。お母さんの友だちの何人かは、反対の集会に行ってたよ。私はよく分かんないけど」
「おまえは、どう思う」
「どうって。……よく分かんないって言ったじゃん」
美月はハンドルを握ったまま、少し考えた。
「でも、隊員さんの奥さんがうちのお店に来るようになったの。小さい子連れて。普通の人だよ。だから、嫌いにはなれないかな。でも、あれがあるせいで、もしものときに狙われるって言う人もいて。それもまあ、分かるっていうか」
十九歳の妹が、言葉を探しながら話している。
島の人たちは、みんなこうだった。賛成と反対の間に、言葉にならない気持ちをたくさん抱えていた。報告書を書くために百人以上から話を聞いたが、どちらか一方だけを言い切った人は、ほとんどいなかった。
家に着くと、庭のブーゲンビリアが、写真で見たよりもずっと濃い赤で咲いていた。
玄関の引き戸が開いて、母が出てきた。
「透。おかえり」
五十一歳の母は、エプロンで手を拭きながら笑った。
俺の知っている、最後の母より十歳若い。白髪がまだほとんどない。
「……ただいま」
声が、少しだけ震えた。
母は気づかないふりをしてくれたのか、本当に気づかなかったのか、「ほら、上がって。ソーキ煮てるから」と、台所へ戻っていった。
夕食は、母と美月と三人で食べた。
父の写真は、仏壇の真ん中にあった。俺が十五のとき、漁に出たまま戻らなかった人だ。写真の中の父は、ずっと四十二歳のままだった。
「美月がね、来年、那覇のホテルの面接受けるんだって」
「お母さん、それまだ言わないでって」
「いいじゃない。透に相談しなさいよ。公務員なんだから」
「公務員関係なくない?」
二人のやりとりを聞きながら、俺は箸を動かした。
那覇のホテル。美月は二〇二〇年の春からそこで働き、三年後に宮古へ戻ってくる。島で小さな雑貨店を開くために。二〇二九年の四月、店は開店して五年目だった。
「にいにいは、仕事どうなの」
美月が話を振ってきた。
「防衛省って、何してるの。ミサイルとか?」
「ミサイルは買ってない。紙を書いてる」
「紙?」
「屋根の紙。基地の飛行機を、台風から守る屋根」
嘘ではない。奥寺が直した紙には、そう書いてある。
「へえ、地味」
「地味だよ」
「でも、台風はこっちも大変だからね。それは大事」
母がそう言って、俺の茶碗におかわりをよそった。
食事のあと、俺は一人で外に出た。
母に「ちょっと散歩してくる」と言うと、「蚊にくわれるよ」とだけ返ってきた。
平良港までは、歩いて二十分ほどだった。
夜の港は静かだった。岸壁に、フェリーが一隻つながれている。待合所の明かりは消えていて、駐車場には車が数台しかなかった。
俺は、駐車場の真ん中に立った。
ここに、二千人が並んでいた。
整理券を持たない家族が、それでも列に加わった。第三便のフェリーは、午前六時に出る予定だった。
駐車場の周りを、ゆっくり見回す。
逃げ込める建物は、待合所と、倉庫が二つ。どちらも鉄骨の平屋だ。地下はない。頑丈なコンクリートの建物は、港から五百メートル以上離れた市街地にしかない。
十年後も、たぶん同じだ。俺が何もしなければ。
「眠れんのか」
背後から声がした。
振り返ると、岸壁の端に、小柄な老人が釣り竿を持って座っていた。見覚えがあった。家の三軒隣に住む、下地のおじいだ。子どものころ、よく魚を分けてもらった。
「ああ、砂川さんとこの透か。東京に行ったんだってな」
「はい。お盆で帰ってきました」
「そうか、そうか」
下地のおじいは、竿の先を見つめたまま言った。
「さっきから、駐車場の真ん中に突っ立って、何を見とる」
「……もし、ここから島の人を全員、船で逃がすとしたら、どれくらいかかるかなと思って」
老人は、ゆっくりとこちらを向いた。
「物騒なことを考える」
「仕事なので」
「防衛省の仕事か」
「はい」
しばらく、波の音だけが聞こえていた。
「わしが子どものころ」
下地のおじいが、ぽつりと言った。
「戦争の終わりのほうだ。宮古には米軍は上がってこなかった。上がってこなかったが、空襲は来た。それから、食い物がなくなった。マラリアもはやった。わしの姉さんは、それで死んだ」
「……」
「疎開の船もあった。台湾へ行く船も、九州へ行く船もな。乗った人もおった。乗らんかった人もおった。乗らんかったのは、乗れなかったからじゃない。島を出たら、もう戻ってこれんと思ったからだ」
竿の先が、かすかに揺れた。老人は、それを見ているだけだった。
「島の人間はな、透。逃げろと言われても、簡単には逃げん。逃げた先で、どうやって暮らす。いつ帰れる。畑は、墓は、牛は。誰がそれを答えてくれる」
答えられなかった。
六日間、一日二万人の計画には、九州のホテルや旅館の手配まで書いてあった。食事も、健康の管理も。ただ、「いつ帰れるのか」には、一行も触れていなかった。
だから、整理券を持たない家族が、最後の日まで島に残った。
家に戻ると、母はまだ起きていた。
縁側で、うちわを使いながら麦茶を飲んでいる。俺は隣に座った。
「どこまで行ってたの」
「港まで」
「物好きね」
庭のブーゲンビリアが、暗がりの中で黒っぽく見えた。
「母さん」
「ん」
「もしさ。もし、何かあって、島を出なきゃいけなくなったら。どうする」
「何かって?」
「台風でも、何でもいい。島中の人が、九州に逃げなきゃいけないようなこと」
母は、うちわの手を止めた。
それから、笑った。
「そんなの、出ないよ」
「……どうして」
「お父さんの墓があるもの。この家も、畑も、美月の友だちも、みんなここにいる。九州に行って、知らない旅館で、いつ帰れるかも分からないで待つくらいなら」
母は、何でもないことのように言った。
「ここで死ぬよ」
虫の声が、急に大きく聞こえた。
母は、麦茶のグラスを置いて立ち上がった。
「冗談よ。そんな顔しないの。ほら、もう寝なさい。明日、お墓参り行くんだから」
台所へ消えていく母の背中を、俺は見送ることしかできなかった。
冗談ではなかったのだと思う。
二〇二九年の三月三十一日、避難が始まった日。母は最初の便に乗らなかった。二日目にも乗らなかった。三日目の朝、ようやく美月に説得されて、港の列に並んだ。
ずっと、それを「決断が遅れた」と書いてきた。報告書にも、俺自身の頭の中にも。
違った。母は遅れたのではない。最初から、出るつもりがなかったのだ。それでも最後に港へ行ったのは、きっと、美月のためだった。
布団に入っても、眠れなかった。
天井を見上げながら、俺は考え続けた。
航空機の屋根なら、紙一枚で変えられるかもしれない。予算の一行で、十年かけて変えられるかもしれない。
でも、母は紙では動かない。
母を動かすには、「逃げる」ことを「島を捨てる」ことにしない仕組みが要る。いつ帰れるか、誰が畑を見るか、墓はどうなるか。それに答える仕組みだ。そして、その仕組みは、母のような人が何万人もいる島全体に必要だった。
枕元のスマートフォンで、メモを開いた。
新しいページに、一行だけ打ち込む。
〈避難は、帰ってくるために設計する〉
画面の明かりを消すと、外で波の音がしていた。
十年後、この音を聞けなくなった人が、千七百四十一人いる。
開戦まで、あと三千五百十九日。




