第10話 名前を貸した男
その記事が出たのは、二〇二一年一月の第三木曜日だった。
週刊誌の、見開き二ページ。
『防衛省若手官僚の「対中ミサイル戦」勉強会 内部資料入手 「敵に弾を数えさせろ」』
朝の八時、課の島に着くと、三好の机の上にその週刊誌が置いてあった。
三好本人は、いなかった。
「砂川くん」
奥寺が、静かな声で俺を呼んだ。
会議室に入ると、奥寺のほかに、課長と、大臣官房の文書課の担当者が座っていた。机の上に、週刊誌のコピーと、一枚の紙のコピーが並べてあった。
紙のほうに、見覚えがあった。
『百億円を一億円で守る会 第一回』の資料。四ページ目。
相手のミサイルの数と、屋根の数を並べた表。その下に、俺が自分で書いた一文があった。
――屋根は機体を守るためではなく、相手に弾を数えさせるためにある。
「これを書いたのは、きみだね」
課長が言った。
「はい」
「第一回の資料、だそうだね。二〇一九年の五月」
「はい」
奥寺が、紙に書くなと言ったのは、その翌月だった。
遅かった。最初の一枚は、もう書いてしまっていた。
「経緯を説明して」
俺は、正直に話した。勉強会を始めた理由。参加者。資料を四部作ったこと。そのうち一部は自分で持ち帰ったこと。残りの三部の行方は、分からないこと。
文書課の担当者は、黙ってメモを取っていた。
課長は、ときどき眉間を押さえた。
奥寺は、何も言わなかった。
「問題は、二つある」
説明が終わると、課長が言った。
「一つは、内部資料が外に出たこと。誰が出したのかは、これから調べる。もう一つは、中身だ。『敵に弾を数えさせろ』。この言葉だけが独り歩きしている。野党は、今日の午後の委員会で取り上げると言ってきている。大臣は、『防衛省として、特定の国との戦争を想定した検討を行っている事実はない』と答弁する予定だ」
「……はい」
「それから、勉強会の主催者は、三好係長ということになっている」
課長は、週刊誌の記事の一か所を指さした。
『関係者によると、勉強会は同省防衛政策局の三好係長が主催し……』
「三好係長は、今どこに」
「人事課で、話を聞かれている」
昼休み、俺は地下の食堂に行かなかった。
人事課のある階の廊下の端で、三好が出てくるのを待った。
一時を少し過ぎたころ、ドアが開いて、三好が出てきた。いつもと同じ、少し眠そうな顔だった。俺を見つけると、軽く手を上げた。
「おー。待ってたの? 律儀だね」
「係長」
「ん」
「僕が、人事課に行きます。資料を書いたのは僕です。勉強会を言い出したのも僕です。係長は、名前を貸してくれただけで」
「そうだね」
三好は、あっさりうなずいた。
「だから、僕が主催者なんだよ」
「……」
「砂川くん。名前を貸すってのは、こういうことなんだ」
三好は、廊下の窓から外を見た。市ヶ谷の空は、冬らしく白っぽかった。
「最初に付箋に書いたでしょ。『名前は貸す』って。あのとき、何かあったら僕が責任を取るって意味で書いたんだよ。じゃなきゃ、わざわざ名前なんか貸さない」
「でも」
「でも、じゃないの。入省二年目の係員が主催した勉強会で、こういう資料が出てた、ってなったら、きみはこの先十年、ずっと『あの記事の』って言われる。どこに行っても。何を書いても」
三好は、こちらを向いた。
「僕は、もう十年くらいこの役所にいる。どうせそのうち、どこかに飛ばされる予定だった。それが少し早くなるだけ」
十年。
その言葉が、喉の奥に引っかかった。
俺には、十年が必要だった。三好は、それを知らない。知らないまま、俺の十年を守ろうとしている。
「処分は、どうなるんですか」
「たぶん、口頭の注意くらい。中身自体は、別に違法でも何でもないからね。ただ、春の異動で、どこかに出されると思う。本省には、しばらく戻れないかな」
三好は、軽く伸びをした。
「沖縄防衛局あたりがいいなあ。暖かいし」
その日の午後、国会の委員会で、大臣は予定どおりの答弁をした。
防衛省として、特定の国との戦争を想定した検討を行っている事実はない。勉強会は職員の自主的な取り組みであり、省の見解を示すものではない。内部資料の管理については、適切に指導する。
テレビの中継を、俺は自分の席で見ていた。
「砂川くん」
夕方、奥寺が俺の席の横に立った。
「調査研究のほうは、心配いらないよ」
「……」
「あれは、大規模災害の調査研究だから。記事の勉強会とは、関係ない。そう説明して、通した」
奥寺は、赤ペンでこつこつと俺の机を叩いた。
「『等』が効いたね」
「奥寺さん」
「何」
「僕が、あの資料を書かなければ」
「書かなければ、勉強会は始まらなかった。勉強会が始まらなければ、鳴海くんは数字を持ってこなかったし、久住さんは屋根の概算を作らなかった。調査研究の要求も、出なかった」
奥寺は、俺の目を見た。
「三好くんは、それを分かってて名前を貸したんだよ。だから、きみが謝るのは筋が違う。謝る代わりに、仕事で返しなさい」
三月の内示で、三好は沖縄防衛局への異動が決まった。
元の世界線では、彼は二〇二七年まで本省にいて、その後、内閣官房に出向して避難計画の担当になった。
この世界線では、六年早く、沖縄に行く。
送別会は、感染症の影響で開けなかった。
異動の前日、三好は段ボール箱を一つ抱えて、課の島を回った。一人ひとりに、短く挨拶をして。
最後に、俺の席に来た。
「じゃ、行ってくるわ」
「……お世話になりました」
「なに、その顔。別に死ぬわけじゃないんだから」
三好は笑って、段ボール箱の中から黄ばんだ付箋の束を取り出した。「検討します」と書かれた、奥寺の付箋のコレクションだ。
「これ、あげる。僕にはもう要らないから」
「要らないんですか」
「沖縄で、新しいのを集めるよ」
それから、少しだけ声を低くした。
「砂川くん。沖縄防衛局はね、地元の自治体と一番近いところにいる役所なんだ。基地の話も、避難の話も、最初に地元と話すのはあそこ。だから、もし何か地元に話を通したいことがあったら、僕に言って」
「……」
「名前、また貸してあげるから」
三好が出ていったあと、俺は付箋の束をしばらく眺めていた。
それから、引き出しの一番上にしまった。
その夜の夢で、報告書を開いた。
第三章、人的被害。数字は変わっていない。
第五章、防衛。百十二機。変わっていない。
第九章、避難および国民保護。
先島諸島 避難未完了者 約六〇,〇〇〇名
その数字が、揺れていた。
これまで一度も揺れたことのなかった数字だった。六の字が、水に溶けるように滲んでは、また戻る。
三好だ、と思った。
元の世界線で、六日間の計画を最後まで疑わなかった男。疑っても、言えなかった男。その男が、六年早く、島に一番近い役所に行く。
それが何を変えるのかは、まだ分からない。
目を覚ますと、スマートフォンに一通のメールが届いていた。
差出人は、経済産業省の早瀬だった。
〈砂川さん
お久しぶりです。早瀬です。
ニュースはご覧になっていると思いますが、国内の自動車メーカー各社が、半導体不足による減産を相次いで発表しています。
机に貼った紙、まだ貼ってあります。
当たりました。
約束どおり、話を聞かせてください。今度は、台湾の工場が止まった場合の話を〉
俺は、そのメールを三回読んだ。
それから、ノートを開いて、ルールの三つ目に従って書き込んだ。
〈三好、沖縄防衛局へ。報告書第九章、避難未完了者の数字に初めて揺れ。
早瀬から連絡。予言が当たった〉
開戦まで、あと二千九百七十八日。




