第8話 止まった工場
六月の初め、局をまたいだ打ち合わせに、急に一つの席が空いた。
感染症の影響で、関係省庁の連絡会議はほとんどがオンラインになっていた。画面に並んだ四角い枠の中で、防衛省の担当者が一人、子どもの発熱で欠席になった。
「砂川くん、代わりに入って。聞いてるだけでいいから」
三好にそう言われて、俺はノートパソコンの前に座った。
会議の名前は、「供給網の強靱化に関する関係省庁連絡会議(実務者)」。
この春、日本中の工場が止まった。中国の工場が操業を止め、部品が届かなくなったからだ。自動車の配線を束ねる部品、家電の基板、医療用のマスクの原料。どれも、それまでは当たり前に届いていたものだった。
経済産業省は、四月の補正予算で、海外に集中していた工場を国内に戻すための補助金を用意した。その制度の運用について、各省庁の意見を聞く会議だった。
議事は、淡々と進んだ。
厚生労働省が医療物資の話をし、農林水産省が食料の話をした。防衛省の番は最後で、俺は「特段の意見はございません」と言うだけの予定だった。
画面の左上で、経済産業省の担当者が資料を共有していた。
若い男だった。たぶん、俺と同じくらいの年次だ。名前の欄には、「経産省 製造産業局 早瀬」と表示されている。
「――以上が、今回の補助金で国内回帰を支援する対象品目の考え方です。基本的には、今回の感染症で実際に供給が途絶えた品目、または途絶えかけた品目を優先しています」
共有された資料の表を、俺は目で追った。
マスク。医療用ガウン。消毒液の原料。自動車の配線部品。電子部品の一部。
半導体は、なかった。
「何か、ご質問は」
議長役の内閣官房の担当者が言った。
画面の中の誰も、口を開かなかった。
俺はミュートを外していた。気づいたときには、外していた。
「防衛省の砂川です。一点だけ、よろしいでしょうか」
画面の四角い枠の中で、何人かがこちらを見た気がした。
「今回の対象品目は、実際に途絶えたものが中心とのことですが。まだ途絶えていないけれど、途絶えたら影響が大きいものは、どう扱う予定でしょうか」
「たとえば、何でしょう」
早瀬が聞き返した。
「半導体です」
画面の向こうで、早瀬が少しだけ首をかしげた。
「半導体は、今回、ほとんど途絶えていません。むしろ在宅勤務の広がりで、パソコンやゲーム機の需要が増えて、供給は伸びています」
「はい。存じています。ただ」
どこまで言っていいのか、考える時間はなかった。
「日本が輸入している半導体の半分近くは、台湾で作られています。特に、自動車や家電の頭脳にあたる部分は、ほとんど台湾に頼っています。中国の工場が止まったときは、配線の部品が届かなくなった。もし台湾の工場が止まったら、あるいは、台湾からの船が来なくなったら」
「……」
「今回の比ではない規模で、工場が止まると思います」
短い沈黙があった。
議長役の担当者が、穏やかに言った。
「ご指摘、ありがとうございます。ただ、本日は感染症への対応が主題ですので、地政学的なリスクについては、別の場で議論させていただければと」
「承知しました。失礼しました」
俺はミュートにした。
画面の隅で、早瀬が何かをメモしているのが見えた。
会議が終わって十分後、課の代表アドレスに一通のメールが届いた。
件名は、「本日の会議でのご発言について」。差出人は、早瀬だった。
〈防衛省 砂川様
本日はご発言ありがとうございました。経産省の早瀬です。
会議の場ではお答えしきれなかったのですが、もう少し詳しくお話を伺えないでしょうか。
正直に申し上げると、私もこの点は気になっていました。ただ、省内で議論するための材料が足りません。もしお時間があれば、三十分ほどオンラインでお話しできれば幸いです〉
翌週の金曜日、夜の八時。
画面の中の早瀬は、ネクタイを外し、背後に段ボール箱の積み上がった部屋に座っていた。
「すみません、こんな時間に。在宅なんですけど、昼間は会議が詰まってて」
「こちらこそ。防衛省も似たようなものです」
早瀬は、二十八歳だと言った。俺より四つ上だ。入省して六年目。中身が三十六歳の俺から見ると、ずいぶん若かった。
「単刀直入に伺います」
早瀬は、画面の向こうで身を乗り出した。
「砂川さんは、台湾の工場が止まるような事態が、近いうちに起きると考えているんですか」
「近いうちかどうかは、分かりません」
嘘だ。九年後の四月二日だと知っている。
「ただ、起きたときの影響を、誰も計算していないことが気になっています」
「計算なら、民間のシンクタンクがいくつか出していますよ。台湾との貿易が止まったら、日本のGDPが一、二パーセント下がる、とか」
「それは、台湾との貿易だけが止まった場合ですよね」
「……と、言うと」
「台湾の周りで何かが起きたら、止まるのは台湾との貿易だけではないと思います。その周りの海を通る船も止まる。保険会社が、その海域を通る船の保険を引き受けなくなる。そうなれば、中東から来る石油やガスのタンカーも、遠回りを始めます」
早瀬は、手元のノートに何かを書きつけた。
「そこまで行くと、もう経済の話じゃなくて」
「はい。戦争の話です」
俺は、はっきりと言った。
「ですから、防衛省の人間が口を出しています」
画面の中の早瀬は、しばらくペンを止めていた。
「砂川さん。一つ、正直に言ってもいいですか」
「どうぞ」
「僕は、その話を省内に上げられません」
早瀬は、困ったように笑った。
「今は、感染症の対策でみんな手一杯です。補助金の制度設計も、来月の締め切りに間に合うかどうか。そこに『台湾で戦争が起きたら』という話を持ち込んだら、変わり者扱いされて終わりです。上司に話しても、『で、それはいつ起きるの?』と聞かれる。答えられません」
「分かります」
分かっていた。奥寺に言われたことと、同じだった。問題だけを言って、答えを持っていない人間は、嫌われる。
「ですので、今すぐ何かを変えてほしいとは言いません」
「……じゃあ」
「一つだけ、予言をさせてください」
早瀬は、目を瞬かせた。
「予言、ですか」
「はい。来年、二〇二一年に、日本の自動車メーカーの工場が、半導体が足りなくて止まります。一社や二社ではなく、ほとんどのメーカーが、減産に追い込まれます」
二〇二一年の、世界的な半導体不足。
これは、報告書には書いていない。ただ、俺は覚えていた。二〇二一年の春、ニュースは毎日のように「半導体不足で減産」と報じていた。当時の俺は、自分の仕事とは関係のない話だと思って聞き流していた。
関係があった。それが、八年後の予行演習だったのだから。
「もし、その予言が外れたら、僕のことは忘れてください」
俺は言った。
「もし当たったら、そのときもう一度、話を聞いてもらえませんか。今度は、台湾の工場が止まった場合の話を」
早瀬は、長いあいだ黙っていた。
画面の向こうで、段ボール箱の山が少しだけ崩れて、早瀬が慌てて片手で押さえた。
「……変な人ですね、砂川さん」
「よく言われます」
「でも、外れてほしいけど、当たる気もします。今、半導体の注文が増えすぎてて、工場の人たちがパンクしかけてるって話は、うちにも来てるので」
早瀬は、ノートの一ページを破り、何かを書いて、カメラに向けた。
〈二〇二一年 自動車 半導体不足で減産 → 当たったら砂川さんの話を聞く〉
「このページ、机に貼っておきます」
「ありがとうございます」
「お礼は、当たってからにしてください」
早瀬は、そう言って笑った。
通話を切ったあと、俺は官舎の暗い部屋でしばらく座っていた。
予言を使ってしまった。ルールの二つ目に、ぎりぎり触れるかもしれない使い方だった。知っている理由は言っていない。ただ、知っていることは言った。
来年、それが当たったとき、早瀬はどう思うだろう。偶然だと思うか。勘がいいと思うか。それとも、何かを疑うか。
その夜の夢で、俺は第八章を開いた。
経済。
台湾からの半導体輸入が止まり、国内の自動車生産は、四月第二週にほぼ全面停止した。
その一行が、わずかに揺れていた。
「四月第二週」の文字が、滲んでは戻り、滲んでは戻る。まるで、まだどちらにするか決めかねているように。
数字は、変わっていなかった。初年度の実質GDP、マイナス十一・八パーセント。
揺れているということは、決まっていないということだ。
鳴海の名前と同じように。
目を覚ますと、梅雨の雨が窓を叩いていた。
俺はノートを開き、ルールの三つ目に従って書き込んだ。
〈六月十九日。早瀬(経産省)に二〇二一年の半導体不足を伝えた。
報告書第八章、自動車生産停止の記述に揺れ。数字の変化なし〉
一年後、早瀬の机に貼られた紙が、何かを変えるかもしれない。
何も変えないかもしれない。
どちらにしても、一年は待たなければならなかった。
開戦まで、あと三千二百九日。




