55 別荘(3)
翌日は、早くに目が醒めた。折角だから、湖畔を散歩しようか。
シュカはまだ眠っているであろうイリスに見つからないようこっそりと部屋を出ると、邸宅の裏手へと向かった。
湖畔は相変わらず碧く澄んでいて、シュカの心を落ち着かせた。
等間隔に置いてあるベンチのひとつに腰を掛ける。
朝陽が遠くの湖面を金色に染めている。
その様子があまりにもうつくしく、シュカは暫し見とれていた。
「わ!」
「……?!」
ぼんやりと湖に見惚れていると、後ろから肩を叩かれた。
「あははは、相変わらずいい反応してくれるね」
シュカはびくりと反応してしまうが、その笑い声で、だれだか把握した。
「……ディー、いちいち驚かさないと気が済まないのですか」
「だって、シュカ君がいい反応をしてくれるものだから、つい悪戯心がうずいてね」
ディーはベンチの背を飛び越え、シュカの隣に腰を落ち着けた。
「今日も走り込みですか?」
「ううん。窓の外を見たらシュカ君が黄昏れてたから、話にきたの」
「早起きなんですね」
「ショートスリーパーだからね」
「そうだったのですか」
もうすぐ一年の付き合いになるが、初めて知る事実だった。
ディーは暫し湖の様子に見とれていたようだったが、ふいに口を開いた。
「今日さ、ふたりで出かけない?」
「……え?」
「デートしようよ」
「…………デート、」
「あはは、なにその反応。かわいい」
「莫迦にしてますか?」
「違う違う! ほんとにかわいいなって思って。だってシュカ君、最近なんだか緊張してるでしょ? オレが近づくと、身体が硬くなる」
聡い彼に気付かれていないことはないと思っていたが、面と向かって指摘されると恥ずかしくなる。
「それは――付き合うという行為がはじめてなのでどうしてよいのかわからなくて」
思わず口ごもってしまう。言い訳のようになってしまったが、事実だ。
「そんなに緊張しなくてもいいのに。いつもどおりでさ」
「そういうわけにもいかないでしょう? 友人とは違うのですから」
「そう? そんなに変わらないと思うけどね」
簡単に云ってくれる。シュカはむくれた。
「恋愛感情はわかりませんが、それが違うことはわかります」
「まあまあ、そんなに気負わないで。ちょっと仲良くなったと思えばさ。だから、デートしよ?」
なにが「だから」なのかはさっぱりわからなかったが、彼がデートをしたがっていることは理解した。
「ユーリはよいのですか。三人でいることを楽しみにしていたでしょう」
「ユーリ君はひさしぶりに芸術に浸りたいらしいよ。あと、あの意味のわからない先進的な小説が意外と売れてるらしくて、編集長に続きをせっつかれてるんだよね。しばらく缶詰になるかも」
「なんと……占いでも、そこまでは予測できませんでした」
ユーリがはじめてシュカの前に姿を現したときのことを思い出す。
彼は、好奇心から学院の占い師の正体を探りにやってきたのだった。
「ふふ、懐かしいですね」
「ほんとにね」
ふわりと風が吹いて、シュカの前髪を揺らしていく。
ディーの手が伸びてきて、乱れたシュカの髪を梳かれた。
シュカはその心地よさに目を瞑る。彼の手は、いつもやさしい。
「……いきなり無防備になられると、こっちもどうしていいのかわからなくなるんだけど」
「え?」
「いや、こっちの話。それじゃあ、朝食を摂ったら街へ下りようか。郊外だけど別荘地だから、意外と栄えてるんだよ」
「はい、楽しみです」
慣れてくれば、いつものディーだ。たしかに、デートだからといって、そう気負う必要はないだろう――そう思ったのだが――
「――オレのために、かわいい恰好してきてね」
ディーは突然シュカの耳元に唇を寄せると、囁いた。
「?!」
シュカは驚いて、思い切り距離を取ってしまう。
「あははは、かわいい」
ディーはにやにやと笑っている。
それがなんともいえず口惜しくて、シュカはディーを横目で睨んだのだった。
朝食を摂り終えると、シュカはクロゼットと向き合っていた。
かわいい恰好――ディーはシュカに、かわいい恰好とやらをお望みのようだったが、持ってきているのはシャツにトラウザーズばかりだ。
さあどうしようか――そのとき、ドアがノックされた。
「イリスです。シュカ様、入ってもよろしいでしょうか」
「はい、どうぞ」
イリスがほかにメイドとともに恭しく入室してくる――大量の衣裳を携えて――
「ナイツェン様とデートをするとうかがいまして。リンドウ様にぴったりのお洋服をご用意いたしました!」
イリスは顔を耀かせている。従っているメイドたちも、やる気に満ちていた。
それからは、虚無の時間が続いた。
あれでもない、これでもない、これがよいのでは――シュカを置いて、かのじょたちは流れるようにシュカの身体に衣裳を当てていく。
「此方、試着してみてください。そのあと此方も」
「このお色もたいへんお似合いですわ、是非此方も!」
「……はい」
シュカは云われるがままに、衣裳の着脱を繰り返した。
ようやく決まったのは、深いグリーンのワンピースだった。ふんわりとふくらんだスリーブと胸元のフリルがたいへんかわいらしい。けれど、色味が落ち着いているからか、子供っぽさはない。
「御髪を失礼いたしますね」
鏡の前に座らされ、イリスに髪をいじられる。そのあいだに、別のメイドによりメイクが施された。
「まあ、リンドウ様、とてもおうつくしいですわ……」
完成したすがたを見て、かのじょたちはほうとため息をついた。
シュカも鏡を見遣るが、つくづく、メイクの力というのはすごいものある。そこには、これからデートにでかける年頃の娘のすがたがあった。
「ありがとうございます。なんとか形になってありがたい限りです」
「そんな――! リンドウ様はもともとおうつくしくていらっしゃるので!」
「そうですわ! ナイツェン様も褒めてくださるにちがいありません!」
メイドたちにフォローさせてしまう。シュカは頭を下げた。
そこで、外から声がかかる。
「ナイツェン様がいらっしゃいました」
はい、とシュカは返事をする。
「がんばってくださいね!」
「いってらっしゃいませ」
イリスをはじめとしたメイドたちは、丁寧にお辞儀をして見送ってくれた。
扉を開けると、めずらしいすがたのディーが佇んでいた。護衛の正装とも違い、誂えたようにぴったりのジャケットを纏っている。
その色は深いグリーンで、意図せずお揃いになってしまった。
一度意識してしまうと、緊張が増す。
「わあ、シュカ君、奇麗だよ」
「――ディーも、よくお似合いですよ」
「お手をどうぞ、お嬢さま」
ディーは微笑みながら、腕を差し出してきた。
今度は、自然に手を添えることができる。
「いってらっしゃいませ」
執事に見送られて、シュカたちは馬車寄せにとまる馬車に乗りこんだ。
「そんなに遠くないから、腰は守られると思うけど」
ディーがシュカの緊張を解すように冗談を云う。
「ふふ、そう願います」
いつもの様子のディーに、シュカの肩の力は自然に抜けた。
街は、たいそう賑わっていた。別荘地だということもあり、貴族が多い。
「ほんとうに人が多いですね」
「ちょうど休暇の時期だしね。はい」
ディーは手を差し出してくる。
「……? なんですか?」
「はぐれないように手、つなごう?」
「……子どもじゃあないのですから」
シュカは渋々手をとった。
「なんてね、デートだからつなぎたかっただけだよ」
ディーが身をかがめて、シュカの耳元で囁く。
「――?!」
あまりに自然な仕草だったため反応が遅れてしまったが、シュカは思わず飛び退きそうになった。けれど、ディーがそうはさせない。手を引くと、おのれの隣にシュカを留めた。
「こーら、人の邪魔になっちゃうよ。はい、行こうか」
普段どおりかと思えば、デートだということを意識させてきて、シュカは完全に翻弄されていた。
「……ディーがモテる理由がわかりました」
「わー褒められちゃった」
「褒めていません。ひとをおちょくるのも大概にしてください」
「本気なのに」
「なお悪いです」
これはあくまで、“ふり”なのだ。あまり心臓に悪いことはしないでほしかった。
「あ、お茶屋さんがある。ちょっと覗いていい?」
「はい」
ふたりは店に足を踏み入れた。店内は壮観だった。高い棚が幾つも並んでおり、そのすべてに茶葉の入ったケースが置いてある。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは。東国の茶葉はある?」
ディーがフランクに話しかけると、店主は此方です、と案内してくれた。
「東国の茶葉は最近人気でして、この棚はすべて東国から輸入したものとなっております」
その量は、百種類以上にも及ぶとか。
シュカは思わず棚を見上げてしまった。
「試飲もできますので、ごゆっくりお楽しみください」
店主が一歩下がる。高級店らしい、心地の良い接客だった。
「あ、これ」
シュカは、ひとつの茶葉に目を惹かれる。
「母上が好んでいたお茶です。ガラスのポットに入れると、花がほころぶように開くんですよ」
「お目が高いですね。そちらは少量しか輸入できず、たいへん希少価値の高い商品となっております」
「リラックス効果のあるお茶はあるかな?」
「それでしたら、此方など――」
シュカが茶葉をひとつひとつ検分しているあいだ、ディーは店主と話し込んでいた。
「それじゃあ、これとこれ、あと、この花が咲くお茶もちょうだい」
「ディー、それは僕が買います」
シュカが手に取ろうとしていた茶葉を攫って、ディーがウインクする。
「いいのいいの。今日はデートなんだから、おごらせてよ」
「――そういうことなら」
デートの作法がわからないため、シュカはディーの云うことに従わざるを得なかった。
店を出ると、ディーはふたたびシュカの手をとる。もはや自然すぎて抵抗する間も与えられなかった。
「次はそうだな、アクセサリーでも見る?」
「あまり興味はありませんが……そうだ、ノエルへのお土産にちょうどいいかもしれませんね」
「ノエルちゃんかあ。お洒落さんだもんね。見てみようか」
そうしてディーは、次々にシュカを店へと導いた。
「お詳しいのですね」
「まあ、三年も通ってればね」
そうだ、彼がユーリの護衛となったのは、中等部に入学してからのことだった。
「あ、あのショーウィンドウのピアス、ノエルちゃんに似合いそうじゃない?」
「わ、奇麗ですね。見てみてもよいですか?」
「勿論」
店員にショーウィンドウのピアスを見せてもらうと、ゴールドにサファイアのあしらわれた、うつくしい蝶を模した一品となっていた。
「これ、ください」
「即決だね。いいの?」
「絶対ノエルに似合います! こんなに素敵なんだから……見るのが楽しみです」
シュカは心の底から笑みを浮かべる。
ノエルのピンク色の髪に、碧いろは映えそうだ。シュカはいまから楽しみになった。
「ありがとうございましたー」
奇麗にラッピングしてもらったピアスを大切に抱え、シュカたちは店を出た。
「ふふ、ノエルの反応が楽しみです」
「そうだね――でも、シュカ君、デート中にあんまりほかのひとの話はしないでね」
「……? 何故ですか?」
「オレが嫉妬しちゃうから」
「――?」
心底意味がわからず首を傾げると、ディーが苦笑していた。
「だってあんなにかわいい笑顔、オレには向けてくれないからさ。ノエルちゃんに嫉妬しちゃったよ」
「……そうなんですか?」
説明を聞いても、いまいち理解が及ばない。デートとは難しいものである――シュカはひとまず、心のなかのメモ帳に書き残しておくことにした。
「もう、シュカ君たら罪作りなんだから」
「ディーのほうがよほど罪深いと思います」
此方を翻弄しようとしてくる仕草は、間違いなく慣れているもののそれだった。これまで、何人のひとを誑かしてきたのだろう。
シュカがその疑問を投げかけると、ディーは慌てたように首を横に振った。
「誑かすだなんて! みんなに気分良くデートしてもらおうとがんばってるだけなのに!」
「なるほど……とりあえず一人や二人ではないことはわかりました」
「……鎌をかけたね?」
「ふふ、ディーのことが知れていい気分です」
「それでいい気分になられても……」
ディーは心なしかへこんだ様子で手を握りしめてきた。
その手はあたたかく、慣れればシュカを安心させた。




