56 別荘(4)
「そろそろお茶にしようか。こっちにいいカフェがあるんだ」
ディーの先導で歩いて行くと、路地裏にひっそりと佇むカフェがあった。
前にノエルに案内してもらった店に雰囲気が似ていて、それを口に出そうとしたけれど、ひとの話は御法度なのだった、と気づいたシュカは口を閉ざした。
看板も出ておらず、なんの店なのかわからない。けれどディーは、躊躇うことなく扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
「ひさしぶり、マスター」
「あれ、ディー君。今日はユーリ君といっしょじゃないんだね」
「ユーリ君は忙しくて。代わりに恋人、つれてきたんだ」
さらりと云うディーに、マスターは興味津々といった視線を送ってくる。シュカは恋人という響きが慣れず、俯いてしまった。
「恥ずかしがり屋さんなんだ。あんまり見ないであげて」
「ああ、失礼しました。お好きな席へどうぞ」
店はこぢんまりとしていて、カウンターが五席に、テーブル席が四席ほどのちいさな造りだった。
ディーは、いちばん奥のテーブル席に腰をおろす。
「カウンターでなくてよいのですか? マスターさんと積もる話もあるのでは?」
「今日はシュカ君と交流を深めにきたんだから、いいのいいの。それに、お店に入るときはいちばん奥の席に座るのが基本だよ。周りが見渡しやすくて、不審者にもすぐに気づける」
「なるほど」
護衛としての彼の顔が垣間見えるようだった。
「ケーキと珈琲が美味しいんだ。でも、シュカ君は紅茶のほうがすきかな?」
「そうですね、珈琲はあまり飲んだことがなくて」
独特の苦みが舌に残る珈琲は、じつはそこまで得意ではなかった。
「おっけー。それなら、この紅茶とかおすすめかな。ほかの店じゃ滅多に見ないやつだよ。ケーキはどれがいい?」
「いちごのタルトにします」
「いいね。オレは珈琲とガトーショコラにしようかな」
ディーがマスターに注文すると、まもなく紅茶と珈琲、ケーキが運ばれてきた。
ディーは珈琲にミルクもシュガーも入れず、そのまま口に含んだ。それで満足げな表情をしているから、じつは珈琲派だったのだろう。寮のユーリの部屋には紅茶しか用意されていないものだから、気付かなかった。
シュカはそんなことを思いながら、カップに口をつけた。
「――美味しい」
「でしょ? マスターの腕は一流なんだ」
ディーは自分のことのように得意げに胸を張る。けれど、それはほんとうだった。
シュカが淹れても、この味は出せないだろう。
続けて、いちごのタルトを口にすると、これもまた絶品だった。
「すごく美味しいです」
「よかった」
「ひとくち食べますか?」
「――え、」
しまった。ノエルと分け合って食べることが癖になっていて、つい提案してしまったが、本来行儀が悪いことだろう。
「すみません、お行儀が悪かったですね」
「――ううん、それじゃあ、もらおうかな」
「いいですよ。はい、あーん」
「……シュカ君」
「なんですか?」
シュカは、一口分のタルトをフォークに取って、ディーのほうへと差し出した。けれど、彼は半眼になるだけで、手をつけようとしない。
食べないのだろうか。
ディーは暫しなにかを葛藤していたようだったが、やがてすべてを諦めたかのようにぱくりとタルトを口にした。
「うん、おいしい。こっちのもいる?」
「お腹がいっぱいになりそうなので大丈夫です」
「そう、よかったよ……」
その後、ディーは黙々とケーキを食べ進めていた。
「そういえば、珈琲のほうがお好きだったのですね」
シュカが先ほど考えていたことを話題に出すと、ディーは動きを止めた。
「……なんでそう思ったの?」
「珈琲を口にしたとき、なんだかしあわせそうな顔をしていたので。普段はユーリに合わせて紅茶を飲んでいたんですか?」
「――あちゃーばれちゃった。ユーリ君には内緒にしておいてくれる?」
「別にばれても問題ないのでは?」
「そうなんだけどさ。ローレヒ王国では貴族のたしなみといえば紅茶だから。珈琲は労働者の飲み物ってイメージが強いんだよね」
「そうなのですか。わかりました」
ユーリの護衛として、合わせる必要があるのだろう。彼の気苦労を知って、シュカは素直に頷いたのだった。
カフェを出ると、街がいっそう活気づいていた。時刻は午すぎだ。青空の広がる街を散策したい者たちも多いのだろう。
「ケーキでお腹いっぱい? お昼ご飯はなしでいいかな?」
「僕は大丈夫ですが、ディーが食べたいのなら付き合います」
「いいよいいよ、オレのことは気にしないで。実を云うと、このへん高級レストランしかないから肩が凝るんだよね」
ディーが心底げんなりした様子を見せるから、シュカはくすりと笑ってしまった。
「そんなに上等なジャケットを着ておいて、なにを云っているのですか」
「あ、やっぱりわかる? ユーリ君が、デートならお洒落をしなきゃいけないって、昔オーダーメイドさせられたジャケットを引っ張り出してきたんだよね」
「よくお似合いですよ。髪の色と合っています」
ディーの緑色の髪と、深いグリーンのジャケットは、実際よく合っていた。
「もしかして今日のワンピースの色、揃えてくれたの?」
「そうなのかもしれませんね。僕はイリスさんの云われるがままに試着していたのでなんとも云えませんが」
「そういうときは、ディーのためにお揃いにしたんですよ、って云うものだよ」
「……それはなんだか癪ですね」
「うん、シュカ君は云わないだろうね」
ふたりは顔を見合わせて、吹き出してしまった。
「んー」
そこで、適当にメインストリートを歩いていたように見えたディーが声を上げる。
「どうしました?」
シュカが彼の顔を見上げると、なにやら口の端を上げて悪巧みしている顔をしている。
「尾行されてるね」
「えっ!」
「ああ、振り向かないで。そのまま、そう」
「……いつから?」
「実は最初から。安心してよ。敵意は感じないし、たぶんギルバート様あたりの差し金じゃないかな」
「ギルバートさんの?」
「ほんとうにオレたちが恋人同士なのか、疑ってるんじゃないかな」
「なんと……」
シュカは言葉が出なかった。
「ちょっと牽制してみる?」
「え?」
ディーは楽しげにウインクすると、シュカの手を引いて路地裏へと入っていった。
「ディー、なにを――」
しばらく歩いたところに、荷かごが積まれている。その影に隠れるように、ディーはシュカを壁際に導いた。
「動かないでね?」
「え――」
そのとき、ディーの手がシュカの肩へと伸びてきた。その手はそのままシュカを通り越し、壁につかれる。軽くその腕を曲げると、ディーはシュカとの距離を詰めた。
「……近いです」
「ふっ、緊張してる?」
シュカの耳元に唇を寄せて、ディーがふっと笑う。吐息が耳朶にかかって、シュカの背筋は震えた。
「悪ふざけも大概にしてください」
「ははっ、あれ、尾行してるひとたち目を逸らしちゃったよ。そんなにきわどいことしてるわけじゃないのにねぇ?」
「充分目に悪いです」
「ハグは普通にするのに、こういうのはだめなの?」
「親愛のハグとは違うでしょう?」
「親愛だよ、親愛」
「嘘」
シュカは若干目を逸らしつつ、間近に迫るディーの瞳を見る。
その目は笑っていて、悪ふざけが成功した子供のような顔をしていた。
「でも、貴方の瞳の色は、すきですよ。夜空みたいで。こんなに近くで見られて、いい気分です」
「……口説かれちゃった」
「口説いてないです」
今度はディーがやや目を逸らしている。
「……もしかして、照れてます?」
「もう、シュカ君、突然素直になるからさあ」
「ふふ、かわいい」
「――もう」
ディーはゆっくりと離れていった。
「あはっ、尾行のひとたちいなくなっちゃった」
「悪戯するからですよ」
「んーでもこれで、ギルバート様に言い寄られることも少なくなるんじゃないかな」
「そうなることを願います」
こんなに身体を張ったのだ。効果がなくては困る。
「それじゃあ、ユーリ君のお土産でも探しに行こうか」
「そうですね」
ディーが手を取ってくるが、シュカはいい加減慣れたのだった。
ユーリには、うつくしい翡翠色のインクとクッキーを買った。
「お揃いってね」
ディーは満足そうにしている。やはり、ユーリと離れているのがさみしいのだろう。
「ほんとうに、仲がよいですね」
「もうね、家族みたいなものって云われちゃったしね」
「家族……」
シュカは、一般的な家族というものとは縁遠い。母とメイドのソフィアがたったふたりだけの家族だった。
「オレね、家族がいなくて」
そこで、ディーが語りだす。
「物心ついたときから施設で育ったからさ、家族ができるなんて思ってもいなかったな」
ディーが自分の話をすることは滅多にない。その横顔はしあわせそうで、シュカは微笑んでしまった。
「おふたりは、兄弟みたいですよ」
「ほんとに? たしかにユーリ君は弟みたいだなあ。それを云ったら、シュカ君は妹かも」
「僕も入っているのですか?」
「末っ子かなあ」
「ユーリよりはおとなだと思うのですが」
「そこはほら、手の掛かるお兄ちゃんってことで」
「ふふっ、兄上と呼ばなければなりませんね」
「帰ったら呼んであげなよ。きっと喜ぶ」
ふたりはその様子を想像して、笑ってしまった。
「そろそろ帰ろうか。ユーリ君が休憩してるころだろうから」
「そうですね」
執筆は進んだだろうか。占いでしか知らない彼の小説を読んでみるのもよいかもしれない。
帰りの馬車は、すでに到着していた。ディーが言付けていたのだろう。
そんなところまで完璧なエスコートだった。
「シュカ君、疲れてない?」
「ええ、大丈夫です。楽しい一日でした」
「それはよかった。オレも楽しかったよ。またデートしようね」
「考えておきます」
そうは云っても、ディーは護衛という立場上、なかなかユーリの傍を離れることができないため、ふたりで出かけられるのは休暇中が中心となるだろう。
けれど、そのふたりきりの外出にも、どことなく物足りなさがあった。
「やっぱり、ユーリと三人がしっくりきますね」
「そうだねぇ。いつのまにか、三人でいるのが当たり前になっちゃったもんね」
「今度はユーリも誘ってデートしましょう」
「それはデートなのかな? まあ、楽しそうだけど」
「ふふ、ディーの隣には、ユーリがしっくりきます」
「うーん、うれしいけど複雑な気分」
ディーがこつんと窓に額を当てる。街を離れるにつれ、緑が多くなってきた。
その様子が妙に絵になっていて、シュカはまなうらに灼きつけるようにディーすがたを眺めていた。
「おかえり、楽しかったかい?」
「はい。これ、お土産です」
帰ると、ユーリが休憩しているところだった。ディーの読みは当たったようだ。
「この店のクッキー、すきなんだ。ありがとう。此方は――インクだね。奇麗な色だ」
「ディーがお揃いでよろこんでいましたよ」
「シュカ君、それは云わなくていいから!」
「ははっ、ほんとうだ。私も仲間に入れてくれてうれしいよ」
ディーとシュカの装いを見て、ユーリはうれしそうに頰をゆるめた。
「今度は三人で出かけましょう。執筆の進捗はどうですか?」
「……それは聞かないでくれ」
ユーリは途端に眉根を寄せ、難しそうな顔になる。行き詰まっているのだろう。
「明日は気分転換に絵を描きたいな。よければシュカもいっしょにどうだい? 天気がよければ湖を描こう!」
「偶にはいいかもしれませんね」
絵を描くのは、離宮にいたとき以来だ。教育の一環で習った程度なので腕がよいわけではないが、息抜きになりそうだった。
「オレは見学させてもらいまーす。ユーリ君の傑作の横になんてとてもとても並べられないからね」
「ディーの絵も、私はすきだけれど」
「はいはい、ありがとね。シュカ君の絵も楽しみだな」
「ひさしぶりなので、そこまで期待しないでください」
その日は、外出の土産話とともに長い夜を過ごした。




