53 別荘(1)
「別荘?」
候補生の研修から帰ってきた翌朝、ユーリとディーがシュカの部屋を訪ねてきた。
「そうだ。郊外に別荘があって、よければそこで休暇を過ごさないかと思って。シュカも誘いたくて待っていたんだ」
ユーリが目を輝かせて提案する。
「湖畔もあっていいところだよ。シュカ君、湖すきだよね」
何故ばれているのだろう。シュカが思わずディーの顔を見遣ると、ディーは破顔した。
「だってシュカ君、困りごとがあるといつも寮の湖を眺めてるじゃない。余程すきなんだろうなって」
なるほど。たしかに、彼には湖の前で黄昏れているところをたびたび見られていたのだった。
「離宮に湖があって、それがとても奇麗だったので――」
「なるほど。思い出の湖なんだな。ボートに乗ろう! きっと楽しい」
「釣りもしようね」
ふたりは嬉々として休暇の予定を話し合っていた。
「それじゃあ、三日後に出発ということでいいかい? 一ヶ月ほど滞在できればと思うのだが」
「僕もそんなに滞在してもよろしいのですか? 普通は家族水入らずを楽しむものでは?」
「姉上も兄上もそんなに休暇を楽しまないタイプだし、エリーゼは首都が好きなようだから問題ないよ! シュカには息抜きが必要だからな」
「そうだよ、シュカ君。たまには羽を伸ばさないと!」
「たいていのものは揃っているから、荷物はそこまで多くなくていいはずだ」
「わかりました。お言葉に甘えます」
そうして一行は、別荘に滞在することとなったのだった。
別荘へは、首都から四時間ほどで到着した。風の魔術のかかった馬車で快適な旅だった。
「……これが、別荘……」
シュカは、その邸宅を見上げ唖然としていた。なんなら、自分の住んでいた離宮よりも大きいのではないだろうか――
「そこの森では木の実がよく採れて楽しいよ。湖は、建物の裏手に広がっている。あとで見にいこう。あっちは賓客用の棟だけど、是非同じ本館に泊まれたらうれしいな。またカードゲームをして夜を過ごそう!」
ユーリは楽しそうに指折り数えている。
「いつもディーと遊ぶだけだったから、シュカが来てくれてうれしいよ」
「えー、ユーリ君、オレだけじゃ不満だったってこと?」
「そんなことはない。ふたりでも楽しいけれど、三人だともっと楽しいという話だ!」
「もう、ユーリ君たら、相変わらずひとたらしなんだから」
ディーがユーリの背を叩くと、ユーリはうれしそうに笑った。
最近、ユーリの笑顔が見られるようになってきた。長年笑わなかった彼の表情筋はなかなか機能しづらいようで、まだまだぎこちなさは残るものの、心の底から喜んでくれているようで、その顔を見ると、シュカの心はあたたまった。
「おかえりなさいませ、ユリウス様。ナイツェン様と、リンドウ様も、ようこそお越しくださいました」
執事長という男が、執事とメイドを引き連れて挨拶に出てきた。総出での迎えに、ユーリはまた顔を顰めている。
「だから仰々しい迎えはすきではないと――」
「ユリウス様、もっとお越しいただいて構わないのですよ。従業員一同、みなさまのお世話をしたくて仕様がなく思っておりまして」
「是非姉上と兄上に云ってもらいたいものだな。それじゃあ一ヶ月、よろしく頼む」
シュカのもとに、ひとりのメイドが近づいてくる。その顔に、見覚えがあった。
「……アイリスさん?」
別邸でシュカの世話をしてくれたかのじょに見えたのだ。
けれど、その言葉を聞いて、かのじょは控えめに笑う。
「わたくし、アイリスの双子の姉でイリスと申します。リンドウ様のお世話を担当させていただきますね。どうぞよろしくお願いいたします」
「そうだったのですね。よろしくお願いします」
トランクケースを自然に奪われる。本を大量に詰めてきたため重い筈だったが、かのじょは顔色を変えず此方です、と案内をはじめたのだった。
シュカの滞在する部屋は、湖に面していた。
「わあ……」
広い窓の外には、碧く澄んだ湖が広がっていて、シュカは思わず歓声を上げた。
「特別眺めのよい部屋をとのことだったので、此方をご用意させていただきました。あ、このことは内緒なのでした。ユリウス様には知らぬふりをして差し上げてください」
「そうなのですね。ありがとうございます」
イリスはお茶目なメイドのようだった。
「それでは、なにか御用があればいつでもお呼び
ください。失礼いたしますね」
適度に放っておいてくれるところは、アイリスと同じだった。その距離感に、シュカは救われる。一ヶ月という長期間の滞在に、やや不安を覚えていたが、安心して滞在できそうだった。
「シュカ、準備ができたら湖に出よう!」
扉の外から、ユーリが声をかけてくる。
「はい、いま行きます」
シュカは荷解きを後回しにし、外へ出ることにした。
ドアを開けると、ディーも合流したところだった。
「みんな同じ階だから、なにかあったら声かけてよ」
ユーリとディーは同じ階の部屋に滞在しているらしく、安心できた。
湖畔に出ると、清涼な空気が流れていて、シュカは思わず深呼吸してしまった。
碧碧とした水面が何処までも広がっていて、陽の光が反射している様子が眩しい。
「――とても素敵です」
シュカが思わず感嘆の声を漏らすと、ふたりは微笑ましいものを見るような目でシュカを見遣った。
「よろこんでくれてよかったよ。ボートはあっちだ」
「オレが漕ぐから安心してね」
ふたりはしっかりと釣り道具を持ちつつ、大きめのボートに乗り込んだ。はじめは不安定なボートの動きにへりから手をを離せなかったシュカだが、ディーの手慣れた様子が、不安を払拭した。
「ボートにはまだ慣れないか」
「そうですね。独特の浮遊感がこわくて……でも、水面の上にいるのだと思うと、不思議な心地がします」
「ふふ、楽しんでくれ」
そこで、魚が一匹水面から跳ねた。
「わ!」
水飛沫が飛んできて、顔にかかる。
「大丈夫かい、シュカ」
「ええ――はは、つめたくて、気持ちいいです」
シュカは妙に可笑しくて、頰を拭いながら笑ってしまった。
「シュカが楽しそうだとうれしくなるよ」
ユーリが頬杖をついて目を細める。
「あー、ユーリ君。シュカ君はいまオレの恋人なんだから、あんまり口説かないでね?」
「そうだった、気をつけるよ」
「そういえばそういう設定でしたね」
「忘れてたの?」
ディーがシュカのほうへ身を乗り出してくる。
「こーんな色男つかまえておいて、罪深いね」
「そうですよね、ディーはモテるのでした。好きな方ができたら別れるのでちゃんと教えてくださいね」
「んー特定のひとは作らないつもりだし、問題ないよ」
ディーがさわやかに笑うが、それはつまり不特定多数のひとびとと遊んでいるという意味だろうか。
「遊ぶならうまくやってくださいね。流石に浮気が見つかると面倒なことになりそうです」
「ひどい! シュカ君がいるのに遊んだりしないよ!」
「そうですか? 僕は気にしませんが……」
「いや、気にしようよ」
「一般人でも複数人で婚姻することもあるのでしょう? 興味深い文化ですね」
「シュカ、そういうのもあるけれど、大抵は貴族が中心で、庶民のあいだでは一対一の婚姻が主流らしい」
「へえ、そこに違いが出るのですか。おもしろいですね」
「完全にお勉強モードじゃん。もう、オレ浮気しないから!」
「勿論、ディーのことは信じているからな」
「ユーリ君……!」
「全然いいのに。義理が堅いのですね」
「シュカ君……どれだけ信用ないの……」
ユーリの言葉に感動していたディーは、一方のシュカの発言に項垂れる。
「ふふ、冗談ですよ。ディーのことは信頼しているのでご安心ください」
「もう、信じてよね。っと、此処らへんで釣りする?」
「そうだな、今日は風もないし釣り日和だ」
ボートを止めると、ふたりはいそいそと釣りの準備をはじめた。
「シュカ君もやってみる?」
「そうですね、折角なので」
ディーに釣り道具を渡された。
「餌はこれね、引かれたなって思ったら巻き上げる! 餌だけとられないように注意するってところかな」
「なるほど……やってみます」
シュカは見よう見真似で釣り糸を垂らした。
静かな時間が流れていく。
こんなにも穏やかな時間を過ごしたのはどれくらいぶりだろう。暫く試験にプロムに忙しかったため、その疲れが癒やされていくようだ。
「お、一番乗り~」
思考を巡らせているうちに、ディーが釣り上げたようだ。
「む、私も負けないぞ」
ほぼ同時に、ユーリも竿を引く。
一方のシュカはというと、なんとなく竿を引かれた気がしたので巻き上げてみたら――餌だけとられていたのだった。
「……釣り、難しいですね」
「はは、最初はそんなもんだよ」
「シュカにもできないことがあるんだな。なんだか新鮮だ」
「僕をなんだと思って――!」
「お、引かれてる? がんばれがんばれ」
糸を巻き取ろうとするが、強く引っ張られているため、なかなか手こずる。
そうしていると、ディーが後ろ側からシュカを抱き込んだ。
「手伝おうか? おお、結構大物かも」
ふたりの手が重なり、ディーの大きな手から熱が伝わってくる。
気軽にハグはするのに、こうした状況になると、途端にシュカはどうしてよいかわからなくなる。
この密着具合は、男女としてよいのか?
けれど、いまは付き合っているのだった。それならば問題ないのか――
意識を飛ばしているうちに、ほとんどディーの力で魚を釣り上げた。
「お、大きいな!」
ユーリがはしゃいでいる。
「すみません、結局なにもお役に立てず」
「いやいや、はじめてにしては上出来じゃない?」
シュカが項垂れると、ディーはシュカの頭を撫ぜた。
そんなのいつものことなのに、付き合っているとなると途端に意識してしまう。
シュカはふいと目を逸らした。
そんなこんなで、三人は釣りを楽しんだ。
大量に捕れた魚は、今夜の夕食になるらしい。
ユーリが氷を出してボックスで冷やしておく。
「さあて、満喫したし、そろそろ戻ろうか」
そうして湖畔に戻ろうとすると、反対側から一隻のボートが近づいてくるのがわかった。
ディーとユーリは警戒した様子でそちらを見遣る。
けれど、警戒はすぐに友好に変わった。
「ギル!」
「ユーリ君じゃないか!」
そこには、いまはあまり見たくなかった顔――ギルバートの姿があった。
「そういえば、ボクたちの別荘地は隣り合っていたよね」
「ああ、忘れていたよ」
「おや、そこにいるのは、シュカ君? なんてことだ! 運命の女神のお導きだね」
「偶然です」
ボートから身を乗り出すギルバートの様子に、後ろに控える護衛が慌てている。
「よかったらお茶でもいかがかな? 勿論ユーリ君たちもいっしょに」
「ああ、積もる話もあることだし、是非!」
ユーリはひさびさに会えた友人にうれしさを隠しきれない様子で約束を交わしている。
けれどシュカは、顔色を悪くする一方だった。
「また連絡するよ。それじゃあね」
ギルバートのボートは、遠ざかっていった。
「……ユーリ、なに約束しているんですか」
「え? だってひさびさの再会で――って、ああ! そういえばシュカは彼に困っていたんだったね。すまない、忘れていた……」
しょんぼりと肩を落とすユーリに、シュカはそれ以上強く云うことができなかった。
「まあ、お茶くらいならいいんじゃない? ついでにオレたちが付き合ってることも宣言してこようよ」
「なるほど、いいアイディアだね」
「そううまくいきますかね……」
楽観的なふたりを前に、シュカは不安を募らせたのだった。




