48 決意(1)
三日間、シュカは医務室で過ごした。ようやく自室に戻る許可を与えられたのは、四日目の朝のことだった。
「後遺症が残る可能性があります。なにか違和感を覚えたらすぐに医務室へ来るように」
「わかりました。お世話になりました」
シュカは丁寧に頭を下げると、医務室を出た。
この三日間、シュカは考えていた。
自分さえいなければ、母は国に帰っていまでも笑っていたのではないか。メイドのソフィアだって、死なずに済んだ。
――アマネが妬みに囚われ、犯罪に手を染めることはなかった。
すべて、シュカがいたから起こった悲劇なのだ。自分は、周りを不幸にする。それは、これからだって起こりうることだ――ユーリたちが自分のせいで不幸になったら、シュカは今度こそ耐えられないだろう。
校舎の外へ出ると、澄み渡った青空が広がっていた。燦々と降り注ぐ太陽が眩しい。夏が、やってくる。
国に、帰ろう――
すべては、夢だったのだ。幸福で、甘美な、夢。自分には分不相応な、あまいあまい夢だった。
セレン帝国で教会の司祭となり、ひとびとのためにつくそう。それが、シュカの贖罪の道だ。
部屋に戻ると、先ずはシャワーを浴びた。
やるべきことはたくさんある。宮廷魔術師候補を辞退し、退学届を出し、世話になったひとたちに挨拶回りをする。ああ、司祭様に手紙も出さなければならない。また元いた教会に戻ることはできるだろうか――
ユーリたちはなんと云うだろう。きっと引き留められる。けれど、絆されてはいけない。彼らの幸福のために、自分は身を引かなければならないのだ。
シュカは、鏡を見る。そこに映る自分の顔に、どきりと鼓動を跳ねさせた。
そこには、何故だか泣き出しそうな表情をした己の姿があった。
いつのまに、こんなに感情を殺すのが下手になったのだろう。なにがあっても常に微笑みを絶やさず――そうやって生きてきた筈なのに――
――トントン。
控えめなノックの音が聞こえる。だれだろうか。表情を作ると、シュカは静かに扉を開けた。
「シュカ君、調子はどう? 医務室に行ったらもう自室に戻ったって聞いたからさ」
ディーがいつもどおりの笑顔で佇んでいた。
シュカも、微笑みを返す。
「もうすっかりよくなりました。ご心配をおかけしました」
「……、ちょっと話があるんだけど、中に入ってもいいかな?」
「……どうぞ」
ディーの表情は読みがたいところがある。いったい、話とはなんだろうか。鋭い彼のことだ、もしかすると、シュカの決意を見抜いている可能性もあった。
シュカは緊張しながらも、彼をソファへ案内する。対面で話す勇気がなかったため、二人がけのソファに横並びに座った。
「――シュカ君、もしかして、国に戻るつもりだったりしない?」
ディーは、前置きなしに直球に訊ねてきた。
その言葉に、シュカははっと息を呑む。それだけで、聡い彼には伝わったようだった。
「やっぱりね。そういう思考回路になるんじゃないかって思ったよ。それで、教会の司祭様にでもなるつもりかな?」
ディーの声は、あくまで穏やかだ。此方を責めるようなこともなく――淡々と、事実を確認している。
「……そうですね。そうするのが最善だと、思っています」
「周りの人間を不幸にするから?」
「――ええ」
「それ、すごく傲慢な考え方だと思わない?」
唐突に、ディーがシュカの顔を覗き込んでくる。
「え?」
彼の瞳に自分の顔が映っているのがわかる距離で、ディーはまっすぐに此方を見つめてくる。
「オレたち、これでも自分の意志で自分の人生を歩んでいるつもりだよ。なにが幸福かは、自分で決める。それは決して、他人に判断されるようなものじゃない」
「……」
ディーの言葉に、シュカは俯く。
傲慢、なのだろうか――たしかに、彼らには彼らの人生がある。それに影響を及ぼしてしまうなどという考えは、愚かなのかもしれない。
けれど、シュカは知ってしまった。ひとは、ひととの交わりにより、かたちを変えることもあるのだと――
「ユーリ君と、もう一度話してあげてくれないかな」
「……勿論、お世話になったのですから、挨拶には伺うつもりです」
「そのまえに、きちんとユーリ君自身に向き合ってあげてほしい」
「……わかりました」
ディーがなにを云わんとしているのか、いまいち理解できない。けれど、ユーリには別れの挨拶をしにいくつもりだった。なんにせよ、向き合うことにはなるだろう。
「よし、それじゃあ、行こうか」
「え?」
「どうせ話をするんだから、いまでもいいでしょ?」
ディーが、強引にシュカの手を取る。心の準備をさせてほしかったが、彼の手を振りほどくことができず、シュカはユーリの部屋を訪れることとなった。
「ユーリ君、シュカ君つれてきたよ」
「シュカ! 調子はどうだい? 顔色は悪くないようだけれど……」
「はい、おかげさまで問題ありません。ご迷惑をおかけしました」
「迷惑だなんて思っていないよ。ソファへどうぞ。いまお茶を淹れる」
「オレがやるよ」
ディーが簡易キッチンで湯を沸かしはじめる。
ユーリは、シュカをソファへと案内した。
ユーリが取り寄せたというこのソファは、座り心地がたいへんよい。これともお別れなのかと思うと、すこしさみしさを感じた。
「ユーリ、これまでたいへんお世話になりました」
「……え?」
「国へ、帰ろうと思います」
シュカの言葉に、ユーリは目を見開く。暫し固まっていたようだったが、紅茶が運ばれてきたところでようやく動き出した。
「ちょっと待ってくれ。それは、決定事項なのかい? いったい、何故急に……」
「そうですね、もう決めたことです。自分は、此処にいるべきではないからです」
ユーリは、口を開けるが、言葉が出てこないようだった。
「――はい、ストップ。とりあえずふたりとも、お茶でも飲んで落ち着こうね」
そこで、ディーが割って入ってきた。シュカの対面――ユーリの隣に座ると、カップを手に取る。シュカは、それに倣った。ディーは相変わらず、お茶を淹れるのがうまい。
「美味しいですね」
シュカが微笑むと、ディーはなんとも云えぬ表情をした。
「さっきも云ったけど、シュカ君のその考え方は傲慢だと思う。シュカ君のせいでオレたちが不幸になるだなんて、決めつけないでほしいな」
「けれど、ひとがひとを変えることもある。それを教えてくれたのは、貴方たちです」
シュカの言に、沈黙が落ちる。
暫くして、ユーリもまた口を開いた。
「――シュカ、前にも云ったとおり、私はシュカと友人でいられて、幸せだよ。もしそれで不幸なことが起こったとしても、それはシュカのせいじゃない。私の選択の結果だ」
「けれど――」
反論しようとしたシュカの手を、ユーリはテーブル越しに強引に取った。
「君から見て、私はそんなに頼りないかい? 弱い人間に見えるかい?」
「それは――」
「きちんと、私を見てほしい。君の想像のなかのユーリではなく、いま目の前にいる私を」
「――!」
はっと、シュカは息を呑んだ。
きちんとユーリ君自身に向き合ってあげてほしい――そう云ったディーの言葉の意味が、ようやくわかった。
自分は、ユーリのことを考えているようで、実際は、現実にいる彼のことを無視していた。彼の心のうちを、考えていなかった。
ユーリの手は、あたたかい。熱いくらいだ。
その手は逃がさないとばかりに強く握られていて、シュカはどうしようもなく泣きたくなった。
「……すみませんでした。僕は貴方を、見ていなかった」
掠れた声がちいさく響く。
目の前のユーリは、視線を逸らさない。その瞳に宿る光は――意志は、あいかわらず強くて、眩しいくらいだ。
シュカはそれ以上その目を直視できなくて、俯いた。
「シュカ、何度でも云う。私は、君といられて、幸せだよ。シュカは? 君はどう思っている?」
また難しいことを問いかけてくる。答えなど、わかりきっているというのに――
「……」
いいのだろうか。こんな自分が、彼の手を、握り返しても――
「シュカ」
彼の声は、どこまでも真摯だ。やわらかなテノールが、シュカの心をとらえる。
「……ぼく、は」
唇が震える。こわくて、堪らない。
ふと、視線を上げると、ユーリの菫色の瞳が此方を一心に見つめていた。
その瞬間、シュカの涙腺は決壊した。
あたたかな涙が、頰を伝っていく。
「――僕は、しあわせです。貴方たちといられて、どうしようもなくしあわせなんです」
嗚咽を噛み殺して、シュカは必死に言葉を紡ぐ。ユーリがテーブルを回ってきて、シュカの頰に手を沿わせた。
「ありがとう。そう云ってもらえて、うれしいよ。いっしょにいよう? シュカ、私は、君の隣にずっといたいよ」
「……僕もです」
次々に溢れでる涙を、ユーリは飽くことなく拭ってくれる。
気付けば、ユーリの目からも涙が零れでていた。
「……なんで貴方まで泣いているんですか」
「あれ、おかしいな。なんだか、うれしくて……」
そうして、ユーリは笑った。
「……!」
はじめて見る彼の笑顔は、太陽のように眩しかった。
母親が亡くなってから笑えなくなっていたというユーリは、シュカの眼前でしあわせそうに微笑んでいる。
シュカもまた、微笑みを浮かべていた。
「一件落着だね」
対面から見守っていたディーは、ひとり優雅に紅茶を嗜んでいる。
「ディー、君も加わってくれてもいいんじゃないかい」
「いやあ、なんだか宗教画みたいにうつくしい光景だから割って入れなくてさ。でも、ユーリ君の笑顔が見られてよかったな」
ディーは頬杖をついて、やさしげな表情で此方を見遣る。
「ディー」
シュカはそんな彼に向けて手を広げた。
「え?」
「こっち、来てください」
「……酔って――ないよね?」
唖然とするディーがおかしくて、シュカはくすりと笑った。
「はやく」
ディーはやや動揺しながらも、腰を上げる。
そうして、シュカの腕の中に収まった。
そろそろと背に手を回してくるのがおもしろくて、シュカはまたくすくす笑う。
「なんでそんなに遠慮がちなんですか」
「だってシュカ君――はあ、なんでもないよ」
すると、ディーは諦めたのか、ぎゅうとシュカを抱きしめた。
「オレも、ユーリ君とシュカ君といられてしあわせだよ。もういなくなるなんて云わないでね」
「はい。此処に、います」
後ろから、ユーリも抱きついてきて、三人はぎゅうぎゅうになって暫く体温を共有していた。




