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31 光(1)

 母の墓参りを終え、シュカは学院へと戻った。

 あのあとは、馬車に乗せられ、国境近くの街まで送られた。それで、仕舞いだった。

 シュカは未だ混乱する頭を抱えながら、セレン帝国を去ることとなった。

 後見人の司祭に事前に挨拶に伺ってもよいかと手紙を出していたが、学業を優先するようにと断られていた。もう国に、用はなかった。

 行きはあんなに長く感じられたというのに、帰りの道のりは一瞬だった。

 馬車移動で疲労した身体を引き摺って寮へと戻ったのは、休暇最終日の夕方のことだ。

 最終日ともなればみな寮へと舞い戻っている筈だったが――いまは、だれにも会いたくなかった。

 シュカは部屋へと直行し、ベッドにもぐりこむ。なにも考えたくない。すべてを忘れて、眠ってしまいたかった――


 朝は平等に訪れる――だれのもとにも。

 ひさしぶりに薬を使わずに眠ったシュカは、泥のような眠りから浮上した。悪夢のひとつも見なかった。

 それなのに、気分は最低だった。

 のろのろと起き上がると、まだ起床時間前だったが、制服に着替えて外を歩くことにした。

 日の出まではあと一時間ほどだろうか――外の空気は澄明で、本日の天気は快晴であることが察せられる空が広がっていた。

 シュカは寮の敷地内にある池の前に置かれるベンチに腰を下ろす。

 どことなく、離宮の湖を思い起こさせて、シュカの心は凪いでいった。

 ぼうっとその光景を眺めていると、後ろから、「わっ」と声が上がった。

 思わずびくりと反応してしまうシュカの耳に、笑い声が響く。

「あははは、シュカ君発見! ひさしぶり~元気だった?」

 ベンチの後ろから声を掛けてきたのは、ディーだった。

 動きやすそうな服を纏っていて、頰が上気している。運動していたのだろうか。

「……驚かせないでください」

「ごめんごめん。なんか黄昏れてるなと思って。オレはすっかり鈍った身体を動かしてたんだけど、シュカ君は? 眠れなかったの? ――って、なんで上着着てないのさ! すっかり冷えちゃって」

 ディーは一方的に喋りつづけていたかと思うと、突然自分の上着を脱ぎだした。そして、それを、シュカの肩に掛けたのだった。

 シュカはそこではじめて、自分がコートも着ていないことに気がついた。

「もう、また風邪引いちゃうでしょ!」

 ディーがひらりとベンチの背を乗り越え、隣に座ってきた。

「――なにかあった?」

 シュカが隣を見れず俯いてしまうと、ディーはみずからの膝に片腕をついて、シュカの顔を覗き込んでくる。

「――……」

 なにを云おう。自分は彼らに、なにを云えるのだろうか――帰りの道中、それをずっと、考えていた気がする。

 けれど、いざ対面してみると、なんの言葉も出てこなかった。

 眼鏡を掛けてくるのも忘れてしまった。見透かされないよう、より深く俯くと、ディーは此方からふと視線を逸らしたようだった。

「……話したくなかったら、それでもいいよ。オレは此処にいるからさ」

 触れるか触れないかくらいのところにディーはいて、その絶妙な距離感にシュカは安堵した。

 やがて、陽が昇りはじめる。朝の真白の光が池を照らしだす。その碧は、とても、奇麗だった――

 まだ、なにかを奇麗だと思える。それは、隣に座る友人のお陰に違いなかった。

 だから、言葉は自然に口から零れおちた。

「……ユーリと関わりがあることを、知られていました」

「――それは、ロマノフスキーのお家にってことかな?」

「……はい」

「それはまた……」

 ディーは片手で口元を覆った。驚いて当然だろう。シュカさえ、予想していなかったことなのだから――

「……結婚しろとでも云われた?」

「そこまで直截的ではありません。けれど、暗に望まれているのでしょうね。皇籍に戻る道も示されました」

「そっか。……話してくれてありがとね」

 ディーはやわらかく云う。

「これまでのシュカ君だったら、ひとりで黙っていなくなっちゃいそうだったから」

「……」

 シュカは沈黙する。そうだ。そうする道だってあった。寧ろ、そうするのが最善だっただろうに――何故自分は、そうしなかったのだろうか。無意識に、この場処へ帰ってきてしまった――

 太陽の光がベンチに届くまでになり、シュカはそうっとディーのほうを見る。

 ディーは陽だまりのなかで、目を細めていた。

「なんとかなるかは、わからない。けど、ユーリ君なら、道を切り拓いてくれると思うよ。ほんとうに、とびきり眩しいんだから」

 そう云って微笑むディーに、シュカもまた目を細めた。

「……貴方も、充分眩しいですよ」

「ん?」

「いえ。ユーリに、話してみます」

「うん、そうしよ」

 ディーがシュカの頭に手を置く。その手はやさしくシュカの髪を梳いていった。


「――というわけでして。ユーリにはたいへんご迷惑をおかけします」

 寮の談話室の暖炉の前に、三人は集まっていた。まだ朝は早く、あたりにひとの姿はない。

「そうか……」

 そう云ったきり、ユーリは腕を組んで黙り込んでしまった。なにかを思案しているのだろう。菫いろの瞳が、宙の一点を見つめている。

「難しいよねえ。オレだってどうしたらいいかわからないよ」

 ディーが足を投げだして、お手上げのポーズをする。彼のお陰で、空気が重くなりすぎずにすんだ。

 そこで、ユーリがふと顔を上げ、口を開いた。

「――シュカ、まず私は、君と結婚してもいいと思っている」

「――は?」

 予想外の返事に、シュカは目を瞠る。

「……なにを云っているのですか?」

 冗談かと思ったが、この場面で冗談を云うようなひとではない。

「――私たちは友人だろう? うまくやっていけると思うよ」

「ははあ、その手があったか」

 真っ直ぐ此方を見つめてくるユーリに、ディーは真面目に頷いている。

「……おふたりとも、真剣に考えてください。友人でありつづけるなら、結婚するという選択肢はなしでしょう」

「そう? 友情結婚なんてよく聞く話だし、ありだと思うけどなあ」

「……友情結婚?」

 初めて耳にするワードに、シュカは混乱する。

「ああ、友人同士で将来を共にするという選択だってある。そうか、セレン帝国にはない慣習だったか」

 此処がローレヒ王国であることを忘れていた。この王国は、すべてが先進的なのだ。旧態依然とした世界で生きてきたシュカには考えられない価値観を持っていることを考慮すべきだった。

「……理解不能ですね。それならまだ政略結婚と云われたほうが納得できます」

「政略結婚だなんて……そんな悲しいこと云わないでくれ」

 今度はユーリのほうが理解できないとばかりに眉を下げる。

「……世界基準では、そちらのほうが当たり前なのですよ。まあそれはいいです。とりあえず、結婚するという方向性はなしでお願いします」

「――わかった」

 ユーリはまた頭をひねりはじめる。

「そうだ、お茶会のときに姉上が云っていただろう? 宮廷魔術師になるという道はどうだい? シュカだったら、放っておいてもスカウトが来るはずだって」

 たしかにそんなようなことは云われた。しかし、あくまで経歴や思想に問題がない者がとれる進路であって、シュカが容易にその道を選べるとは思えなかった。

「そう簡単に、事が運ぶとは思えませんけどね……」

「そうかい? 今度姉上に会う機会があるから、聞いてみるよ。姉上が口にしたということは、シュカにとって意味がある選択肢なのだと思う」

 ほんとうに? シュカにこの国で生きる道が、ユーリと結婚する以外にあるのだろうか。

 シュカはわずかな希望を抱くと同時に、あまり期待しすぎないようにと心を静める。まだその道に進めると決まったわけではない。冷静になる必要があった。

「ありがとうございます。アレクシア様にご助言いただけると助かります」

「ああ、任せておいてくれ」

 ユーリが力強く頷く。

 ディーはシュカの耳元に口を寄せると、「だから云ったでしょ?」と得意げに笑ってみせた。

「なんだいふたりとも、内緒話かい?」

「そうそう、ユーリ君には内緒だよ~」

「ないしょ、です」

「なんだか仲良くなっていないかい? 私も混ぜてほしいのだが」

 そこで、寮生たちが起き出してきたらしく、廊下に足音が行き交いはじめた。

「まあいい。仲良くなる機会は、これからいくらでもあるからね!」

 ユーリは、共にあるこの現実が続いていくと、信じているのだ。

 視界の端で、焰がゆらめく。

 シュカは深く頭を下げた。

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