30 帰国
年越しは静かなものだった。
シュカはたいてい授業日と同じ時間に起き、なるべく昼食と夕食は摂ることを心がけ、読書や勉強をして過ごした。
気付いたら年が明けていて、街のほうからは新年の花火が上がっている音が聞こえる。
ユーリたちは元気だろうか――いまごろ、パーティに次ぐパーティに、疲れた顔をしているかもしれない。けれど、ふたりでいられるなら、大丈夫だろう――
シュカは静寂の降りつもる部屋でひとり、思考する。
さて、明日の出立に備え、そろそろベッドに入ろうか――眠れるかはともかく。
セレン帝国までは、ローレヒ王国の王都から風の魔術のかかった馬車でも約二週間の距離をゆかねばならない。国境近くの街までは、闇の魔術が使用された空間圧縮の術――ワープポイントを使用することに決めていた。金はかかるが、時間には変えられなかった。
シュカは今日も睡眠薬を飲み、横になったのだった。
翌朝は、早くに目が醒めた。
予約していたワープポイントと乗り合い馬車で、国境へと向かう。そこからは、王宮からの迎えがあるという話だった。皇籍を離脱しているとはいえ、一応身辺警護には気を遣われるらしかった。勿論、体裁を気にしてのことだとは思われるが――
学院へ入学して四ヶ月――まだそれだけしか経っていないのに、王都を離れるにつれ、心の空虚さが増してゆく。
帰る場処などなかった筈だのに――不思議な感覚であった。
国境近くの街から国境へは丸二日かかった。馬車での移動に加え、道中安宿に宿泊するものだから、身体中が痛みを訴えていた。
やっと国境が見えてくるころには、ほかの客たちは意気投合していたようだったが、シュカはなるべくひとと話さないように過ごした。幻術も念入りにかけていたため、疲労が酷い。十三番目の姫の存在など知られていない筈だが、万一のことを考えてそうしていた。
国境を越えると、寒さが一段と増したような心地がした。
国境沿いは高い壁に覆われていて、軍事国家の名を体現していた。
水の都と呼ばれるローレヒ王国の華やかな街並みとはうってかわり、建築も無機質で寒々しい。
「リーシュカ様、お迎えにあがりました」
待ち合わせていた街の入り口で、シュカは幻術を解いた。すると、即座に声がかかる。
「――はい」
其処には、王宮からの四頭立ての馬車と護衛の兵士たちが、一糸乱れぬ隊列を築いていた。
だれもが礼を尽くしているように振る舞っているが、その視線は鋭く、シュカにおかしな動きがないか観察しているようだった。
馬車に乗り込むと、それはここまで来たものとは別の乗り物のように、滑らかに前進する。位の高い者の移動専用の高等魔術が使用されていた。 シュカの心はすでに疲弊していた。自分はもう、こんなものに乗れる立場にはないのに――
王宮へは、あっというまに到着した。そうして、賓客の宿泊する棟に通される。皇帝への挨拶などを求められたらたまったものではないと思っていたが、どうやら逃れられたらしい。目通りの価値もないということだろう。複雑な気分だった。
母の命日――一月七日までは、此処への滞在が許可される。常に見張られているかのように、執事やメイドが事務的に声をかけてくる。放っておいてほしかったが、身の潔白を証明するためにも、いちいち応対するほかなかった。
シュカはできるだけ部屋にこもり、ひっそりと過ごした。
七日の朝、目が醒めると、しんとした空気が世界を覆っていた。窓の外を見遣ると、予想通り、はらはらと雪が舞っていた。本格的に積もる前に墓参りを済ませ、帰路につきたかった。
朝食を部屋で摂ると、馬車を出してもらう。花は事前に手配しておいてもらったものを受け取った。
墓は王宮の裏に位置する。管理が行き届いているらしく、あたりは奇麗なものだった。
シュカは雪が薄らと積もる道を歩んでゆく。後ろには監視の兵がついてきていたが、なるべく視界に入れたくなかった。
母の墓は、東の方角の隅にあった。墓に近づくにつれ、黄色が目につき、シュカは目を見開いた。
だれにも顧みられないと、そう思っていたのに――其処には、黄色の水仙の花が供えられていた。道中の足跡は墓守のものだと考えていたが、先客がいたのだろうか。いったい、だれが――
シュカの頭の中を、めまぐるしく思考が駆け巡る。けれど、いくら考えても、思い浮かぶ人物などいなかった。
あまり立ち止まっていても不自然だ。シュカは手にしていたスノードロップの花を、墓前に供える。『逆境の中の希望』を花言葉にもつスノードロップは、母のすきな花だった。
膝をつき、目を瞑る。
母上――貴方を救うことのできなかったリーシュカは、いきています。いまは、ローレヒ王国の王立学院で学んでいます。ゆうじん、と呼べる存在ができました。彼らは心をあたたかく照らしだしてくれます。先日は、誕生日を祝ってくれました。彼らといると、色のなかった風景が色づいて見えるのです。
リーシュカは、この先も、いきていてよいのでしょうか。母上、もう一度、貴方に会えたなら――
長い黙祷を終え、シュカは目を開く。
あいかわらずの曇天に白い雪が舞っていて、景色はどこまでも灰色だ。
いつまで此処へ来られるだろう。いまは、皇帝の温情で通してもらっているに過ぎない。彼の気が変われば、シュカなど容易く追い払われる存在だった。
シュカはゆっくりと踵を返す。
――母上、また来年、お会いしましょう。
この約束が真実になると信じることしかできない自分を、どうかお許しください。
墓を出ると、其処に佇む人影があった。
護衛を引き連れている、男性だ。その顔には、見覚えがあった。
「――ニコライ、兄上」
ニコライ・ロマノフスキー――この国の、第四皇子だった。彼は王宮で事務官を務めている筈だ。何故彼がこんなところへ――
「お前に兄と呼ばれる謂われはない」
彼は冷たく云い放つ。シュカははっとして頭を垂れた。
「お前に伝言だ」
彼ほどの人物に伝言を頼むことのできる人物。それすなわち――
「皇帝が仰せになった。『隣国の第三王子に近づくとは、お前にもまだ利用価値があったようだ。事と次第によっては、皇籍を戻すことも検討する』。以上だ」
一刻も無駄にできないとばかりに、それを告げたニコライは去っていった。
取り残されたシュカは、ゆっくりと顔を上げた。吐く息の白さが目につく。身体が震えているのがわかった。
それは寒さからくるものではない――恐怖が、シュカを絡め取っていた。
皇籍を離脱し、二年。隣国へまで渡ったのだ。そんな自分に監視がついているとは、思ってもみなかった。
シュカは自分の考えが甘かったことを痛感する。現皇帝は、第七皇子という立場から、ほかの兄弟たちを蹴落とし、皇帝と成ったのだ。その野心は、尋常ならざるものであった。
遠い東国の母に目をつけたことからしても、各国に蜘蛛の糸のように情報網を張り巡らせているに違いない。もっと早くに気付くべきであった――
「リーシュカ様、お時間です」
後ろから、声がかかる。はい、と答えたその声音は、たしかに震えていた。




