29 ささやかなやさしさ
冬期休暇がやってきた。
年末から年明けまでの短いホリデーだが、たいていの者が帰省し、家族と過ごすことが多い。
シュカに帰る家などない。けれど、母の命日が近いことから、年明けにはセレン帝国に帰ることに決めていた。
それまでは、寮で過ごすことになる。少ないながらも寮に残る者もいたため、食堂などは問題なく稼働しているようだった。
「シュカ、ほんとうにひとりで大丈夫かい?」
「読書に熱中しすぎて食事を疎かにしちゃだめだからね!」
帰省の見送りに出ると、ユーリとディーが声をかけてくる。そんなに信用がないのかと、シュカはつい半眼になってしまった。
「大丈夫に決まっているでしょう。子どもじゃあないのですから」
「ほんとうは別邸でいっしょに年を越したかったけれど、年末年始はなにかと忙しくて……」
ユーリは肩を落とす。
彼はこれでも王族なのだ。晩餐会やパーティなどに出席しなければならないようだった。
「しっかり責務を果たすことですね」
「ああ、本音を云えば厭だけれど、そんなことばかりも云っていられないからな」
「ま、オレもいるし気楽にいこうね」
ディーがユーリの肩に手を回す。
「心強いよ」
相変わらず仲のよろしいことである。シュカは生暖かい笑みを浮かべる。
「そろそろ時間だ。それじゃあ、よい休暇を!」
「また来年ね、よい休暇を!」
「ええ、よい休暇を」
『よい休暇を』というのはローレヒ王国風の云い回しらしいが、理にかなっていておもしろい。そんなところにお国柄が出ていて、新鮮だった。
ふたりを見送ると、ノエルがシュカを探していたようで、横から抱きついてきた。
「シュカ~! さみしくなるよ」
「二週間程度で、大袈裟な」
そう云いながらも、心の底からさみしそうにしているノエルに、悪い気はしない。
「道中、お気をつけてくださいね」
「といっても、ルークもいっしょだから危険もなにもないんだけどね」
ふたりは、近隣の出身のため、ノエルの安全も考え共に帰るようだった。
「ノエル、そろそろ行くぞ。リンドウ、よい休暇を」
「ええ、ルークさん。ノエルも、よい休暇を」
「よい休暇を! しっかりご飯食べるんだよ!」
ノエルにまで心配されているのか。半ば愕然としながら、シュカは微笑みを維持する。
「さてと」
見送りは終わった。これからどうしようか。街は年末で混み合っているし、やはり寮に籠もろう。
そういえば、図書館の開館が今日までだった。読みたい本を借りておかなければ。
シュカは今後の計画を立てながら、寮へと戻った。
それが、今朝の話だ。しかし気付けば、窓から夕陽が差し込んでいる。ソファに座り、くつろぎながら読書をしていたシュカは、はっと顔を上げた。
しまった、昼食の時間を逃してしまった。
休日の昼食は12時から、夕食は19時から二時間のあいだと定められている。これがばれたら心配してくれた友人たちに申し訳ない。
シュカは本を閉じ、時間管理のしやすい勉強に切り替えることにした。
たしか今日は図書館が19時で閉館だというから、図書館で勉強していれば時間を逃さず丁度よいかもしれない。
シュカはいそいそと準備をし、図書館へと向かうことにした。
図書館は、閑散としていた。休暇中なのだから当たり前だろう。けれど、意外な人物と目が合ってしまった。
「――クレセント先生、こんばんは」
高等部魔術科一年の教養科目全般を担当しているクレセント先生がシュカの目当ての語学の書架の前に佇んでいたのだ。
「ああ、リンドウか。こんばんは。ご実家には帰らないのか?」
クレセント先生は相も変わらず爽やかな笑顔を浮かべ、問いかけてくる。この様子だと、シュカの事情は知らないのだろう。
「――年明けには国に戻ります」
「そうか、リンドウはセレン帝国出身だったな。語学も堪能だし、まったくそんな感じがしないよ」
「ありがとうございます」
「相変わらず勉強熱心だな。なにか探していたのか? よければ手伝うよ」
「古典語の読解にちょうどよさそうな書物を探していました」
「そうか。リンドウのレベルなら、これとか――こっちもおすすめだ」
クレセント先生が次々に本を手に取る。助言をもらえるのは素直にありがたかった。
軽く頁を捲ると、一頁に数個知らない単語が出てくるほどで、読解の勉強に丁度よさそうだった。
「これがよさそうです。ご指導ありがとうございます」
「指導なんて。優秀な生徒がいて教え甲斐があるよ。実は、僕も外国出身だから親近感が湧いてね。ファルノクティウ公国、知っている?」
それは、セレン帝国の東南に位置しているちいさな国だった。
「勿論です。国土はちいさいながら、豊かな国と聞いています。何故、この国へ?」
クレセント先生の顔から、一瞬笑みが消える。
会話の流れとはいえ、立ち入ったことを訊きすぎただろうか。
「――すこしばかり息苦しくてね。これでも貴族の出なんだけれど、お堅い家で。この国は、いろんな意味で自由だから生きやすいよ。リンドウにとっても息がしやすいことを願うよ」
シュカは目を瞬かせる。好青年を絵にしたようなこのひとも、苦労を重ねてきたらしい。
「すまない。話しすぎたな。それじゃあ、僕は行くから。よい休暇を」
「――はい。ありがとうございました。よい休暇を」
クレセント先生は去っていった。
シュカは二時間ほど勉強すると、図書館の閉館に合わせて席を立った。
食堂に向かうと、本日のメインメニューは肉料理だった。ただでさえなかった食欲が減退していくのを感じる。
そこで、いつも食堂で働いている若い黒髪の女性と目が合った。
「あら、シュカさん、ですよね」
「――? 名前、どうして」
「ああ、急にすみません。私、大学の学生なんだけれど、此処でバイトしていて。東国出身だからあなたのことがなんとなく目に留まって、お友達が名前を呼んでいるのを聞いて覚えちゃったの」
女性は恥ずかしそうに語る。食堂は休日に偶に利用する程度だったが、そんなに目立っていただろうか――ユーリやディーといれば目立つというものか。
「そうだったのですね。高等部魔術科一年のシュカ・リンドウと申します」
「リンドウさんですね。わたしのことはアマネと呼んでください」
「アマネさん、よろしくお願いします。出身はセレン帝国なのですが、東国にルーツがありまして」
「なるほど。本日のメニューはどうされますか? 此処だけの話、この国の料理は味が濃いですよね……」
「……わかります」
ふたりはカウンター越しに顔を見合わせる。一瞬で通じ合えた瞬間だった。
「よければ、東国の料理をお作りしましょうか? まかない用に材料が余っているのですよね」
「そんな――よろしいのですか?」
「ふふ、今日はほとんどお客さんは来ませんし。みんなには内緒ですよ」
アマネは片目を瞑っていたずらに微笑んでみせる。正直、ありがたい話だった。
「それでは、お言葉に甘えて。ありがとうございます」
「はーい。座って待っていてください。お持ちしますから」
シュカが席に着くと、しばらくして、トレーをもったアマネが近寄ってきた。
「どうぞ。お魚におひたしに味噌汁でシンプルなものだけれど」
見れば、魚の煮付けに味噌汁、おひたし、白米の組み合わせで構成されていた。ほんとうにシンプルなものだが、食べ慣れた料理に食欲が湧いてくる。
「ありがとうございます。とてもうれしいです」
「どうぞごゆっくり」
初対面で長話をしない点も好感度が高かった。食事をゆっくりと摂ることができ、最近ひとりだとどこか味気ないと思っていた食事が、ひさしぶりに美味しく感じられた。
「美味しかったです。ありがとうございました」
トレーを返却するついでに感想を述べると、アマネはにこやかに笑ってみせた。
「うれしい。是非またいらしてくださいね」
「はい」
そうしてシュカは、食堂を後にした。
軽くシャワーを浴びつつ、考える。
今日は不思議な一日だった。特別親しいわけではないけれど、親切にしてくれるひとたちと巡り会って、この世界にはこんなにもやさしい部分もあるのかと、感じられた。
それと同時に、これから帰らなければならないセレン帝国のことを考え、憂鬱になる。
母の墓参りはしたかったが、余計な人間に会って余計なことを云われるのかと思うと、いまから気持ちが沈むのだ。
いけない。最近、やさしさに慣れすぎていた。頭から足先までとっぷりと甘さに浸されて、無防備になっているのがわかる。
セレン帝国に、味方はいない。あそこはシュカにとって、戦場も同義なのだ。
気を引き締めてかからねばならなかった。
早めにベッドに入ると、睡眠薬を手にする。誕生日パーティの件でしこりはちいさくなったとはいえ、薬を手放すまでには至らなかった。
早く、眠りたい。
シュカは何度も寝返りを打ちながら、眠気がやってくるのを待った。




