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11 収穫祭(3)

 邸宅に戻ると、すでに風呂の準備が整っているようだった。

「わーい、泳げるほど広いから、満喫してね」

 ディーが手をあげて喜んでいる。

「シュカも、普段入れない分、ゆっくりしてきてくれ」

 ユーリも云うと、ふたりは男湯のほうへ歩いていった。

 残ったシュカは、アイリスに導かれ、浴室に辿り着く。

「お世話いたしましょうか?」

「いいえ、結構です。――ひとりで満喫したいので」

「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ」

 王族は髪を洗うところからなにから世話をされるようだったが、生憎シュカにそんな経験はない。あっさり引き下がってくれて助かった。

 浴室に入ると、ディーが泳げると云っていた意味がわかった。

 浴槽は驚くほど広く、掃除が大変そうだなと思った。備え付けのシャンプーや石鹸も一目で高級品とわかるもので、普段あまり使用されていないのが勿体ないほどだった。

 髪や身体を洗い終わり浴槽に浸かると、極楽の世界がシュカを誘った。

 思わずほう、と息をついてしまう。人間には、あたたかな湯が必要なのである――真剣にそう考えてしまうくらいには、すばらしい空間であった。

 湯を堪能し脱衣所に戻ると、寝衣が用意されていた。それがまた――たいそう女子が好みそうな服で、所謂ネグリジェというやつだろうか――シュカには縁がない代物であった。

 代えてもらおうか――しかしアイリスを呼ぶのにも服を身につける必要があり、一度このネグリジェに袖を通さないことにはなにもはじまらなかった。

 シュカは己と葛藤する。男装することに抵抗がない程度には自分が女子であるという認識が薄く、それゆえ女の子らしいものとは無縁の生活を送っていたのだ。葛藤があるのも当たり前だった。

「リンドウ様、御髪を乾かしましょうか」

 そのとき、外からアイリスが声をかけてくる。

「いえ、あの……別の寝衣はありませんか。もうすこし、シンプルな」

「別のものでしょうか。女性用にご用意されているものがそれしかなく……大変申し訳ございません」

「……そうですか」

 シュカは諦めた。しばらくしてアイリスが中に入ってくると、かのじょの風の魔術で髪を乾かしてもらったのだった。


「シュカ、今夜は夜更かしをしよう!」

 お風呂から上がると、客間に通された。そこにはくつろいだ姿のユーリとディーが座っていた。

「わあ、シュカ君そういう恰好も似合うねえ。新鮮だ」

「どうも」

 礼儀として褒めてくれるため、此方も礼儀として微笑み返す。

 ソファに座ると、カモミールティーが運ばれてきた。ふたりは酒を嗜んでいるようだった。

「夜更かしですか。なにをなさるおつもりで?」

「夜更かしといえば、カードゲームだろう」

「なるほど?」

 ユーリの手元には、カードがあった。

 シャッフルすると、さっそく三人に配り始める。

「なにか知っているゲームはあるか?」

「いえ、遊んだことがないので……」

「じゃあ簡単なものからいこう。ババ抜きというゲームがあって――」

 ルールは簡単だった。ババと呼ばれるカードを引いた人間が負けらしい。引いたカードを顔に出さないことも重要で、ポーカーフェイスを貫ける人間が有利なようだった。

「私は手強いぞ」

 たしかに、ユーリは常に無表情である。手強いというのも頷けた。

「オレだって負けないからね。ところで罰ゲームはなににする?」

 ディーがカードを振りながら訊ねてくる。

「罰ゲームですか」

「たしかにあったほうが盛り上がるよな。過去のちょっとした失敗談を話すとかはどうだ?」

「失敗談……」

「シュカが厭ならやめるけど」

「厭というか、思い浮かばないというか……」

「失敗談がない……?」

「そんなひともいるんだねえ。じゃあオレたちが負けたときだけ語ろうか」

 そうしてババ抜きははじまったのだった。

 戦いは白熱した。みなポーカーフェイスがうまく、カードがまったく読めないのだ。

「シュカ君、はじめてにしてはやるねえ。全然わからないや」

 そう云うディーも、目線を動かすのがうまく、その心情は読めなかった。

 そうして初戦、負けたのは、ユーリだった。

「ああ、惜しかった。じゃあ私から失敗談を語ろう。あれは初等部のころ――護衛を捲こうとして学院の森に入って迷子になり、大騒ぎになった。こっぴどく叱られたよ」

「あっはっは、ユーリ君らしい」

「方向音痴は昔からだったのですね……」

 如何にも彼らしいエピソードだった。

 そして次の敗者はディーだった。

「そうだなあ。幼い頃の話だけど、毒属性持ちのことがわかってから随分自分でも研究してね、毒が自分に効いちゃって大変なことになったのを思い出したよ。生死の境を彷徨ったらしいね」

「……」

「……ディー、それはちょっとした失敗とは云わない」

「あれ、ウケなかった?」

 なんでもないような顔をして語るが、まったく面白くない。

 そして次に負けたのは、シュカだった。

「順当ですね。なにかあったか……」

「無理に合わせなくていいからな」

「ああ、でも――幼かった頃、母が病気になりまして、東国出身の母のためにお粥という故郷の料理を作ろうとしたことがあったのです。うまく作れたと思ったのですが、それを食べた母が泣いてしまって……そんなに不味かったのかと未だにトラウマになっています」

 ユーリとディーは顔を見合わせる。

 しまった、微妙な空気にしてしまった。シュカは心の中で反省していると、いや、とユーリが声をあげた。

「それは、うれしかったんじゃないか?」

「――うれしかった?」

 不味かったのかと問うシュカに、母はただ、違うの、とだけ繰り返していた。

「うんうん、娘が遠い故郷の料理を作ってくれたんだよ? うれしくて感極まっちゃったんだと思うなあ」

 ディーもフォローしてくれる。

 そうなのだろうか。

「なんならいまからでも聞いてみたらいいんじゃないか?」

「……母は二年前に亡くなりました」

「それは――配慮がなかった。すまない」

「いえ、申し上げていませんでしたから」

 空気が重くなってしまう。

 そこでディーが声をあげた。

「よし、一周したところで次のゲームに行こうか」

 彼は場の空気を読むのがうまい。助かった。

 次はブラックジャックというゲームだったが、シュカはとことん弱かった。

「あはは、これは慣れもあるかもねえ」

「占いは使わないのかい?」

「ゲームにおいて使用するのは卑怯でしょう?」

「真面目なんだな」

 単に卑怯な真似はしたくなかっただけなのだが――

 こうして夜は更けていった。


 翌朝、目が醒めると、時刻は午前十時を回っていた。

 昨夜は結局午前三時ごろまでカードゲームに興じていた。酔いの回ったふたりはさらなる秘密を暴露していたが、忘れたことにしておこう。

 着替えて外へ出ると、アイリスが控えていた。

「おはようございます、リンドウ様」

「おはようございます。お待たせしてしまい申し訳ありません」

「とんでもございません。ブランチの準備が整っておりますので食堂へご案内しますね」

「ありがとうございます」

 食堂には、ユーリとディーの姿があった。ディーはけろりとしていて、昨日の騒ぎはなんだったのかというほどだ。一方のユーリは頭を抱え、心なしか顔色が悪い。

「おはようございます。……大丈夫ですか?」

「オレは全然平気なんだけど、ユーリ君がね」

「ううっ……呑みすぎた」

 ブランチということで軽めのパンとスープ、サラダが出てきたが、ユーリはそれすら残していた。いつも食欲旺盛な彼にしては珍しい。

「アイリスさん、厨房をお借りしてもよろしいでしょうか?」

「え、リンドウ様がご使用されるのですか? 確認してまいりますので少々お待ちください」

 アイリスは慌てて厨房のほうへ消えていく。無理を云ってしまっただろうか。

「なにか作ってくれるの?」

「材料があればですが。東国の味噌汁というスープがありまして。お酒を呑んだ次の日には効くと母が云っていたのを思い出しました」

 そこでアイリスが戻ってくる。

「お待たせいたしました。使用しても大丈夫だそうです」

「それでは少々お借りします」

 厨房へ向かうと、強面の料理人が頭を下げてくれる。

「なんでもご自由に使っていただいて構いませんので」

「ありがとうございます」

 別邸とはいえ流石の品揃えで、東国の調味料まで揃っていた。

 味噌汁を作るのはひさしぶりだ。出汁をとるところからはじめると時間がかかるため、それっぽいものにしかならないだろうが――出汁の調味料のようなものがあったのでそれを拝借することにした。

 煮立たせないよう注意を払いながら味噌を火にかける。具は豆腐だけだったが、これだけでも充分だろう。

 出来上がったものをユーリに出すと、彼はたいそう喜んでくれた。

「美味しい! 胃に染み渡るようだ!」

「ほんとだ。なんだかやさしい味がするね。アルコールが抜けていく……」

「母もそう云っていました」

 酒に弱いくせにアルコールを好んだ母は、よく次の日に二日酔いに苦しんでいた。シュカが味噌汁を作ると喜んでくれたことを思い出して懐かしくなる。

「東国の料理もよいものだな。よければ今度また作ってほしい」

「僕程度の腕前でよければ」

 邸宅の料理人に頼めばいくらでもプロの作った味が楽しめるだろうに、ユーリはシュカに頼んでくる。

「シュカの作る料理はなんだか美味しく感じるんだ。勿論プロの料理人に頼んだほうが完成度が高いのはわかるのだが……」

「ひとの作る手料理の美味しさってあるよね。オレも自分で作る料理って味気なく感じるもん」

「そうか、みんな料理ができるのか――私も練習するべきか?」

「料理をしなくてもよい環境なら享受していればよいのでは?」

 ユーリが真剣な顔で考えはじめるが、彼ほどの身分にある者が料理をする必要などないだろう。

「ディーには話してあるのだが、実は、将来は王籍離脱をして庶民として生きていこうと考えていてな」

「――え?」

 同じ立場の人間として、シュカはどきりと鼓動を跳ねさせてしまった。

「それは、どうしてまた……」

「私は一系統の魔術しか使えないし、王族のなかでもお荷物だからな。それに窮屈な暮らしには向いていない。庶民としてのんびり芸術でもやっていければと思ったんだ」

「なるほど……」

 そう甘くないと思うが、ユーリは本気らしい。それならば、自分が口出しをすることもないだろう。

「がんばってください」

 そう云うに留めた。


 こうして、滞在期間は過ぎていった。

 たまに街へ連れ出されたりもしたが、概ね部屋に籠もり読書に勤しむことができた。

 最終日、荷造りをし終えると、ユーリが扉を叩いた。

「シュカ、準備は整ったかい?」

「はい、いま行きます」

 扉を開けると、佇んでいたユーリが自然に手を伸ばしてくる。

「? なんですか」

「トランクを持とうかと思って」

「いいですよ、別に。自分で持てますし」

「そうか」

 ユーリは少し残念そうに手を引っ込めた。

 玄関へ出ると、すでにディーと馬車が待っていた。

「お待たせしました」

「はいよ、晴れてよかったね」

 たしかに、空は快晴で、陽射しが眩しいくらいだった。

 アイリスも見送りに出てくれている。

「お世話になりました、アイリスさん」

「とんでもございません。なんのお構いもできませんで。また是非お越しください」

 初日の気負いは抜けているようで、自然な笑顔を浮かべていたため、シュカも笑みを返す。

「それじゃあ、みな、行ってくる」

「いってらっしゃいませ」

 頭を下げる使用人たちに見送られ、馬車は出発した。


 学院へ戻ると、休暇の最終日だからか、人が溢れていた。アッシュヴィルドの家紋の印字された馬車は目立つらしく、馬車止めに止まるとみなの注目を集めた。

 シュカは眼鏡をかけ直すと、俯き気味で馬車を下りる。

 あまり目立ちたくはなかったため、挨拶もそこそこに寮へと戻った。

 寮室へ入ると、ほっと息をつく。紙とインクの匂いに、安心した。

 荷解きをすると、行儀悪くソファに横になる。

 此処は、こんなにも、静かだっただろうか。

 シュカは目を閉じながら、窓の外の喧噪に耳を傾けたのだった。


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