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このアイドル、どこかおかしい。一人だけ、笑っていない。  作者: Nagiousen


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第94話 笑えないアイドル

莉恋の声が、桃霞のパートを歌い続けていた。


六人が円を作ったまま、桃霞を囲んでいた。


桃霞はその中心で、まだ動けずにいた。




苺は歌いながら、少しずつ位置をずらした。


フォーメーションを、崩さないように。


観客に、気づかれないように。




桃霞のすぐ横まで、近づいた。




視線は、客席へ向けたままだった。


笑顔も崩さなかった。




そして、口だけが小さく動いた。


歌声には乗らない声だった。




「桃霞ちゃん」




桃霞の視線は、動かなかった。


自分の手のひらを、見つめたままだった。




苺はもう一度、口を動かした。




「まだ——ライブは、終わってないよ」




反応はなかった。




だが、苺は続けた。




「みんなが——守ってくれた」


「今度は——私たちを、助けて」




その、一言だった。




桃霞の中で、何かが止まった。




(守られた——)




さっきまで思っていたことと、真逆の言葉だった。




自分だけが——皆を守った。


自分だけが——六人分の痛みを引き受けた。




そう——思っていた。


だが——違った。




莉恋が自分のパートを、歌ってくれている。


苺がリーダーとしての、判断を変えてくれた。


空が、ハモリを厚くしている。


向日葵がいつも以上に、声を張っている。


杏が、ダンスを大きく見せている。


若葉が、瞬時に立ち位置を調整している。




六人が——今、自分を守ってくれている。


さっきの——自分と同じように。




桃霞の——指先が、微かに動いた。


固まっていた——足が、少しずつ緩んでいった。




音楽が——次のフレーズへ進んでいた。




桃霞の——声がそこに乗った。


小さかった。




だが——確かな声だった。




苺が——それに気づいた。


目を少しだけ、細めた。


安堵の——色が、そこにあった。




---




袖では——麻衣が、モニターを見つめていた。




「歌って——る」




小さく——呟いた。




田中も——それを聞いて、深く息を吐いた。




「戻った——のか」




エマは——タブレットを握りしめたまま、動けなかった。


視線は——ステージから、離れなかった。




(桃霞さん——)




言葉には——ならなかった。


ただ、安堵に——近い何かが、胸に広がっていった。




九条は——バックヤードの入り口で、インカム越しにその変化を感じ取っていた。




(歌い始めた——)




拳を握っていた、手が少しだけ緩んだ。


だが——完全には、緩まなかった。




(本当に——大丈夫なのか)




その疑念だけは、消えなかった。




---




客席では——変化がすぐに、感じ取られた。




さくらが、目を細めた。




「桃霞ちゃん、歌い出した」




隣の——見知らぬ観客にささやいた。




「よかった……」




---




健一も莉恋のソロパートから、桃霞の声が混ざり始めるのを聞いていた。




「そういう——構成なのか」




納得したように——頷いた。




---




ななは——スマホを握りしめたまま、画面を見つめた。




「桃霞ちゃん——復活した」




小さく——呟いて投稿した。


すぐに——反応が返ってきた。




「よかった!」




「新しい——アレンジ、最高」




---




桃霞は——ゆっくりと、踊り始めていた。




体は——動いた。


歌声も——戻った。




だが——笑顔だけが、戻らなかった。




サビが——近づいていた。


いつもなら——ここで、桃霞は笑う。




崩れた——笑顔を見せる。


それが——桃霞らしさの証だった。




だが——今日は、違った。




笑おうとした——瞬間。


掌の——感触が蘇った。




骨の——軋む音。


呻き声。




六人の——痛みが、そこに刻まれたまま、消えなかった。




(笑えない——)




心の中で——気づいた。




体は——戻っていた。


だが——心だけが、まだあの一瞬から、抜け出せずにいた。




それでも——桃霞は、踊り続けた。


歌い続けた。


笑顔だけが——ないまま。




---




観客の中には——それに気づく者もいた。




母親が——娘に、そっと囁いた。




「桃霞ちゃん——ちょっと、疲れてるのかな」




娘は——首を傾げた。




「そう——かな」




うちわを——振りながら、それでも心配そうな表情を浮かべた。




---




音楽が——変わった。


次の——曲。




「17,000の星空」。




横浜アリーナから——続く、物語を意味する選曲だった。




あの日——一万七千本のペンライトが、一斉に灯った瞬間。


その記憶を辿るような、旋律だった。




桃霞は——歌いながら、その記憶を思い出していた。




「届いていますか」——あの問いかけに。




一万七千人が——「届いてる」と返してくれた、あの瞬間。




(あの時も——私は)


(一人じゃ——なかった)




少しずつ——桃霞の動きに、力が戻っていった。


まだ——笑顔は、戻らなかった。


だが——足取りは、確かになっていった。




---




客席の——七色の光が、再び大きく揺れ始めた。




莉恋が——センターを、桃霞に戻した。


自然な——タイミングだった。




苺と——目が合い、小さく頷き合った。




莉恋の——役目は、終わっていた。


だが——その数分間が確かに、七人を繋いでいた。




---




最後の——曲、「虹の向こうへ」。




本編、ラスト。




未来へ——進む決意を、歌う曲だった。




七人が——横一列に並んだ。


桃霞も——その中にいた。




歌声は——七つ揃っていた。




だが——笑顔だけは。


まだ——桃霞の顔に、戻っていなかった。




客席は——気づかなかった。


歓声は——最高潮だった。


ペンライトが——大きく揺れていた。




一つの——ライブが、確かに終わろうとしていた。




だが——桃霞の中では。


まだ——何かが、終わっていなかった。





つづく…




▼登場人物のイラストをpixivで公開中


https://www.pixiv.net/artworks/144793121

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