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このアイドル、どこかおかしい。一人だけ、笑っていない。  作者: Nagiousen


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88/113

第88話 守れない、その瞬間

「セブンスカラー」。




サビが——近づいていた。




七人は——それぞれの立ち位置で、呼吸を合わせる。


客席では——一万六千本のペンライトが、大きく揺れていた。




---




その頃。




一階席——中央通路。


黒いスーツ姿の男が一人。


静かに——立ち上がった。




神崎龍司。




腕時計を——一度だけ見た。


予定時刻。


秒針が——重なる。




神崎は——何も言わず、歩き始めた。




---




下手側通路。




高瀬修が——立ち上がる。


周囲の観客が——振り返った。




「来た!」




誰かが——声を上げた。


歓声が——広がる。




「乱入演出だ!」


「大阪もやるんだ!」




期待を含んだ——笑顔が、客席に広がった。




---




上手側通路。




黒田剛が——ゆっくりと歩き出す。


無駄のない——歩幅。


一直線に——ステージを目指す。




---




PA席付近。




真壁隼人が——手すりを越えた。


軽い——身のこなし。




客席から——歓声が飛ぶ。




「すげぇ!」


「近くに来た!」




スマートフォンを掲げる者もいた。




---




花道入口。




篠原徹が——姿を現した。


黒いスーツ。


黒いネクタイ。


まるで——警備員そのものだった。




だが——その歩き方だけが違った。


迷いが——なかった。




---




最後に。


ステージ袖。




南部誠が——静かに現れた。




桃霞を——一瞬だけ見た。


その視線は——すぐ前へ戻る。




深呼吸を——一つ。


そして——歩き出した。




---




六人。


六方向。


同じ——タイミングだった。




---




客席は——大歓声だった。




「来たーーー!!」


「待ってました!」


「また桃霞ちゃんだ!」


「大阪バージョン!」




横浜アリーナで話題となった——あの乱入演出。


その再現だと——誰もが思っていた。




期待が——熱狂へ変わる。


ペンライトが——さらに大きく揺れた。




---




ステージ上。


曲は——止まらない。




苺は——歌い続ける。


空も。


向日葵も。


若葉も。


杏も。


莉恋も。




そして——桃霞も。




誰一人——視線を乱さない。


まるで——すべて予定どおりで、あるかのように。




---




神崎は——中央階段を上った。


高瀬が——下手側から。


黒田が——上手側から。


真壁が——花道を駆ける。


篠原が——中央へ。


南部が——袖から。




六人の距離が——少しずつ縮まる。




---




サビまで——あと数小節。


照明が——七色へ変わった。


レーザーが——ホールを横切る。




観客の視線は——歌う七人と、近づく六人。


その両方へ注がれていた。




---




「桃霞ーーー!!」




誰かが——叫んだ。


歓声は——さらに大きくなる。




まだ——誰も疑っていなかった。




これは。


ライブの——演出なのだと。




---




六人は——同時にステージへ上がった。




その瞬間。


音楽は——サビへ突入した。




桃霞は——知っていた。


演出の——概要を。


横浜アリーナと——同じ構成だと、聞いていた。




乱入者が——現れる。


桃霞へ——向かって来る。


桃霞が——それを制圧する。




「お待たせしました」——で、締める。


そういう——流れだと、聞かされていた。




(来る)




心の——準備は、できていた。


自分に——向かって来る、六つの気配。


そう——思っていた。




だが——違った。




暗がりから——現れた六つの影。


それぞれが——散っていく方向。




桃霞へでは——なかった。




苺へ。


杏へ。


空へ。


莉恋へ。


向日葵へ。


若葉へ。




(え——)




桃霞の——思考が、一瞬止まった。


聞いていた——話と、違う。




そして——見えた。


六人の——男たちが、それぞれ懐から取り出したもの。




鈍い——光。


ナイフだった。




「えっ」




苺の——声が漏れた。


歌声の——合間に。


観客には——聞こえない、小さな声。




「えっ、何——」




杏も。




「これ——」




空も。




莉恋の——目が、見開かれた。




向日葵の——足が、一瞬止まりかけた。




若葉だけが——即座に、状況を分析しようとした。


だが——理解が、追いつかなかった。




---




桃霞には——わかった。


構えを——見た瞬間に。




立廻りではなかった。


演出用の——動きではなかった。




ナイフの——握り方。


重心の——落とし方。


視線の——動き。


すべてが——本物だった。




(本気だ)




確信が——桃霞の中に落ちた。




(この人たち——本気で)


(仲間を——傷つけようとしてる)




計算が——桃霞の頭の中を、駆け巡った。




六人。


同時に。




六方向。


自分は——一人。




一人で——一箇所しか動けない。


それが——身体の限界だった。




六箇所を——同時に守る方法など。


存在——しなかった。




(間に合わない)




その——結論に、桃霞の中の何かが抗った。




---




苺へ——伸びる、刃。


杏へ——伸びる、刃。


空の——背後に、迫る気配。


莉恋の——足元を、狙う影。


向日葵の——傍らに届く、寸前の手。


若葉の——前に、立ちはだかる姿。




---




守れない。


守らなければ。




守れない。


守らなければ。




矛盾する——二つの叫びが、桃霞の中でぶつかった。




そして——それでも譲れない意志。




(——できない、なんて)


(言ってる場合じゃ、ない)




その——瞬間だった。


桃霞の中で——何かが弾けた。




音のない——弾け方だった。


だが——確かに何かが壊れ、そして——何かが生まれた。




視界が——変わった。


色が——変わった。


時間の——流れ方が変わった。




(一つじゃ——ない)


(一つに——絞らなくて、いい)




初めて——聞こえる声だった。


自分自身の——奥底から、湧き上がる声。


八百年分の——術がそこで初めて、桃霞自身のものになった瞬間だった。




桃霞の——目つきが、変わった。


瞳の——奥に、これまで誰も見たことのない、色が宿った。




顔つきも——変わった。


いつもの——柔らかさが消えた。


代わりに——現れたのは、静かで深く底の見えない無表情。




---




それを——一瞬視界の端で、捉えた苺が。


歌いながら——背筋を凍らせた。




(桃霞ちゃん——?)




知っている——桃霞の顔では、なかった。




だが——それを見届ける、猶予はなかった。




---




六本の——刃がそれぞれの標的へ、振り下ろされようと——していた。




桃霞の——足が、床を蹴った。


音は——なかった。




姿が——一瞬、消えたように見えた。





つづく…




▼登場人物のイラストをpixivで公開中


https://www.pixiv.net/artworks/144793121

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