第80話 覚醒前夜
八月二十八日(金) 午後九時
大阪市内——某ホテル、最上階の会議室。
窓の外には——大阪の夜景が、広がっていた。
だが——誰も、それを見ていなかった。
テーブルの中央に——大阪城ホールの、見取り図が広げられていた。
搬入口。
客席の配置。
バックステージへの、動線。
すべてが——赤いペンで、印がつけられていた。
九条冴子が——テーブルの端に、立っていた。
いつもと——同じ、無表情だった。
六人の男たちが——それぞれ、資料に目を通していた。
一人目——神崎龍司。四十三歳。
元SAT隊員。
資料を——読む目が、他の五人と、違っていた。
無駄な——動きが、なかった。
もう一人——高瀬修。三十九歳。
元機動隊。柔道六段。
がっしりとした——体格。
資料を持つ手が——大きかった。
黒田剛。三十六歳。
元自衛官。格闘教官の——経験がある。
一言も——発していなかった。
ただ——見取り図の、隅から隅まで、目で追っていた。
真壁隼人。三十二歳。
元SP。
椅子に——浅く腰掛け、資料を眺めながら、時折、片眉を上げていた。
篠原徹。三十五歳。
民間警備会社の——トップクラス。
すでに——動線を、頭に入れ終えたような落ち着きだった。。
南部誠。三十一歳。
元総合格闘家。六人の中で——一番若い。
資料よりも——ちらちらと、九条の方を見ていた。
神崎が——資料を、閉じた。
「確認する」
低い——声だった。
「本当に、これをやるのか」
九条は——迷わなかった。
「ええ」
神崎の——目が、細くなった。
「ライブ中だ」
「観客は——一万六千人。普通なら——中止案件だ」
「普通なら」
九条は——短く、返した。
それ以上の——説明はなかった。
高瀬が——口を開いた。
「警備も——巻き込むのか」
「いいえ」
九条は——首を振った。
「警備責任者には——話しています。動線も——共有済みです。一般客に——危険は及びません」
黒田が——初めて、声を出した。
「俺たちの——役目は」
短い——問いだった。
だが——その一言に、他の五人の、視線が集まった。
「六人——同時に、動いてください」
九条は——見取り図の、ステージ袖を指した。
「標的は——ゆめいろシフォン」
「桃霞——以外の、六人」
真壁が——眉を上げた。
「桃霞だけ——残すのか」
「はい」
篠原が——腕を組んだ。
「普通なら——守れない」
一瞬の——判断で、六人を同時に守る。
物理的に——不可能な数字だった。
「普通なら」
九条は——同じ言葉を、繰り返した。
南部が——少し、笑った。
「桃霞なら——守れると」
からかうような——口調だった。
だが——目は、真剣だった。
彼だけが——横浜アリーナでの桃霞の格闘を見ていた。
その——動きの異質さを知っていた。
「いいえ」
九条は——南部を、まっすぐ見た。
全員の——顔を、順に見た。
「守れなければ——意味がありません」
「だから——やるんです」
沈黙が——落ちた。
窓の外の——夜景だけが、変わらず光っていた。
神崎が——テーブルに、手をついた。
「覚醒か」
短く——言った。
その言葉の——意味を、六人全員が、理解していた。
事前に——資料として、渡されていた。
「凪桜閃流」——八百年続く、暗殺一族。
感情を——殺して育てられた少女。
アイドル活動を通して——少しずつ感情を、取り戻しつつある。
だが——本当の意味での「覚醒」には、極限状況が必要だった。
「そう」
九条は——頷いた。
「桃霞には——まだ、壁があります」
「技術は——足りている」
「でも——本能が、まだ眠っている」
「守るべきものが——目の前で、脅かされた時」
「初めて——出るものがある」
高瀬が——低く、唸った。
「一歩——間違えれば、誰かが——怪我をする。訓練用の——ナイフでも。本気で——踏み込めば、事故は——起きる」
九条は——静かに、言った。
「はい。全責任は——私が、負います」
神崎が——九条を、見た。
「失敗したら」
「私が——終わります」
即答だった。
迷いも——揺らぎも、なかった。
部屋が——静かになった。
エアコンの——音だけが、微かに、響いていた。
神崎が——九条を、見つめた。
「そこまで——賭ける理由は」
九条は——少し、間を置いた。
視線が——一瞬、見取り図のステージ中央へ落ちた。
「大阪城ホールは、ゴールじゃない。世界への——入口です」
「入口で——止まる人材を、私は——育てません」
短い——沈黙。
神崎が——ゆっくりと、立ち上がった。
「……わかった。依頼を——受ける」
残る——五人も、立ち上がった。
高瀬が——真剣な顔で、頷いた。
黒田は——何も言わず、資料を閉じた。
真壁は——肩をすくめながらも、目つきは鋭くなっていた。
篠原は——すでに動線を、頭の中で組み立て始めていた。
南部だけが——少し口の端を、上げていた。
「面白そうだ」
小さく——呟いた。
九条は——小さく、頭を下げた。
「お願いします」
神崎が——ドアへ向かいながら、最後に一言だけ残した。
「成功したら」
振り返らずに——言った。
「覚醒するのは——桃霞だけじゃない」
「君もだ」
ドアが——閉まった。
会議室に——九条一人が残された。
見取り図の上に——視線を落とした。
赤いペンで——印をつけられた、ステージ。
一万六千人の——観客席。
九条は——見取り図を、静かに畳んだ。
窓の外の——夜景を見た。
大阪城ホールの——灯りが、遠くに見えていた。
(明日)
心の中で——呟いた。
責任という——言葉の重さを、確かめるように。
つづく…
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