表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このアイドル、どこかおかしい。一人だけ、笑っていない。  作者: Nagiousen


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
78/113

第78話 やっぱ——化け物

八月十九日(水) 午前九時




ゆめいろシフォン専用スタジオ。




朝の光が——床に、長く伸びていた。


まだ誰も——踊っていない時間だった。




壁際には——いつもの、パイプ椅子があった。


一週間以上——苺が、座り続けた場所だった。


今日は——そこに、誰も座らない。




扉が——開いた。




「おはようございます」




苺の——声だった。


いつもと——同じ、声だった。




桃霞は——スタジオの隅で、ストレッチをしていた。


手を——止めた。


顔を——上げた。




「苺ちゃん」




向日葵が——真っ先に、駆け寄った。


さっきまでとは、違う顔だった。




苺の——足元を、見ていた。


椅子ではなく——スタジオの床に、立っている足を。




「今日——踊るんだよね」




確かめるように——言った。


目が——潤んでいた。




苺は——笑った。




「うん」




「先生の——許可、出た」




向日葵が——両手を握った。




「よかった……!」




抱きつく——寸前で、止まった。




「あ——激しいのは、まだダメだよね」




「大丈夫。ハグくらいなら」




向日葵が——飛びついた。




苺は——少しよろけた。


でも——笑っていた。




杏が——少し離れた場所から、見ていた。


腕を——組んでいた。




「……別に。心配してなかったし」




そう——言った。


声が——少し、震えていた。




苺が——それに気づいた。




「杏ちゃん、目赤いよ」




「花粉症」




「八月に?」




「うるさい」




杏は——顔を、逸らした。


耳が——赤かった。




一週間毎日——見学席の苺を、横目で見ていた。


踊る苺を見るのは——久しぶりだった。




空が——静かに、近づいた。


苺の前で——立ち止まった。




「おかえりなさい」




短い——言葉だった。


戻ってきた——場所への、言葉だった。




苺は——少し、目を伏せた。




「ただいま」




莉恋が——小さく、頭を下げた。




若葉が——タブレットを片手に、頷いた。




桃霞は——立ち上がった。


苺の方へ——歩いた。


急がず——ゆっくりと。




苺の前で——立ち止まった。


何も——言わなかった。


ただ——苺の足元を、見た。


床を——踏んでいる、その足を。




「……戻ってきましたね」




短く——言った。


苺が——頷いた。




「うん、戻ってきた」




桃霞は——それ以上、何も言わなかった。


代わりに——小さく、頭を下げた。




深くは——なかった。


でも——確かな、礼だった。




苺が——少し、笑った。




「桃霞ちゃんのそれ、なに?」




「お辞儀」




「変な感じ」




桃霞は——少し考えた。




「……そうですか」




真顔だった。




苺が——小さく、吹き出した。




その——短いやり取りだけで、


桃霞にとっては——十分だった。




言葉は——多くいらなかった。


床に——立つ苺を、見られた。


それで——足りていた。




七人が——揃った。




二週間ぶりに——踊る七人が揃った。




顔を合わせるのは——毎日のことだった。


一緒に——動くのは、久しぶりだった。




振付師が——スタジオの中央で、手を叩いた。




「今日は——新フォーメーションで、通します」




その一言だけだった。


説明は——なかった。




苺は——迷わず、歩き出した。


自分の——立ち位置へ。




誰も——教えていない場所へ。


正確に——止まった。




振付師が——少し、眉を上げた。




「……もう、体に入ってるのか」




苺は——微笑んだ。




「毎日——見てましたから。椅子の上で」


「頭の中では——何度も、立ってました」




音楽が——流れた。


最初は——ぎこちなかった。




苺自身では——なかった。


周りが——ぎこちなかった。




若葉が——動きを止めた。




「莉恋さん、そこ——半歩、内側です」




莉恋が——頷いた。




「ごめん——まだ、慣れてなくて」




一週間、椅子に座る苺の——横で踊ってきた。




今日から——隣にいる苺と、踊る。


体が——まだ、覚えていなかった。




エマは——ストップウォッチを、見ていた。




「今の——0.3秒、遅れています」


「杏さん、苺さんの——ターンのあと」


「もう少し——早く、入ってください」




少しずつ——修正が入った。


少しずつ——噛み合っていった。




---




午前中が——終わった。


汗が——七人の顔に、光っていた。




苺だけが——他のメンバーより、汗は少なかった。


運動量が——少ないフォーメーションだった。




それでも——息は、上がっていた。




---




昼休憩。




麻衣が——タブレットに、書いていた。




「午前——フォーメーション、七割の精度」


「午後——本番想定で、一本通す予定」




エマも——資料を、確認していた。




藤原が——腕を組み、見ていた。




「午後——勝負だな」




---




午後一時。




音楽が——流れた。


最初の——音。




苺が——歩き出した。


迷いが——なかった。




---




一曲——通した。




誰も——止まらなかった。


誰も——遅れなかった。




苺の——移動も。


苺の——タイミングも。




すべてが——ぴたりと、噛み合っていた。




---




音楽が——止まった。


静寂が——落ちた。




振付師が——動かなかった。


しばらく——何も、言わなかった。




「……もう一回」




小さく——言った。


信じられない、という顔だった。




---




もう一本——通した。




結果は——同じだった。


完璧だった。




二週間の——ブランクなど、なかったかのように。




麻衣が——タブレットを、二度見した。




「え……」




エマは——ストップウォッチを、見ていた。


数字が——目標タイムと、ほぼ一致していた。




「……誤差、0.1秒」




呟いた。


信じられない——数字だった。




向日葵が——真っ先に、叫んだ。




「なんで普通に踊れてるの!!!!!!!!」




若葉が——タブレットを見ながら、首を振った。




「二週間の——ブランクが、見えません」




莉恋が——苺を見た。




「本当に——今日が、復帰なの?」




空が——静かに言った。




「ここまで——合わせられるとは、思いませんでした」




杏が——ため息をついた。




「やっぱ——化け物」




小さな——笑いが、起きた。


スタジオの——空気が、軽くなった。




苺は——当然のような、顔だった。




「だって」




少し——笑った。




「一週間以上——毎日見てたもの」




続けた。




「体は——休んでたけど、頭の中では——毎日踊ってた。立ち位置も、移動も」


「みんなの——癖も、全部——覚えてる」




七人が——それぞれ、頷いた。


納得する——理由だった。


苺らしい——理由だった。




笑顔の——苺。




でも。


ふと——鏡を見た。




新フォーメーション。




自分だけ——移動量が、少ない。


ジャンプは——ない。


ターンも——減っていた。




笑顔が——一瞬、止まった。




鏡の中の——自分。


以前より——動きの少ない自分。




(前は——もっと)




その先は——言葉に、ならなかった。




ほんの——一瞬だった。


誰にも——悟られない程度の間だった。




すぐに——笑顔へ、戻した。




だが。


一人だけ——見ていた。




桃霞だった。




苺の——鏡越しの表情を、見ていた。


その——一瞬を。




「苺さん」




短く——呼んだ。




苺が——振り向いた。




桃霞は——それ以上、何も言わなかった。


ただ——一言だけ。




「おかえりなさい」




苺は——少し驚いた。




さっき空にも——同じ言葉を、かけられた。


でも——今度の言葉は、少し違って聞こえた。




それから——笑った。




「ただいま」




短く——返した。


それで——十分だった。




振付師が——七人の前で言った。




「大阪まで——十日。今日の——完成度なら、十分——間に合います」




七人が——並んだ。


鏡の前に。




赤——青——黄——緑——橙——紫——桃。




七色が——揃っていた。




苺は——鏡を見た。


心の中で——思った。




(まだ——悔しい)




運動量の——少ない自分の姿。


以前のようには——踊れない、今の自分。




それでも。


隣には——七人の、仲間がいた。


自分の——足りない部分を、補ってくれる仲間が。




一週間以上——見学席から見ていた、仲間たちが。




(一人じゃない)




鏡の中の——苺が、笑っていた。


以前とは——少し違う、笑顔だった。




強がりでは——なかった。


もっと——静かな、確かな笑顔だった。





つづく…




▼登場人物のイラストをpixivで公開中


https://www.pixiv.net/artworks/144793121

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ