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このアイドル、どこかおかしい。一人だけ、笑っていない。  作者: Nagiousen


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第77話 それぞれの大阪へ

八月十六日(日) 午後三時




本社——プロデューサー室。




九条冴子は——モニターの前にいた。




画面には——海外の会議相手が映っていた。


シンガポールの——配信プラットフォーム担当者。




「ライブ配信の——独占契約について」




英語だった。


九条は——一切、表情を動かさなかった。




隣には——エマがいた。




「条件を——確認します」




エマが——口を開いた。


流暢な——英語だった。




相手の——表情が緩んだ。




九条は——それを、冷たく見ていた。




(緩んでいる)


(詰めが甘い)




会議が——終わった。


画面が——暗くなった。




九条は——エマの方を見た。




「今の交渉、まだ足りない」




エマは——姿勢を正した。




「はい」




「契約書の——第三条」




九条は——資料を、机に叩きつけるように置いた。




「配信権の——地域制限。アジア圏外が——曖昧だった。気づいてた?」




エマは——一瞬、言葉に詰まった。




「……気づいて、いました」




「なら——なぜ、その場で言わなかったの」




声は——低かった。




「相手が——気分よく話してる時に、言いにくいと思った?」




エマは——何も言えなかった。




「それは」




九条は——エマを、まっすぐ見た。




「甘さよ」




沈黙が——落ちた。




エマは——うつむかなかった。


だが——何も、返せなかった。




九条は——資料を開いた。




「全国ツアー」——分厚いファイル。




「英語版——公式サイト構築計画」




もう一冊。




「これは——あなたに、任せる」




エマは——顔を上げた。




「私に——ですか」




「不満?」




「いえ」




「荷が——重いだけです」




九条は——微かに笑った。




笑ったというより——口の端が動いただけだった。




「重いくらいで——ちょうどいい。なぜ——あなたを採用したか」




九条は——資料越しに、エマを見た。




「知りたい?」




「はい」




「オーディション——2位、知ってるでしょう」




「はい」




「順位は——どうでもよかった」




九条は——言葉を切った。




「あなたは——両方の言葉で考えられる。両方の——文化で育った。それは——武器になる。でも——武器は、使い方を知らなければ、意味がない。今日の——甘さは、その武器を——鈍らせる」




エマは——黙って、聞いていた。




「私は——今も」




正直に——言った。




「ステージに——立ちたいと、思うことがあります」




九条は——遮らなかった。


だが——表情も、緩めなかった。




「それは——どうでもいい」




冷たく——言った。




「感傷は——仕事の後にして」




エマは——一瞬、傷ついた顔をした。




九条は——それすら、見逃さなかった。




「傷ついた顔も——今はいらない」




「来週——ロンドンのエージェントと話す。今日と同じ——甘さを見せたら。席は——ない。わかった?」




エマは——背筋を伸ばした。




「はい」




短く——答えた。




エマの瞳には、涙が浮かんでいた。




九条は——モニターへ目を戻した。


それ以上——何も言わなかった。




エマは——資料を抱え、部屋を出た。


廊下で——一度、立ち止まった。


拳を——握った。




(次は——)




大阪城ホールまで——あと十三日。




エマの前に——まだ、越えるべき場所があった。




----




八月十六日(日) 午後九時十五分




和田さくらの部屋——


スマートフォンの画面が、光っていた。




新幹線の予約サイト。


「のぞみ」——8月29日、朝一番。




指が——止まった。


料金を見た。




(今月、厳しいな)




それでも——指は、進んだ。




「予約する」




タップした。


確定。




ラベンダーパープルの進化を、見届けると決めていた。




---




同じ夜。




山田健一の——リビング。


古いノートパソコンを開いていた。




ホテル検索——大阪城ホール、徒歩十五分圏内。


一件、見つけた。


安いビジネスホテル。




「ここでいいか」




呟いた。




腕を——組まなかった。


その癖は——横浜以来、消えていた。




予約ボタンを——押した。




「よし」




小さく——頷いた。




---




八月十七日(月) 午後六時




伊藤ななの——部屋。




新しいペンライトが——箱から出てきた。


七色対応。




横浜で使ったものは——電池が切れかけていた。




「今度は——最後までもたせる」




充電池を——確認した。


満タン。




SNSを——開いた。




「大阪、みんなで行こう」




投稿した。


すぐに——返信が来た。




「行きます!」


「私も!」


「初参戦です!」




画面の向こうに——知らない誰かがいた。


でも——同じ方向を、向いていた。




---




八月十八日(火) 午後四時




高校の——教室。




一人の女子生徒が——スマートフォンを見ていた。


「ゆめいろシフォン」で——検索していた。




友達に——見せられた動画だった。




横浜アリーナ。


一万七千本のペンライトが——一斉に点いた瞬間。




「これ——本物?」




「本物だよ」




友達が——笑った。




「行く?」




「行きたい」




「でも——初めてだし」




「大丈夫」




友達が——スマホを見せた。




「私も——初めてだから」




二人は——チケットの当落を確認した。


当選していた。




小さく——声を上げた。




「マジで!」




「行けるじゃん!」




「何色にする?」




「私——ソーダブルー」




「じゃあ私——ピーチピンク」




まだ——グッズも持っていなかった。


まだ——ペンライトの振り方も、知らなかった。




それでも——もう心は、大阪にあった。




---




八月十九日(水) 午後一時




住宅街の——一軒家。




母親が——カレンダーを見ていた。


8月29日に——丸がついていた。




「お母さん、本当に行くの?」




小学生の娘が——聞いた。




「行くよ」




「お父さんも?」




「お父さんは——お仕事」




「私たちだけ?」




「うん」




娘は——少し不安そうだった。




「大丈夫かな」




母親は——娘の頭を、撫でた。




「大丈夫」




「一緒だから」




娘の部屋には——手作りのうちわがあった。


「とうか」と——ひらがなで書いてあった。


桃霞への——応援うちわだった。




母親は——それを見て、微笑んだ。




「桃霞ちゃん、好きなんだね」




「うん、かっこいいから」


「戦ってる時も、歌ってる時も」




娘は——うちわを、抱きしめた。




「本物、見たい」




母親は——頷いた。




「見に行こう」




---




八月二十日(木) 午後十一時




各地の——夜。




さくらは——荷物リストを、確認していた。




健一は——ホテルの地図を、印刷していた。




ななは——ペンライトの予備電池を、鞄に入れた。




高校生二人は——LINEでグループを作っていた。


「大阪組」という——名前だった。




母娘は——電車の乗り換えを、調べていた。




誰も——会ったことのない人たちだった。




それでも——


同じ日に。


同じ場所へ。


向かっていた。




大阪城ホールまで——あと九日。




ライブは——ステージだけで作られるのではなかった。




新幹線の中で。


ホテルの部屋で。


うちわを作る——手の中で。


もう——始まっていた。






つづく…




▼登場人物のイラストをpixivで公開中


https://www.pixiv.net/artworks/144793121

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