第71話 リーダーが倒れた日
八月四日(火) 午前八時三十分
スタジオの前に——七人が集まっていた。
リハーサル前の——いつもの時間だった。
向日葵が——苺を見た。
何か——少し、おかしかった。
何がおかしいかは——
すぐには、言えなかった。
ただ——いつもの苺と、少し違った。
「苺ちゃん——朝ごはん食べた?」
向日葵が——聞いた。
「うん」
苺は——笑顔で答えた。
向日葵は——少し見た。
「本当に?」
「食べた食べた。ちょっと少なかったけど」
「ちょっと少なかった——というのは」
「あんまり食欲なかっただけ。昨日、寝るのが遅くなったから」
「寝不足?」
「ちょっとだけね」
苺は——笑った。
いつもの笑顔だった。
崩れていなかった。
向日葵は——もう少し、聞こうとした。
「苺ちゃん——」
「大丈夫だよ」
苺が——先に言った。
「リハーサル、始めよう」
---
向日葵は——少し、引っかかっていた。
(何かある)
だが——
何があるかは、わからなかった。
苺が言う通り——ただの寝不足かもしれなかった。
向日葵は——スタジオの中に入った。
引っかかりを——持ちながら、入った。
---
午前九時。
リハーサルが——始まった。
苺は——動いていた。
集中していた。
指示が——正確だった。
「ここのタイミング——もう少し早めに」
「莉恋ちゃん、そこは半歩前に出て」
「向日葵——音の入りが少し遅い」
振付師が——頷いていた。
「春日さん——今日も、よく見えてますね」
「ありがとうございます」
苺は——笑った。
誰も——深刻に思わなかった。
だが——
向日葵は——見ていた。
苺の顔色を。
顔色が——悪いわけでは、なかった。
だが——
目の下に——うっすら、影があった。
いつもより——少し、瞳の光が弱かった。
リハーサルをしながら——
向日葵は苺のことを、気にしていた。
「向日葵——今のタイミング」
「ごめん!!!!!!」
苺に指摘されながら——
気にしていた。
---
午前十一時五十分。
昼休憩まで——あと十分だった。
通し稽古の——最後の一回が、終わった。
振付師が言った。
「午前は、ここまで——」
その瞬間だった。
苺の体が——傾いた。
傾いたのは——一秒にも満たない時間だった。
だが——
その後に——
苺は——床に崩れた。
音がした。
膝が——床に当たる音が。
「苺ちゃん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
向日葵が——最初に声を出した。
全員が——動いた。
桃霞が——一番早く、苺に近づいた。
「苺さん——」
桃霞が——苺の肩を支えた。
苺は——目を開けていた。
意識は——あった。
だが——
顔色が——白かった。
「……ごめん」
苺が——小さく、言った。
「大丈夫?大丈夫????????苺ちゃん!!!!!!!!!!!」
向日葵が——苺の前に、しゃがんだ。
「大丈夫……かな」
苺は——少し、笑おうとした。
笑顔が——うまく、作れなかった。
「救急車——」
莉恋が——スマートフォンを取り出そうとした。
「待って——」
苺が——言った。
「救急車は——いい。ちょっと、立ちくらみしただけだから」
「立ちくらみだけじゃないでしょ!!!!!!!!!!!!!」
向日葵が——声を上げた。
「朝から、ご飯食べてなかったでしょ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「食べた、少しだけ——」
「少しだけって、食べてないってことじゃん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
苺は——何も言えなかった。
エマが——すぐに動いた。
「スタッフルームに——横になれる場所があります。まず移動しましょう」
振付師が——頷いた。
「そうしましょう」
桃霞と莉恋が——苺を支えた。
苺は——二人の肩を借りながら——歩いた。
「自分で歩ける——」
「黙って、苺ちゃん」
莉恋が——静かに言った。
苺は——黙った。
---
スタッフルームに——苺を寝かせた。
ソファに——横にした。
エマが——すぐに水を持ってきた。
「少しだけ——飲んでください」
苺は——受け取った。
一口、飲んだ。
「……ありがとう」
六人が——苺の周りに、集まっていた。
「麻衣さんを——呼びます」
エマが言った。
「藤原係長にも、連絡します」
エマは——部屋を出た。
---
六人だけになった。
誰も——話さなかった。
向日葵が——苺の隣に、しゃがんでいた。
「苺ちゃん」
「うん」
「いつから——こんな感じだったの」
苺は——少し間を置いた。
「……少し前から」
「どのくらい」
「一週間——くらい」
「一週間!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「声が大きい」
「大きくもなるよ!!!!!!!!!!!!!!!なんで言わなかったの!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「言ったら——みんなが心配するから」
「心配するよ!!!!!!!!!!当たり前じゃん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
向日葵の目が——赤くなっていた。
「リーダーだから——」
苺は——天井を見たまま、言った。
「心配させたくなかった」
「リーダーだからこそ——言わないといけないんじゃないの」
苺は——何も言えなかった。
「心配させたくないは——わかる。でも——倒れてから気づくのは——もっと心配だよ」
向日葵は——少し震えた声で言った。
「倒れた苺ちゃんを見た時——すごく、怖かった」
「……ごめん」
「謝るより——なんで言ってくれなかったのって、思う」
「……うん」
苺は——目を閉じた。
若葉が——少し、口を開いた。
「いつから——寝れていませんでしたか」
「ちゃんと眠れていない、というのは——一週間くらい」
「新曲の練習が——始まってから、ですか」
苺は——少し間を置いた。
「……それより少し前から」
「理由は」
「考えすぎてた」
「何を」
「大阪のこと。七人のこと。中村さんのこと。エマさんのこと。全部が——うまくいくかどうか」
若葉は——少し頷いた。
「……全部を、一人で抱えていたんですね」
「リーダーだから——」
「リーダーでも——一人で全部を抱えなくて、いいと思います」
苺は——若葉を見た。
「若葉ちゃんが——そういうことを言う」
「私が言うのは、変ですか」
「変じゃないけど——意外だった」
「……「全員が主役」を、昨日覚えたばかりなので」
苺は——少し、笑った。
弱い笑顔だったが——
笑顔だった。
空が——静かに言った。
「苺さん——今日、声が——少し違いました」
「声が?」
「はい。リハーサルの指示の声が——いつもより、少し低かったです。気づいていましたが——言うタイミングが、わかりませんでした」
「空ちゃん——気づいてたの」
「はい。でも——言えませんでした。すみません」
「謝らないで。気づいてくれてたことが——嬉しい」
杏が——少し、言った。
「私も——気づいていた」
苺が——杏を見た。
「匂いが——朝から、いつもと違った」
「どんな匂い」
「……疲れている人の匂い。でも、苺さんが「大丈夫」と言っていたので——」
「言えなかった」
「はい。言うべきでした」
苺は——少し息を吐いた。
「みんな——気づいてたんだ」
全員が——少し、黙った。
「ごめんね」
苺が——また言った。
「心配かけて——ごめん」
向日葵が——少し、首を振った。
「謝るのは——後でいい。今は——休んで」
つづく…
▼登場人物のイラストをpixivで公開中
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