第68話 選ばれた二人
桃霞は——エマを見た。
「……あの時」
「はい」
「私が——選ばれました」
「はい」
沈黙が——少し、あった。
桃霞は——また、口を開いた。
「……すみません」
エマは——少し笑った。
「謝らないでください」
「でも——」
「謝られる理由が——私には、ありません」
エマは——真っ直ぐ、桃霞を見た。
「私も最後まで行けたことが——誇りなんです」
桃霞は——少し黙った。
「最終に残った十人の中で——一番最後まで残った二人でした。それだけで、十分です」
「……朝比奈さんは」
桃霞が——ゆっくり、言った。
「悔しくなかったですか」
エマは——少し考えた。
正直に——答えた。
「悔しかったです。かなり」
「……そうですよね」
「でも——」
エマは、続けた。
「「この人だったから負けた」という納得の方が——大きかったです」
桃霞は——エマを見た。
「……それは」
「桃霞さんを見た時——わかったんです。審査の瞬間に。「この人だ」って」
「えっ!?」
「うまく言えないんですが——立っているだけで、何かが違いました。技術じゃないんです——何かが」
桃霞は——少し、間を置いた。
「……私には、まだわかりません。自分の何が——違うのか」
「それでいいと、思います」
「え?」
「わからないまま——届けに行く人の方が、届くことが多い気がするので」
桃霞は——エマを見た。
「……誰かに、似たことを言われました」
「誰にですか」
「向日葵さんに」
エマは——少し笑った。
「向日葵さんって——そういうことを言う人、なんですね」
「さらっと言います」
「羨ましいです。私は——どうしても、考えてから言ってしまうので」
「それが——朝比奈さんの強さだと思います」
エマは——少し驚いた。
「強さ?」
「考えてから言える人が——三か所のフォーメーションのずれを、一回で見つけられる」
エマは——少し黙った。
「……それは、仕事です」
「仕事であっても——できる人と、できない人がいます」
エマは——少し笑った。
「桃霞さんって——そういうことを、言う人なんですね」
「おかしいですか」
「いいえ、嬉しいです」
桃霞は——少し間を置いた。
「……だから今度は」
エマは——桃霞の言葉を続けるように——
「スタッフとして——支えます」
言った。
笑いながら——言った。
桃霞は——少しだけ笑った。
「……お願いします」
小さく——言った。
その笑顔を——エマは見た。
崩れた笑顔だった。
完璧ではなかった。
だが——
届いていた。
エマに——届いていた。
(やっぱり、この人だ)
思った。
(この人が選ばれた)
あの日の納得が——今日も、確かめられた。
エマは——タブレットを、持ち直した。
「次のリハーサル——始めましょうか」
「はい」
二人は——スタジオの中央に向かって歩いた。
並んで——歩いた。
---
その日の夜——
九条冴子は——一人でオフィスにいた。
パソコンの画面に——
今日のリハーサルの記録映像が、映っていた。
エマが——フォーメーション図を配っている場面が。
エマが——タイムを計っている場面が。
エマが——三か所のずれを指摘している場面が。
そして——
桃霞とエマが——スタジオの端で、話している場面が。
音声は——入っていなかった。
だが——
二人が何を話しているかは——
画面越しでも、見えた気がした。
九条は——画面を止めた。
桃霞が——少しだけ笑った瞬間に、止めた。
「……そうだ」
小さく、言った。
「それが——最初から、見たかった場面だ」
誰もいないオフィスに向かって——言った。
オーディションで——
桃霞を選んだとき。
エマを選ばなかったとき。
九条は——二つのことを、同時に考えていた。
一つ。
桃霞を——ゆめいろシフォンに入れること。
もう一つ。
エマを——ゆめいろシフォンの近くに、置くこと。
ステージに立つ形ではなく。
ステージを支える形で。
オーディションは——勝負だった。
だが——
ゆめいろシフォンは、勝負ではない。
九条は——画面を、また再生した。
桃霞とエマが——並んで歩いている場面を。
「……同じ夢を、違う場所から叶える」
画面に向かって——言った。
それが——
最初から、設計していたことだった。
---
麻衣は——今日のリハーサルを、見ていた。
エマの動きを——見ていた。
桃霞との会話を——少し離れた場所から——見ていた。
会話の内容は——聞こえなかった。
だが——
桃霞が少しだけ笑った瞬間を——
見ていた。
台帳を——開いた。
「七月二十二日。エマさん——七人と初めて、長時間同じ空間にいた。」
書いた。
「フォーメーションのずれを——一回のリハーサルで三か所、指摘した。全部、正しかった。」
書いた。
「桃霞さんとエマさんが——スタジオの端で、少し話していた。内容は聞こえなかった。でも——話し終わった後、二人の空気が変わっていた。」
書いた。
「「ライバル」という空気が——消えていた。」
書いた。
一行、空けた。
「桃霞さんが——エマさんと話した後、笑った。崩れた笑顔だった。今日のリハーサルの中で——一番、届いた笑顔だった。」
書いた。
「エマさんに——届いていた。それが、見えた。」
書いた。
最後に——一行。
「九条さんが——これを、最初から計算していたとしたら。やはり、すごい人だと思う。」
書いた。
タブレットを——閉じた。
スタジオの外の廊下が——静かだった。
七人は——まだ練習している音が、聞こえていた。
エマが——タイムを計っている音が、聞こえていた。
同じ夢に——
違う場所から——
向かっている音が。
つづく…
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