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このアイドル、どこかおかしい。一人だけ、笑っていない。  作者: Nagiousen


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第67話 支えるという選択

七月二十二日(火) 午前九時四十五分




エマは——スタジオの前に、立っていた。




手には——フォーメーション図が、七部。


出席確認シートが、一部。


タイムキーパー用のストップウォッチが、一つ。


リハーサル記録用のタブレットが、一台。




全部が——揃っていた。




昨日の夜、確認していた。


今朝も、確認していた。




仕事の準備は——できていた。




だが——


ドアを開けることが——


少しだけ、難しかった。




(七人がいる)




エマは——深く、息を吸った。




スタジオの中から——声が聞こえていた。


誰かが話している声。


笑っている声。


準備をしている音。




(桃霞さんが——いる)




オーディションの最終審査から——


何ヶ月も、経っていた。




映像では——見ていた。


横浜のライブ配信も、見ていた。




だが——


直接、会うのは——


あの日以来だった。




エマは——もう一度、息を吸った。




(今日は仕事だ)




自分に、言い聞かせた。




(私はスタッフ。今日は仕事)




ドアを——開けた。




七人が——いた。




苺が——振付師と話していた。


向日葵が——ストレッチをしていた。


空が——喉のウォームアップをしていた。


若葉が——フォーメーション図を見ていた。


杏が——静かに立っていた。


莉恋が——鏡を見ていた。




そして——


桃霞が——


ドアの近くに、立っていた。




エマが入ってきた瞬間——


桃霞と——目が、合った。




桃霞が——少し、止まった。


数秒——止まった。




エマも——少し、止まった。




だが——


仕事があった。


エマは——動いた。




「おはようございます。制作アシスタントの朝比奈です。本日のリハーサルを担当します。よろしくお願いします」




七人が——エマを見た。




苺が——笑顔で、近づいてきた。




「朝比奈さん。今日からよろしくね」




「よろしくお願いします、春日さん」




「苺でいいよ」




「……苺さん」




向日葵が——ひょこっと顔を出した。




「橘向日葵です。よろしく!」




「よろしくお願いします、橘さん」




「向日葵でいいよ、向日葵で」




次々と——七人が、挨拶した。




空が。


若葉が。


杏が。


莉恋が。




それぞれの方法で——


エマに、挨拶した。




エマは——一人一人に、返した。


六人が終わった。




残り一人だった。




桃霞が——エマの前に来た。




「……朝比奈さん」




静かな声だった。


エマは——少し、笑った。




「覚えていて、くれたんですね」




桃霞は——真っ直ぐ、エマを見た。




「忘れません」




一言だけ——言った。




エマは——その言葉を、受け取った。


少し——胸の中で、何かが動いた。




「……よろしくお願いします、桃霞さん」




「よろしくお願いします」




それだけだった。




それだけで——


この場での最初の言葉が、終わった。




「フォーメーション図を——配ります」




エマは——七部を、一人ずつに渡した。




「今日のリハーサルは——新曲のAメロからサビまでを、三回通します。私がタイムを計りながら——フォーメーションの確認をします。気になる点があれば、その都度止めてください」




振付師が——頷いた。




「では——始めましょう」




リハーサルが——始まった。




エマは——スタジオの端に立った。


ストップウォッチを持った。


タブレットを持った。




七人が——動いた。




エマは——タイムを計りながら——


フォーメーションを確認していた。


図と——実際の動きを、照らし合わせていた。




三階席から若葉さんが見えにくい。


空さんの移動ルートが図より広くなっている。


サビ前の向日葵さんの位置が、半歩右にずれている。


記録した。




全部を——記録した。


仕事として——記録していた。




七人が踊っている空間に——


いるだけで——


何かが、来ていた。


言語化できない何かが。




エマは——その何かを——


今は、後ろに置いた。


仕事があった。




一回目が終わった。




「一回目——タイムは四分二十七秒です」




エマは報告した。




「フォーメーションで気になる点が——三か所あります。確認してもいいですか」




振付師が——「どうぞ」と言った。




「まず——Aメロ後半。若葉さんのポジションが、図より少し上手に寄っています。このままだと、三階席のセンターブロックから、柱に隠れる可能性があります」




若葉が——少し、驚いた顔をした。




「……そんな細かいところまで」




「以前、横浜アリーナを調べた時——あの会場は三階席の左右端が見づらいと知っていたので。大阪城ホールも同じ構造なので、確認していました」




若葉は——少し、メモを取った。




「わかりました。修正します」




「次に——空さんの移動ルートです。図より横幅が広くなっています。向日葵さんとの距離が、縮まっています」




空が——向日葵を見た。




「……気づいていませんでした」




「三回目にぶつかるかもしれません。図通りのルートに戻すか——向日葵さんの位置を調整するか、どちらかだと思います」




振付師が——二人と相談した。




「もう一か所は——」




エマは、続けた。




「桃霞さんのセンター移行のタイミングです。図では若葉さんが中央に入った後、二拍後に桃霞さんが前へ出ます。今日は一拍早かったです」




桃霞は——少し頷いた。




「……確認します」




「はい。タイミングがずれると——若葉さんと重なります」




「わかりました」




振付師が——感心した顔をした。




「朝比奈さん——一回見ただけで、三か所全部気づいたんですか」




「フォーメーション図を昨夜——かなり読み込んでいたので」




「元々——ダンスの経験が?」




エマは——少し、間を置いた。




「……少し」




それだけ答えた。


深くは——言わなかった。




苺は——エマを見た。




「すごいね」




「仕事なので」




「仕事でも——すごいよ」




エマは——少し、笑った。




「二回目——行きましょうか」




---




三回の通しが終わった後——


休憩になった。




七人が——水を飲んだり、床に座ったりしていた。




エマは——記録をタブレットに、まとめていた。




桃霞が——エマの近くに来た。




「朝比奈さん」




エマは——顔を上げた。




「はい」




桃霞は——少し、間を置いた。




「少し——いいですか」




「はい」




二人は——スタジオの端に、移動した。




他の六人からは——少し離れた場所だった。





つづく…




▼登場人物のイラストをpixivで公開中


https://www.pixiv.net/artworks/144793121

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