第63話 二日目の足跡
七月九日(木) 午後
田中が——エマを呼んだ。
「朝比奈さん——少し、見てもらえますか」
「はい」
エマは——田中のデスクに来た。
パソコンの画面に——英語のテキストが、表示されていた。
「海外向けページの試作を——始めたんですけど」
田中は——画面を指した。
「日本語の公式サイトを、英語に直してみたんですが——なんか、しっくりこなくて」
エマは——画面を見た。
少し、読んだ。
「……直訳、ですね」
「そうなんです。翻訳ツールを使ったんですが——なんか、固くて」
「どこが、気になりますか」
「全部——気になります」
エマは——少し、笑った。
「一番上から、見ていきましょうか」
「お願いします」
「ここ——」
エマは、画面の一行を指した。
「"This is the official website of Yumeiro Chiffon, a Japanese idol group."って書いてあるんですが」
「はい、そう書きました」
「これ、間違いではないんですが——海外のファンが最初に読む文章としては、少し事務的すぎます」
「どう変えますか」
「例えば——"Welcome to the official home of Yumeiro Chiffon."の方が、親しみやすいです」
「"home"って——いいですね」
「公式ウェブサイト、というより——ファンにとっての「家」みたいな感覚を出したくて」
田中は——メモを取った。
「次——ここです」
エマは、また画面を指した。
「メンバー紹介のところ。"Tohka Sakurai is a new member who joined in 2026."——これも間違いじゃないんですが」
「何が問題ですか」
「海外の人には——名前が日本語順なので、苗字が先に来ると分かりにくいんです。"Tohka Mochiha"って読んでも——どっちが名前か、分からない人が多くて」
「じゃあ、逆にするんですか」
「逆にするか——または「Tohka (Sakurai)」のように、ファーストネームを先に書く方が読みやすいです。ただ——グループとして表記を統一した方がいいので、全員分決める必要があります」
田中は——少し、画面を見た。
「……全員分、考えてもらえますか」
「やります」
エマは——新しいメモ帳のページを開いた。
「春日苺——Ichigo Kasuga。水瀬空——Sora Minase。橘向日葵——Himawari Tachibana。霧島若葉——Wakaba Kirishima。御堂杏——An Mido。白石莉恋——Riko Shiraishi。櫻井桃霞——Tohka Sakurai。」
書いた。
「あとは——読み方をローマ字で横に書いておいた方が、発音の参考になります」
「発音——大事ですよね」
「海外のファンって——メンバーの名前を、独自の読み方で覚えてしまうことが多くて。公式が正しい読み方を出しておくと、SNSでの会話が統一されやすいんです」
田中は——少し、目を見開いた。
「……なぜそこまで、知っているんですか」
「シドニーにいた時——K-POPファンの友達が多くて。彼女たちが韓国語のアーティスト名をどう読んでいるか、よく見ていたので」
「K-POPから——学んでたんですか」
「参考にはしていました。K-POPの海外展開は——やり方が上手いので」
田中は——また、メモを取った。
「次、ここです」
エマは、続けた。
「"Yumeiro Chiffon is known for their colorful performances."——この「known for」って表現、少し弱いんです」
「どう変えますか」
「"Yumeiro Chiffon brings seven colors to life on stage."の方が——実際のライブを想像させやすいと思います」
「「seven colors to life」——七色を生き生きと、みたいな感じですか」
「そうです。七人の七色、というコンセプトが一番の強みだと思うので——そこを英語でも前に出したくて」
田中は——少し、画面を見た。
見ながら——
「新人って感じが、しないな」
呟いた。
「え?」
エマが——聞こえたのか、田中を見た。
「あ、いや——」
田中は——少し、照れた。
「知識量が——すごいな、と思って」
エマは——少し、笑った。
「オーディションの準備で——海外のアイドル事情を、かなり調べたんです。どうやって海外展開をするか、参考にしようと思って」
「オーディションで——そこまで調べてたんですか」
「……もし受かったら、英語が話せるメンバーとして、海外展開に貢献したかったので」
田中は——少し、黙った。
エマは——また、画面に目を向けた。
「続けますか?」
「あ——はい、続けてください」
田中は——また、メモを取り始めた。
二時間後。
英語版の試作ページが——
かなり、整っていた。
田中は——ビフォーとアフターを、並べて表示した。
「……全然違う」
「どっちがいいですか」
「断然、後の方です。読みやすいし——ゆめいろシフォンの世界観が伝わる」
「よかった」
エマは——少し、肩の力を抜いた。
「朝比奈さんって——」
田中が、言った。
「なんですか」
「アイドルにならなくて——本当に良かったんですか」
エマは——少し、間を置いた。
「……急に、何ですか」
「これだけの知識と、アイデアがあって——スタッフになるのは、もったいないというか」
エマは——田中を見た。
「田中さんは——なんで、この仕事やってるんですか」
「え——僕は、ゆめいろシフォンが好きだから、です」
「じゃあ——それで十分じゃないですか。ステージに立ちたかったわけじゃないでしょう」
「そうですが——でも、僕とは違って」
「違わないです」
エマは——静かに、言った。
「私も——ゆめいろシフォンが好きです。だから、ここにいます」
田中は——少し、黙った。
「……そっか」
「アイドルとして好きだったのが——スタッフとして好きになっただけです」
「それ——切り替えが、できたんですか」
エマは——少し、間を置いた。
「……全部、切り替わったわけじゃないです」
正直に、言った。
「私は——ここにいる方が、合っている気がします」
エマは——画面を見た。
「この英語版サイトが——桃霞さんのことを、海外の人に届けるかもしれない。それが——私にできる「届け方」だと思って」
田中は——エマを見た。
「……かっこいいな」
「かっこよくないですよ」
「かっこいいです。俺、ファンとして言います」
エマは——少し、笑った。
「ファンとしては——やめてください。同じスタッフとして、言ってください」
「……分かりました。同じスタッフとして——かっこいいです」
エマは——また笑った。
今度は——少し、照れた笑顔だった。
夕方——
麻衣は——エマと田中の二人を、見ていた。
二人が——並んで画面を見ながら——
英語版の細部を、詰めていた。
田中が何かを言う。
エマが答える。
エマが提案する。
田中がメモを取る。
その繰り返しが——
自然な流れになっていた。
麻衣は——台帳を開いた。
書いた。
「朝比奈エマ、二日目。」
書いた。
「中村先輩のファイルを整理しながら——「支える仕事」の意味を、自分で言葉にしていた。教えていないのに。」
書いた。
「田中くんと——英語版サイトの試作を進めた。知識量と発想が、上回っている部分があった。田中くんも気づいていた。」
書いた。
「複雑な感情を前に出さない子だ。でも、ないわけではない。見続ける必要がある。」
タブレットを——閉じた。
窓の外が——夕方の光になっていた。
藤原が——デスクで、資料を見ていた。
麻衣が——声をかけた。
「係長」
「なんだ」
「今日の朝比奈さん——どうでしたか」
藤原は——少し、間を置いた。
「俺は——ほとんど、話していない」
「見ていましたか」
「見ていた」
「どう思いましたか」
藤原は——資料から目を上げた。
「……動ける子だ」
短く、答えた。
「はい」
「中村の棚を整理しながら——中村のやり方を、自分で読み取っていた。それが——できる子とできない子がいる」
「エマさんは、できる子でした」
「そうだ」
藤原は——また、資料に向かった。
「浅井」
「はい」
「お前の台帳に——今日、何を書いた」
麻衣は——少し、驚いた。
「……複雑な感情を前に出さない子だ。でも、ないわけではない。見続ける必要がある、と書きました」
藤原は——少し、頷いた。
「そうだな」
「係長も——同じことを、感じましたか」
「俺の感じ方と、お前の感じ方は——違う」
「どう、違いますか」
藤原は——少し、間を置いた。
「俺は——同じことを、別の言葉で感じた」
「どんな言葉ですか」
藤原は——少し、考えた。
「……まだ、言葉にならない」
「分かりました」
麻衣は——頷いた。
「言葉にならないことは——言葉にしなくていいです」
藤原は——麻衣を見た。
「お前も——そういうことを、言うようになったか」
「中村さんと——桃霞さんに、教わりました」
藤原は——少し、鼻を鳴らした。
「そうか」
それだけ言って——
また、資料に向かった。
オフィスの外——
夕方の光が、窓を染めていた。
田中とエマが——まだ、画面を見ていた。
笑い声が——少し、聞こえた。
田中の笑い声と——
エマの笑い声が——
混ざっていた。
麻衣は——その声を聞いた。
聞きながら——
今日という日が——
少しずつ、形を作っていることを——
感じていた。
つづく…
▼登場人物のイラストをpixivで公開中
https://www.pixiv.net/artworks/144793121つづく…




