表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このアイドル、どこかおかしい。一人だけ、笑っていない。  作者: Nagiousen


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
59/114

第59話 もう一つの合格通知

七月七日(火) 午前十時十分


オフィスが——静かだった。




麻衣は——タブレットで資料を確認していた。


田中は——SNSの反響をまとめていた。


昨日から——二人の間には、なんとなく——




「何かがある」




という感覚があった。




中村のことが——一段落したわけではなかった。


藤原が——今朝、九条に呼ばれたことが——


また別の何かを、予感させていた。




十時二十分。


藤原が——オフィスに戻ってきた。




麻衣は——藤原の顔を見た。


複雑な表情だった。




困っているわけではなかった。


怒っているわけでもなかった。


何かを——整理しようとしている顔だった。




田中も——画面から目を上げた。


二人は——藤原が、デスクに向かうのを見ていた。




藤原は——座った。


資料を広げた。


何も、言わなかった。




「……係長」




田中が——口を開いた。




「何か、ありましたか」




藤原は——資料から目を上げた。


田中を見た。


麻衣を見た。


少し、間を置いた。




「話がある」




「座れ」




藤原が言った。




田中と麻衣が——藤原のデスクの前に、集まった。




「九条さんから、今朝——新しい決定があった」




「どんな決定ですか」




田中が聞いた。




「中村は——このまま、産休に入る」




麻衣は——少し、目を見開いた。




「産休、ですか。すぐに」




「九条さんの判断だ。無理をさせるより——このまま休ませる方がいい、ということだ」




麻衣は——頷いた。




「それは——中村先輩のためになります」




「そうだ」




藤原は——続けた。




「その代わりに——補充がある」




「補充」




田中が——繰り返した。




「新しいスタッフが——うちに来る」




藤原は——少し、間を置いた。




「朝比奈エマ。十八歳だ」




田中の目が——少し、動いた。




「……朝比奈エマ」




聞き覚えのある名前だった。


田中は——少し、考えた。


考えて——思い出した。




「覚えていますよ、その子」




田中の声が——変わった。




「めちゃめちゃ綺麗な子でした。桃霞ちゃんに匹敵するくらい」




藤原は——田中を見た。




「そうか」




「オーディションの最終十名に残った子ですよね。最後まで残って——結局、桃霞ちゃんが選ばれた」




麻衣も——口を開いた。




「私も覚えています。二人採用になっても——おかしくありませんでした」




藤原は——麻衣を見た。




「そうなのか」




「はい。あの最終審査——あの二人は、別格でした。審査員室でも、そういう話が出ていました」




藤原は——少し、頷いた。




「田中、朝比奈の教育係を頼めるか」




田中は——少し、固まった。




「無理ですよ、そんな可愛い子。まともに話すらできません」




藤原は——田中を見た。




「情けないやつだな」




「係長が、やってください」




「馬鹿野郎、俺みたいなおっさんが何か言ってみろ、セクハラですぐにクビだ」




田中は——少し、考えた。




「なるほど」




「納得するな」




藤原は——麻衣を見た。




「浅井、お前に頼むしかない」




麻衣は——少し、間を置いた。




「わかりました」




「すまない。ただし——無理はするな。俺と田中でフォローする。お前まで倒れたら、ゆめいろシフォンは終わりだ」




「そんな——」




「大袈裟なんかではない。一つの穴は埋めれても、二つの穴は埋まらない」




麻衣は——藤原の言葉を、受け取った。




「わかりました。やります」




田中が——少し、黙った。


黙りながら——何かを、考えていた。




「……なるほど、そういうことですか」




田中が——呟くように、言った。




藤原が——田中を見た。




「何がだ、田中」




「九条さんが、考えていることです」




田中は——続けた。




「その子を——ゆめいろシフォン八人目のメンバーにするつもりです」




部屋が——少し、静かになった。




藤原は——田中を見た。




「田中、お前もそう思うか」




田中が——藤原を見た。




「えっ、係長も——」




「ああ」




藤原は——短く、答えた。




田中は——少し、言葉が止まった。




「……係長が、そう思うなら——間違いないですね」




「決まったわけじゃない。俺が——そう感じた、というだけだ」




藤原は——視線を、資料に戻した。




「九条さんは——何も言っていない。ただ——スタッフとして来ると、言っただけだ」




「だから——余計に、そう思います」




田中は——少し、笑った。




「その朝比奈さんは、いつから来るんですか?」




田中が——聞いた。




「明日からだ」




田中の目が——見開いた。




「えーーーー」




オフィスに——田中の声が、響いた。




「急すぎですよ!」




「急いでいる理由は——わかるだろう」




藤原は——静かに、言った。




「大阪まで——五十三日」




田中は——少し、黙った。




「……そうですね」




「文句があるか」




「ないです。ないですけど——心の準備が」




「一晩あれば、十分だ」




「十分じゃないですよ、普通——」




「田中」




藤原の声が——少し、強くなった。




「は、はい」




「ゆめいろシフォンが——どれだけの日数で、横浜アリーナに立ったか、覚えているか」




田中は——少し、黙った。




「……覚えています」




「俺たちが——一晩で準備できないようでは、七人に失礼だ」




田中は——頷いた。




「……わかりました」




「朝比奈エマについて——補足しておく」




藤原は——続けた。




「父親がオーストラリア人で、母親が日本人だ。シドニーで育った帰国子女で、英語と日本語——どちらもネイティブレベルだ」




「英語が、話せるんですか」




田中が——少し、目を輝かせた。




「ネイティブだと言った」




「すごい——」




「大阪城ホール以降——海外展開も視野に入れるとなれば、英語対応ができるスタッフは、貴重だ」




麻衣は——その言葉を、聞いた。




(海外展開も视野に)




九条の考えが——少し、見えた気がした。




朝比奈エマという人物が——


ただの「補充」ではないことが——


わかり始めていた。




「身長は百六十七センチ。——見た目は、整っている」




田中が——また、声を出した。




「整っている——というのは、また控えめな表現ですね。最終審査の映像を見ましたが——」




「田中」




「はい」




「仕事の話をしろ」




「……すみません」




「十八歳で——うちに来る」




藤原は——資料を見ながら、続けた。




「オーディションに落ちて——それでもこの世界に残ることを、選んだ子だ」




「……九条さんが、声をかけたんですか」




麻衣が聞いた。




「そうだ。最終審査の後、九条さんが——スタッフとしての採用を、打診したそうだ」




「エマさんは——すぐに、受けたんですか」




「一週間、考えたそうだ」




一週間。




麻衣は——その数字を、受け取った。




アイドルになりたかった十八歳が——


アイドルになる夢が閉じた後——


一週間考えて——


ステージを支える側を、選んだ。




「……強い子ですね」




麻衣は——小さく、言った。




藤原は——麻衣を見た。




「強いかどうかは——お前が、判断することだ。俺にはわからない」




「はい」




「だが——行動力はある。九条さんが、そう言っていた」




「行動力」




「ゆめいろシフォンのオーディションで、最終まで残った子だ。基礎体力は——中途半端なものじゃない。頭も動く。あとは——この仕事を覚えてもらうだけだ」




「私が——教えます」




麻衣は——頷いた。




「頼む」




説明が——終わった。




田中は——自分のデスクに戻った。


頭の中を——整理するように、画面を見ていた。




藤原は——資料に向かった。


険しい表情のまま——




中村が担当していた演出管理のファイルを開いた。


引き継がなければならない仕事が——


山積みだった。


中村が——一人で、管理してきたものが。




麻衣は——自分のデスクに戻りながら——


藤原の背中を、見た。


険しい表情のまま——


資料と向き合っている背中を。




「係長」




麻衣が——声をかけた。




藤原は——顔を上げなかった。




「なんだ」




「係長こそ——あまり無理はしないでください」




藤原は——少し、手を止めた。




「二つの穴は——埋まりませんから」




藤原は——麻衣を見た。




一秒。




「……わかった。気をつける」




短く、答えた。


それから——また、資料に向かった。




麻衣は——自分のデスクに戻った。


タブレットを開いた。


台帳を——開いた。


書いた。




「七月七日。朝比奈エマ、明日から来る。教育係を引き受けた。」




書いた。




「中村先輩は、産休に入る。九条さんの判断。中村先輩にとって——良かったと思う。」




書いた。




「藤原係長と田中くんが——朝比奈エマを「八人目のメンバー候補」だと思っている。九条さんは——何も言わなかったが、そういうことだと思う。」




書いた。


一行、空けた。




「明日——朝比奈エマが来る。どんな子か、明日——確認する。」




書いた。


閉じた。




田中が——少し、呟いた。




「……桃霞ちゃんがいなかったら、エマさんが——ゆめいろシフォンにいたかもしれないんですよね」




誰に向けた言葉でも——なかった。


ただ——


その言葉が、オフィスに——広がった。




誰も——返事をしなかった。


だが——


全員が——その言葉を、受け取っていた。




藤原も。


麻衣も。




それぞれの胸の中で——


朝比奈エマという存在が——


少しずつ、形を持ち始めていた。




明日——来る。


十八歳の——帰国子女が。


アイドルになれなかった夢を、持ちながら。


ゆめいろシフォンの——ステージを支えるために。





つづく…




▼登場人物のイラストをpixivで公開中


https://www.pixiv.net/artworks/144793121

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ